少年が愛に狂う時 前編(レオナルド視点)
──何故、俺はここに居るのだろう。神託なんて下らないものに人生を決められて、本当にうんざりする。
オベリスク王国に、待望の世継ぎが生まれた。レオナルドと名付けられたその赤子は、国王の一夜の過ちで生まれた子であり、母親は下働きのメイドだった。
生まれる前から、神託により次期王としての器があると啓示された事で、母元からすぐに引き離されて育ったため、レオナルドは本当の母親の顔や名前さえも知らない。
「みすぼらしい、あれで王太子だなんて笑えるわ」
耳にさわる甲高い声が、今日も回廊によく響く。それは、運悪く出くわした王妃の嫌味な声だった。
レオナルドは国王にとって第一子であり、神託で王太子と選ばれた特別な子供だ。正妻である王妃との間に子はおらず、彼女にとってレオナルドは、とても面白くない存在だった。それ故に、幼少期はこうしてかなり酷く蔑まれて育ったのだ。
王妃の命令で、レオナルドの御膳だけとても食べれたものではない食事が出されるのは日常茶飯事だった。
湯浴みもゴミの浮いた汚い浴槽しか用意されず、部屋の掃除も行き届いておらずかなり不衛生だった。
父である国王は、レオナルドの教育に関してだけは力を入れるが、それ以外には無頓着であるため気付かない。
だからレオナルドは極力誰にも頼らず、生活に必要な物は全て、自分で準備するようにしていた。自ら部屋の掃除をし、湯浴みの準備を行い、食事だって厨房を借りて自分で作る。帝王学に礼儀や作法などの厳しい教育を受け、剣術や馬術などの厳しい武芸の稽古の合間にだ。
逆境の中でも特に感情を露にすることなく、ただ淡々と生活するそんなレオナルドの態度がまた、王妃の逆鱗を逆撫でするものだった。次々と王妃が嫌がらせを実行するも、それをレオナルドは難なく交わしていく。
だが、いつまでも受け身でいたわけではない。王太子として必要な知識と武芸を身に付け終わった所で反撃に出る。王妃から受けた嫌がらせの数々の証拠を集めた上で、国王へ報告したのだ。
もし改善が見込めない場合は、オベリスク正教会にも報告させてもらうと口添えして。
カルメリア神の選んだ王太子を暗殺未遂までしかけた事を、正教会に報告されてはたまったものじゃない。国王は王妃へ厳重な罰を与え、今後レオナルドへの一切の接触を禁じた。
そんな子供時代を過ごしていたレオナルドは、十才の頃に運命の出会いをはたす。
王太子として地方の教会を訪問した帰りに、乗っていた馬車の車輪が壊れた。その日は酷い雨が降っており、かつ日も暮れ、車輪をすぐに直すことは難しい。仕方なく城下町で宿を取ることになった。
長時間の馬車での移動に加えて過労がたたったせいか、レオナルドはその日、とても体調が悪かった。
それでも、それを周囲に悟られるわけにはいかず必死に隠していた。弱味を見せれば、王妃が何をしてくるか分からないという不安と焦りがあったのだ。
「ルーシェ、お客様だよ! 部屋に案内してもらえるかい?」
「うん、分かった!」
レオナルドより二、三歳は年下であろうルーシェと呼ばれた少女が奥の部屋から飛び出してきた。
「お客さま、お部屋へご案内しますので付いてきて下さい。二階の部屋になります。足元滑らないようにお気をつけくださいね」
年の割にはしっかりとしてる印象を受ける少女は、二つに結ばれたプラチナゴールドの髪をピョンピョンと跳ねさせて階段を上っていく。
「こちらのお部屋になります」
そこまで広くはないが、一晩寝るだけなら問題ない。それに隅々まで綺麗に掃除の行き届いた部屋は、久しぶりだった。レオナルドはほっと安堵のため息を漏らした。
「お客さま、コートをお預かりしてもよろしいですか?」
「ああ」
レオナルドがフードを取って外套を脱ごうとすると、何故か顔を凝視された。正体がバレてしまったのかと焦ったが、そうではなかった。
「お顔が真っ赤です。もしかして、熱があるのではありませんか?」
レオナルドの額に、ピタッと小さな手があてがわれる。
「やはり、高熱です! 大変です! すぐに休んで下さい!」
そうやって、誰かに触れられるのは初めてだった。突然の事に驚き固まるレオナルド。
そんな彼を気に止める余裕もなく、コートを急いで脱がせ、手早くハンガーにかけたルーシェは、レオナルドの手を引いてベッドへと誘った。
さっきは冷たいと感じたルーシェの手が、今度は温かく感じていた。
ベッドに寝かせられたレオナルドは、ぼーっと天井を眺めていた。すると、額に冷えたおしぼりがのせられる。火照った肌にはとても気持ちの良いもので、レオナルドはいつのまにか眠っていた。
喉が渇いて目を覚ますと、ベッド脇には椅子に座って眠たそうにうとうとしているルーシェの姿がある。目があった瞬間、彼女はハッと慌てた様子で何かを差し出してくる。
「のど渇いていませんか? こちらに水差しをご用意しております」
わざわざそのために、ずっと起きて待っていたのだろうか? 額に置かれているおしぼりも、冷たいままだ。定期的にルーシェが交換してくれていたのだろう事が、容易に想像できた。
眠たいのか、ルーシェの瞼は時折重力に逆らえなくなってきている。それを擦っては必死に誤魔化している。
他人が差し出してくる飲み物など信用できない。いつもなら受け取らない所だが、この時は素直に受けとることが出来た。
不思議なことにレオナルドは、この少女になら騙されてもいいと思ってしまったのだ。
冷えてはない生ぬるい水だ。しかし乾いたのどにはそれが、大変美味しく感じた。一気に飲み干したら、誤って蒸せてしまった。
「大丈夫ですか?」
ゴホゴホと咳をするレオナルドの背中を、収まるまでルーシェは献身的にさすり続けた。
誰かに心配された経験などないレオナルドにとって、それは初めて感じた安らぎだった。
「もう、大丈夫だ。ありがとう」
「どういたしまして」
ランプの光しかない暗い室内だが、向けられる笑顔が眩しくて仕方なかった。
「お客さま。無理をなさらず、ゆっくりお休み下さい」
お客さまと呼ばれた事にチクりと胸が痛む。
「…………レオナルドだ」
「レオナルド様……はっ、申し遅れました! 私はルーシェと申します。どうぞよろしくお願いいたします!」
慌てた様子でルーシェはペコリと腰を折った。
「ルーシェ」
「はい、何でしょう?」
「部屋に戻って休むといい。疲れただろう? 世話をかけたな」
「嫌です」
「何故だ?」
「だって、レオナルド様のお熱、まだ下がってないです」
「寝てればそのうち治る」
「でも、心配なんです。レオナルド様、寝ている時すごくうなされてました。おしぼりを替えてさしあげると、それが和らいだんです。だから……」
泣きそうな顔してこちらを心配してくれるルーシェの姿に、レオナルドは胸が詰まったように苦しくなった。心配されて嬉しいのと、それ以上無理はさせたくなくて心苦しいのが混じりあって詰まったような、今まで感じた事のないような奇妙な感じだ。
「わかった。そのかわり無理はするなよ? 眠いと思ったら遠慮なく休んでいいからな」
「はい! ありがとうございます!」
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