第一章『前線の街の青年』(4)

「圏外に出るってのはそういうことだ。英雄と呼ばれたお前の親父でさえ、たった少しのどうにもならない不運で死ぬ。それは俺でも、もちろん、お前の責任でもないんだぜ」

「……実際、親父のことなんてほとんど覚えてないからね俺」

「ああ。だからこそ俺は、そんなお前が圏外探索者になるなんて言い出すとは、想像していなかった。まして英雄を志すなんて……正直、驚いたのを覚えてる」

「反対してたもんな、ライナーは」

「圏外に出ることを勧める馬鹿のほうがどうかしてるだろ」

「それは確かに」

 少し笑う。

 ライナーが圏外探索者になったのは、そんな馬鹿に誘われたからだと知っていたから。

「死に急ぐんじゃねえぞ、レリン。お前は、お前ができることをすればいいんだ」

「……わかってるさ」

「どうだか。ガキの頃から英雄になりたいなんて言い張り続ける馬鹿、信用できねえよ」

 それは酷いな、と俺はわずかに肩を揺らした。

 珍しい、ライナーなりの慰めだったのかもしれない。

 ──ああ、だからこそ。

「帰るよ」

「レリン?」

 息をついて立ち上がった俺を、ライナーは怪訝そうに見る。

 薄く笑って俺は答えた。酔いなんて、簡単な魔術ですぐに覚ませるのだ。

「俺には俺で、まだやれることがある……ライナーの言った通りだ」

「……妙なコト企むんじゃねえぞ」

 訝しげなライナーに肩を竦めてから、俺はその場を辞した。

 そのまま自宅へ向かう。多くの孤児は救道院の寮で暮らしており、俺もそちらに部屋を持っているが、それとは別に俺は家をひとつ持っていた。

 とはいえ小さく狭い、そして古びた一軒家だ。

 管理なんてほとんどしておらず、たまに来て掃除をするくらいのもの。物心つく頃には救道院にいた俺にとって、この家で暮らした記憶などゼロに等しい。

 ここは、俺の父親の家だった。

 鍵を開けて中に入る。奥の部屋にある大きな《箱》が俺の目当てだった。

 機械めいた黒色のそれは、どんな材質でできているのかさえまったくわからない。ただ恐ろしく硬く、それでいてただの立方体にしか見えないため、金庫としてはそれなりだ。

 ──旧界遺物。

 科学/魔術を問わず今の人類にとっては失われた技術ロストテクノロジーの産物。いや、旧時代の遺産は、科学と魔術の混合技術の結晶であることも多い。単に現代では見分けられないのだ。

 命の危機と隣り合わせの圏外域に、人類が挑む最大の理由はこの遺物にある。

 誰も、本心で《人類領域を拡げよう》なんて考えちゃいない。そんな面倒なことは偉い予言の英雄様にでも任せておけば済む話なのだ。圏外へ挑むのは見返りがあってこそ。

 かつて人類が創り上げた文明を奪い取り、その死体の上でのうのうと暮らすモノ。

 今の人類が機械生命たちを屍肉漁りスカヴェンジャーと呼ぶのは、そういう皮肉が発端だったと、いつか授業で聞かされた。それが、開拓精神を失った人類に跳ね返っていることこそ皮肉だが。

「さて……」

 呟き、俺は箱の表面に手を触れる。

 その瞬間、人間の声にしては硬質で無機的な音声が箱から流れ出す。

『生体認証:遺伝情報確認──ロックを解除します』

 鮮やかな黄色をした光の線が、箱の表面を複雑に走る。

 この箱の鍵は俺自身。俺が触れることでロックが外されるシステムになっている。

 圏外域へ消えた親父が遺した、形見だった。

 設定した特定の人物だけが開錠できる、便利な収納箱の旧界遺物というわけだ。

 もっとも設定を変更する方法がわからないため、今や俺にしか意味のない箱ではある。

 中身は知っていた。実は何度も取り出して、こっそり訓練を重ねていたから。

 仕舞われているのは《黒妖の猟犬ブラックドッグ》と銘打たれた、一丁の銃である。

 かつて最前線の英雄と呼ばれた男──俺の父であるウィリアム=クリフィスが発見した貴重な旧界遺物だ。相応のところに売り払えば、一等地に豪邸を建てても余る値がつく。

 ただ形見とはいっても、剣士だった父は射撃の才能が壊滅的になく、自分で使うことはほとんどなかったと聞き及んでいる。その意味では、あまり形見としての実感はない。

 銃と、そしてこれは父が作ったという専用のホルスターを取り出す。

 さらにその下にはもうひとつ、別の形見が置かれている。

「……ここに……」

 知らず呟きながら手に取ったものは、こちらも旧界遺物である一枚の板だ。

 つるつるとした不思議な手触りで、表面はモニターになっている。

 そしてこの中には、父が探索の中で得た圏外域の情報データが地図の形で遺されているのだ。

「…………」

 俺に残っている父の記憶など、実はほとんどない。

 ウィリアム=クリフィスが未帰還となった最後の冒険は、俺がまだ四歳のときのもの。この街を拓いた英雄とされる男が、己の父であるという実感はないに等しい。

 それでも俺は、父親を尊敬していた。英雄と呼ばれる彼を誇りに思う。

 母親に至っては、どこの誰なのかさえ知らないのだ。幼い頃の俺が、話に聞いた唯一の肉親である父の武勇伝に憧れることなんて、我ながら自然な流れだったと思う。

 ただまあ、それ以上の特別な想いがあるかと問われれば、怪しいとも思うのだ。

 俺がウィリアムに憧れたのは、父親だからというより、歴史にその名を遺した偉大な男だからというほうが正解に近いのだろう。息子としては薄情かもしれないが、彼のほうも親父としては、まあ失格と言っていいのだから。その辺りは許してもらいたかった。

 なにせ遺されたのはこの古びた家と、冒険に持ち込まれなかったこれらの遺物だけだ。

 ……それだけで充分な絆だと、少なくとも俺は思えている。

 ふたつ目の形見であるデバイスを起動して、モニターにマップを表示させる。

 地形情報マップデータ自体は古い。父が冒険で得た貴重なデータではあるが、今となってはそれほど価値もないのだ、この地図そのものには。

 ただここには──おそらく未だ俺の父しか知り得ないであろう情報も残っている。


『レリン。

 もしお前が俺と同じ道を歩むと決めたのなら。

 そのときは、この場所を目指してみろ。

 面白いものが置いてある』


 マップの中に一点、記録された地点情報と、父が遺したのであろうメモ。

 ──その場所に行ってみようと、俺は考えていた。

 いったい何が残されているのかはわからない。あるいは何もないかもしれない。

 父が亡くなって以降、圏外域の開拓はまったくと言っていいほど進んでいなかったが、それでも圏外に挑む人間がゼロになったわけじゃない。たとえばライナーのように。

 俺が知らないだけで、もうとっくに誰かが探索してしまった可能性もある。

「それでも。少なくとも親父はここまで辿り着いてるんだ……」

 もう十年以上も前のウィリアム=クリフィスにすら及ばないのなら。

 なるほど確かに、俺には英雄の器がなかったのだろう。

 教会の見立ては正しかったことが証明され、俺のこれまでは今度こそ価値を失くす。

 逆を言えば、──証明しなければならないのだ。

 誰のためでもない。ほかでもない俺が、俺自身のために──これまでやってきたことは無駄ではなく、俺はまだ英雄に憧れていてもいいのだと。

 そう、証明する必要があった。

「…………」

 すっと、目を閉じる。これまでのことを思い出す。

『そうか! 君は、あの英雄の息子なのか!』

『君のお父さんは偉大な人だった。あの時代は本当に素晴らしかったよ』

『彼ほどの探索者はほかにいなかった。君も誇りに思っていい』

 父を称える言葉なら、それこそ何度も聞いたものだ。

 俺はこの街で生まれ育った。父親が英雄であると聞かされて、ならば俺は、父親以上の成果を生み出さなければいけないと思った。それが俺の、生まれてきた意味になると。

 だから努力を重ねてきた。

 圏外域に挑むこと以外の目的を捨て、そのために身につけられるもの全てを身に着けてきた。ちょうど予言が騒がれ始め、自分がその世代に該当するのだと知らされた。

 これだ、と思った。

 親父は英雄だ。人類で初めて、そして唯一、圏外域を人類の手に取り戻した男だ。

 けれどそれだけでもある。

 この広い星の、ほんのわずかな街ひとつ分。

 あの偉大な父親でさえ、取り返すことができたのはたったそれだけなのだ。

 人類は《前線の英雄》ウィリアム=クリフィスの死後、生存圏の拡張をほとんど諦めてしまっている。あの英雄でさえ圏外に散ったのなら、もうできることはないのだ、と。

 あとは予言の英雄に全てを任せてしまうべき。それが今の人類の結論だった。

 だからこそ。

 俺が、俺として、レリン=クリフィスとして身を立てるには、きっとそれ以上のことを成し遂げなくちゃ嘘だと思った。世界を救えるのなら、それ以上はないと思ったのだ。

 だが俺は、その五人の中には選ばれなかった。

 なれると信じて努力して、一番になって──だがそんなことはなんの意味もなかった。

 当然だろう。だって俺はまだ何ひとつ成し遂げていないのだから。

 思うだけでは足りない。実現して初めて成果だ。

 俺は、それを手に入れなければならない。

 少なくとも父は、誰に選ばれることもなく自らを英雄であると示してみせたのだから。

「……行こう」

 バックパックを背負う。

 武器に、携帯食料レーション安定剤スタビライザー小瓶アンプル。街の魔術師クリエイターが作った簡易用の貼付式癒術符ヒーリングテープ──魔術用の術式が込められており、傷口に貼っておくと少しずつ癒してくれる──等々。

 圏外域挑戦に必要なものは最低限、揃えてある。

 あとは俺に、その実力と才能があるかどうかの問題だけ。

 ──賭け金が俺の命だけなら、全てのハードルはクリアされている。


 こうして俺は、たったひとりでの圏外域挑戦を決意した。

 それがどうしようもない逃避であることを、頭の片隅では理解していながら──。

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