家庭環境が複雑な俺、歴代の義妹たちに惚れられているらしいのだが、全員を幸せにするにはどうしたらいい?

藤井論理

再会×3

第1話 真に受けたいDM

 百万円貯まる貯金箱に五百円玉を投入した。


 ガチャ、と硬貨同士のぶつかる音。俺はこの音が大好きだ。


 ――生きてるって感じがするぜえ……。


 貯金箱を持ちあげる。ずしりとした重み。揺するとガチャガチャ鳴った。


 努力がしっかり積み重なっている実感。


「ふへ、ふへへ……」


 悦に浸っていると、背後からミシッと音が聞こえて俺は弾かれたように振りかえった。


 戸口に立っていた舞乃さん――現在の母――と目が合った。ひとつにまとめてサイドに流した髪、白いブラウスにロングスカート。深窓の令嬢みたいな出で立ちだ。一児の――俺を含めれば二児の――母にはとても見えない。


 気まずい空気が流れる。


 舞乃さんは目を逸らすと、カニのように横歩きでフレームアウトしていった。


「せめてなにか言ってくださいよ!?」

「う、うん、まあ、男の子だからね。たまにガス抜きしないと大変なんだよね……」

「なんか違うものを目撃した感じになってません?」

「大丈夫、わたし理解のあるほうだから。――雑誌とか買ってくる?」

「だから違いますって!」

「そっか、今はスマホがあるものね」

「違うところが違います! 貯金を確認してにやにやしてただけです!」

「それはそれでどうなのかしら」

「ですよねえ……」


 反論の余地もない。


「銀行に預けたほうが安心じゃない?」

「貯金箱のほうが実感があるんですよ。それに、他人に財産を預けている状況があまり好きじゃないというか」

「……そう」


 と、舞乃さんは少し表情を曇らせた。


 俺は今まで何度も苗字が変わってきた。そういう生い立ちがあるから、今の発言は『大人を信用していない』と受けとられてしまったのかもしれない。


 別に信用していないわけではない。舞乃さんのことは信用しているし。ただ最後に頼れるのは自分自身だと考えているだけだ。


『プロ連れ子』の名は伊達じゃない。まあ俺が自称しているだけだが。


 そんな俺には義妹が数人いる。厳密に言えば元義妹がふたりと現義妹がひとり。しかし法的なつながりがあろうとなかろうと、俺は今もみんなを等しく妹――大事な家族だと思っている。


 世間から見れば俺は不幸と言える境遇だろう。たしかに嫌な思いをすることもあった。妹たちをそんな目に遭わせはしない。いざというとき彼女たちを助けるにはしっかりとした貯えが必要だ。


 お金は、大切だ。気持ちだけでは大事なひとたちを守れない。


「ほどほどにね」

「はい」

「我慢するとかえってよくないらしいから」

「だから違いますって!」


 んふふ、と悪戯っぽく笑って舞乃さんは立ち去った。


 ――まったく……。


 貯金箱を棚に戻し、充電が終わったスマホのプラグを抜く。


「ん?」


 TwitterにDMの通知が来ていた。スパムにすら無視される、プロフィールも書いていない閲覧用アカウントなのに。


 封書のアイコンをタップする。そこにはこう書かれていた。



『あなたと出会った少女は あなたを愛しています』



 なんだ、これ。


 送り主のアカウントを開く。一ヶ月前に作られたようで、名前は『YSIL』、フォロー、フォロワーともにゼロ。プロフィールに記載はなく、ツイートはひとつもない。


 名前以外、空っぽだった。その名前もどう読めばいいのか分からない。イシル? ワイシルだろうか。あるいは意味のない文字列かもしれない。


 いったいなにが目的だ? まさか本当に、俺を好きな子がいるって報せたいだけなのか。


 というかそもそも俺を好きな子なんているのか。


 ――……。


「ば、馬鹿馬鹿しい。そんなもんいるわけないだろ」


 これはあれだ。モテない男に偽のラブレターを出し、喜んでいる様を見て「あいつ本気にしてるよw」と笑いものにするやつだ。そうに違いない。


 ……いや、誰がどこから見てるっていうんだよ。言ってはなんだが俺はいじめのターゲットにされるほどの存在感すらないぞ。この前の終業式の日だって先生との挨拶と校歌斉唱でしか声を出していない。あまりに話しかけられないので制服とまちがって光学迷彩でも着てきたんじゃないかと疑ったほどだ。


 第一だ、これはラブレターですらない。『あなたと出会った少女は』と言われても誰のことだか分からないし、分かったところでコンタクトのとりようもない。


 つまりラブレターとしても悪戯としても成立していないのだ。


 しかしなにより問題なのは――。


 ――そもそも俺にはそんなドラマチックな出会いの経験なんてねえよ! はい論破! はーっはっは!


「………………あれ?」


 勝利したはずなのになんでこんなに涙が溢れそうなんだろう……?


 と、悲しみに暮れている場合ではない。舞乃さんからお遣いを頼まれている。俺は部屋着を着替えると、スマホをポケットに入れてマンションを出た。






 買い物帰り、川沿いの道を自転車で走っていると、車道を隔てた向こう側の古い教会の前に正装した人びとの姿が見えた。花で装飾されたオープンカーも停まっている。


 結婚式だ。階段を下りてくる新郎新婦に花びらのシャワーが撒かれる。


 なんて素晴らしい光景だろう。


「ブラボー……!」


 俺は自転車を停め、彼らに拍手を送った。


 新郎新婦がブライダルカーに乗りこむとき、俺に気づいて照れくさそうに会釈した。


 こちらこそ、いいものを見させてもらって感謝している。皮肉でもなんでもなく、末永く幸せになってもらいたい。


 あまり部外者がじろじろ見るのも悪い。俺は再び自転車を走らせた。


 ――いいなあ、結婚って……。


 生まれも育ちも違う、縁もゆかりもなかったふたりが家族になる、尊い儀式。


 気持ちが弾み、自転車の速度は自然と速くなっていった。


 自宅マンションに到着すると、エントランスの前に大きなトラックが止まっていた。側面には『ヤマイ引越センター』のロゴがある。こちらでも新しい生活を始めるひとがいるらしい。


 駐輪場に自転車を停め、興味のないふりをしてトラックの横を通りすぎる。自宅のある階まで上ると、空き部屋だった隣室に青いつなぎを着た作業員が出入りしていた。


 お隣さんになるのはどんな人物だろう。俺は外廊下から眼下のエントランス前を覗いた。


 すらりと背の高い女性がいた。お下げ髪に黒縁の大きな眼鏡をかけている。Tシャツの上にベージュのカーディガン、下にはデニムといった服装。歳のころなら二十代前半くらいだろうか。大人っぽい落ち着いた雰囲気の女性だ。もうひとりは小柄で、ショートカット、ジャージを着た女性。


 ――姉妹か? いいひとたちだといいな。


 いずれ挨拶することもあるだろう。俺は作業員の邪魔にならないよう廊下の端っこを歩いた。


 自宅ドアの鍵を開ける。表札には『高城たかしろ』の文字。これが今の俺の苗字だ。一年ほど高城大樹だいきを名乗ってきたが、ようやく馴染んできた気がしている。


 今日はバイトが休みなので時間がある。常備菜を作りおきし、ついでに今晩の夕飯に少し凝ったものを用意しよう。


 えのきのめんつゆ漬け、きんぴらゴボウ、ひじきと大豆の煮物、切り干し大根の煮物を作り、タッパーに詰める。


 ――ものの見事に酒の肴ばっかりだな……。


 舞乃さんの反応がいいものを厳選していったらこうなってしまった。まあ、俺も嫌いじゃないからいいけど。


 味見兼遅めの昼食としてこれらを食べる。


「うん、まあまあだな」


 一定のレベルには達しているがまだまだ改良の余地がある。反省点を頭の中でまとめながら食べ終え、次の作業にとりかかる。


 今日は豚の角煮。これも舞乃さんが喜んでくれたやつだ。凝ってはいるものの、案外手間がかからないのもいい。


 豚バラを下ごしらえして、大根やゆで卵とともに煮る。それだけ。放置しておける時間が長いから、そのあいだにほかの作業ができる。もちろん火元からは離れないけど。


 俺はときおりコンロの火を調節しながら、ダイニングテーブルで学校の課題を消化していった。






 ゆであがった角煮の粗熱をとってから冷蔵庫に入れる。こうして冷ますことでより味が染みるのだ。


 ――あとは……、そうだ、風呂の掃除でもしておくか。


 と、浴室に向かおうとしたとき玄関のチャイムが鳴った。時刻は午後七時をちょっと過ぎたくらい。まだ舞乃さんが帰ってくる時間ではない。というか舞乃さんはわざわざチャイムなど鳴らさない。


 誰だろう。通販の荷物は宅配ボックスに配達されるはずだし……。


 インターフォンの画面を確認する。そこにはふたりの女性が映しだされていた。

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