アキラくんと宙クン~小井崎村の巫女伝説~

双瀬桔梗

第1話 出会いと再会

──後世では、素敵な恋をして、愛する人と結ばれますように。



──わたくしは……誰もが愛する人と結ばれる世の中にしたい。ゆえに、人へは転生せず、神となることを決めました。

 わたくしは神として……人々と、いもうとの幸せを、心から願っています。






「…………なんか……ヘンなユメ、見た気がする……」

 クーラーのきいた畳の部屋で昼寝をしていたむらなかアキラは、木目の天井をぼぅと眺めながらそう呟いた。

 外から蝉の鳴き声と、子供達の「バイバイ!」という元気な声が聞こえてくる。

 アキラは少しの間、夢の内容を思い出そうとしたが結局、不思議な感じがしたということしか分からず、諦めて上体を起こした。少しタレ気味の目を擦り、大きく伸びをしてからアメピンで前髪を留める。そして、腰あたりに掛けられていた淡い紫色のブランケットを畳んで部屋の隅に置くと、階段を下りて一階のリビングへ向かう。

「あら、アキラ。起きたの」

「うん。ブランケット掛けてくれたの、ばあちゃんだよね? ありがとう」

 アキラはリビングに入ると、晩ご飯の支度を始めていた祖母にお礼を言った。


 大学三年生のアキラは現在、進路に悩んでいる。何がしたいのか分からず、考えるのも億劫になったことで、夏休みに入ると逃げるように祖父母の家に転がり込んだ。完全な現実逃避である。

 アキラはある年を境に、は父方の祖父母が住むさき村を訪れないようにしていた。しかし、実家から離れて過ごしたくなったアキラは数年ぶりに、というのに祖父母の家で長期滞在している。

 とは言え、進路のことをしっかり考えなくては……と思い、考えてみたものの、いつの間にか畳の上で眠っていた。

「ふふふ、気持ちよさそうに寝てたからねぇ」

「へへ……」

 祖母はほわほわと笑ってくれたが、アキラとしては進路について考えずに寝てしまった自分に対して、苦笑いを浮かべることしかできない。


「そういえば、じいちゃんは?」

「村の集まりに行ったよ」

「そっか。何か手伝うことある?」

「あ、だったら……」

 そう聞きながら自分用のエプロンを手に取ろうとしたアキラだったが、祖母が隣の部屋に向かったことで一旦、動きを止める。

「これ、お隣の文月ふづきさんのおうちに持って行ってくれるかい? この間、文月さんとこで採れたお野菜、たくさんもらっちゃったから、そのお礼にって」

「う、うん。分かった」

 アキラは内心、焦りながらも平然とした顔で、祖母から高級和菓子店の紙袋を受け取る。




 “文月”の表札をじっと見つめ、アキラはソワソワしていた。


 どうか、以外の人が出ますように……。


 アキラは心の中でそう願いながら、文月のインターフォンに手を伸ばす。

「ねぇ、お兄さん。うちになんか用?」

「うわ!」

 文月の庭の方から不意に幼い声が聞こえてきて、アキラは思わず小さな悲鳴を上げてしまう。大きく跳ね上がった心臓を落ち着かせつつ、声のした方を見ると、そこには小学生くらいの少年が立っていた。

 ショートマッシュの黒髪に、ブラウンの半袖Tシャツ、水色のハーフパンツにゴツめの青いスニーカーといった、“The 男の子”のような格好の少年である。身長は130cmを少し超えたくらいだろうか……手には青いベースボールキャップを持っていて、アキラを訝しげに見ている目はくりくりとしていて、可愛らしい。

「えっと、こんばんは。文月さんの……親戚の子かな? 俺はむらなかアキラです。文月さんの隣に住んでいる、邑中のじいちゃんとばあちゃんの孫だよ」

 アキラは中腰になって少年と目線を合わせ、警戒心を解こうと、自己紹介してから微笑む。

 どことなくに……特に、目元が似ていることに、気づいていないフリをして……。


「ふーん……それで、お兄さんはうちに何しにきたの?」

「実はばあちゃんに頼まれて、を持ってきたんだけど、文月さんのおじいちゃんか、おばあちゃんはいるかな?」

「二人は今、出かけてるよ。お母さんならいるけど」

「お、お母さん? そういえば、キミって――」

そら? 誰と話して……もしかして、アキラ君?」

 アキラの言葉を遮るかたちで、文月から出てきた一人の女性が、声をかけてきた。の名を呼ぶ、聞き覚えのある懐かしい凛とした声に、再びアキラの心臓が大きく跳ねる。

 背中に、やけに冷たい汗が伝う。顔を上げると、澄んだ大きな瞳の女性と目が合い、アキラの心拍数が上がる。

 不意に風が吹き、女性のこげ茶色の長い髪がなびく。薄っすら開かれた唇の近くにある黒子ほくろが、どことなく色っぽい。すっかり大人っぽくなってはいるが正真正銘、初恋のである女性に、アキラは思わず見とれる。

「……さん、久しぶり……です」

 ハッと我に返ったアキラはぎこちない笑みを浮かべ、よそよそしい感じで言葉を発する。名前を呼ばれた女性……文月ふづきの孫娘である莉子は、そんなアキラの態度を微笑ましく思ったのか、「ふふっ」と笑う。

「久しぶり、アキラ君。莉子だなんて……昔みたいに、“莉子ねぇ”って呼んでくれていいのに」

「いや、そういう訳にはいかないですよ……」

「も〜何その距離感! 敬語なのもくすぐったいし」

 莉子は昔と変わらない、ふわふわとした明るい雰囲気で笑う。

「俺も年齢的にはそこそこいい大人になりましたし、昔なじみの相手とは言え、さすがに敬語を使わないと……」

「相変わらずアキラ君は真面目だねぇ」

「いや、そんなことは……」

「何年振りだっけ? 背も高くなったね。今、何cmくらいあるの?」

「確か、十年ぶりくらいだと思います。身長は……多分、173cmです」

「もうそんなに経つんだね。身長も抜かされちゃったし、昔は全体的に可愛らしい感じだったけど、今ではすっかり男前さんだねぇ」

「いや、そんなことは……」

「確かもう大学三年生なんだよね? 邑中さんからちょこちょこ話は聞いて──」

、ぐいぐい行き過ぎ。お兄さん、困ってるじゃん」

 久々の再会に莉子の方はテンションが上がっているようで、嬉しそうに次々話を振ってくる。しかし、アキラの方は初恋をいまだに引きずっている上に、ずっと避けていた相手を目の前に、どうすればいいのか分からなくなっていた。

 その一方で少年は、アキラが反応に困っていることを察してくれたようで、莉子の白いブラウスの裾を軽く引っ張りながら声をかける。


「あ……ごめんね、アキラ君。久しぶりに会えて嬉しくてつい……」

「いえ……あの、それより、お母さんって……」

 莉子にぐいぐいこられたことよりも、少年の口から飛び出したワードに、アキラは動揺を隠せない。

「あぁ、そういえばアキラ君にはまだ、紹介してなかったよね。この子は息子のそら。宇宙のちゅうと書いて、“そら”って読むの」

 少年を……宙を見た瞬間から何となく予想はしていた、莉子の面影がある子だとも頭の隅で考えてもいた。だけど、アキラは無理やり気づいていないフリをしていたのだ。これ以上、失恋のダメージを受けないために。けれども、莉子の口からここまではっきり言われてしまったらもう、現実から目を逸らすことはできない。

「息子さん、いたんですね……」

「あれ? アキラ君のご両親やお兄さんから話、聞いてなかったの?」

「えぇ、まぁ……」

 厳密には全く聞いていなかった訳ではない。母親や五歳年下のが、そんな話をしていた気はする。しかし、アキラは莉子から、結婚すると聞かされた日を境に、本人だけでなく彼女に関する話題すらも徹底的に避けていた。アキラの恋心に薄々感づいていた父親と兄が、話を逸らしてくれたこともある。そのおかげで、莉子に関する“明確な”情報は、得ていなかったのだ。

 十一歳も年上のに対する一方的な淡い恋心は、告白する間もなく、が結婚したことで終わりを迎えた。そして、何年経とうと一向に失恋から立ち直れず莉子を避け続けた結果、“初恋の人の子ども”という更なる衝撃を、今更になって食らうことになったアキラの心は粉々である。


「宙、この子が前に話したアキラ君だよ。ほら、宙も挨拶して」

「……はじめまして、宙です」

 宙は無表情で、アキラにぺこりとお辞儀する。

「はじめまして……邑中アキラです……」

「お兄さんの自己紹介はさっき聞いたよ?」

「そういえばそうだね。ははは……」

「ねぇ、オレもお兄さんのこと、“アキラくん”って呼んでいい?」

「好きに呼んでくれていいよ~……」

 宙の問いかけに、アキラは弱々しく答える。呼ばれ方など元々、特に気にしていないアキラだが、今はそれどころではなさ過ぎて、仮に嫌だとしても拒否する気力もない。

 それ程までにショックを受け、好きな人の幸せを心から祝えない自分に対する嫌悪感も相まって、アキラの精神力はほぼゼロである。その所為で、宙の自己紹介のに、アキラは気づいていない。

「お母さん、アキラくんはお礼を持ってきてくれたんだってさ」

「お礼?」

 宙のその言葉に、そもそもの目的を思い出したアキラはほんの少しだけ気力を振り絞り、手に持っていた紙袋を莉子に差し出す。

「あの、これ……ばあちゃんが、野菜のお礼にって……」

「え、ありがとう! おじいちゃんとおばあちゃんに渡しておくね。今度、邑中さんにも直接、お礼を言わなくちゃ。アキラくんからもよろしく伝えてくれるかな?」

「はい……それじゃあ、俺はこれで……宙クン、バイバイ」

「バイバイ、アキラくん」

 どれだけダメージを食らっていても、基本的に子どもが好きなアキラは、ほぼ無意識の状態で宙に手を振っていた。宙は相変わらず無表情で、アキラに手を振り返す。


「アキラくん! ちょっと待って」

 フラフラと歩き出したアキラだったが、莉子に呼び止められ、振り返る。

「はい……どうしたんですか?」

「その……さき村にはいつまでいる予定なの?」

「多分、夏休みいっぱいはいると思いますけど……」

「そっか……あのね、だったら一つだけお願いがあるんだけど……いいかな?」

「え……まぁ、俺にできることなら……」

 莉子からの突然の“お願い”に、アキラは思わず身構える。


 何を頼まれるか分からなくてドキドキしているのであって、莉子さんに真っ直ぐ見つめられているからではない!


 そんな、誰に向けて言っているのか分からない言い訳を心の中でしつつ、アキラは莉子の言葉を待った。

「その、アキラくんが良ければなんだけど、たまにでいいから宙と遊んでくれないかな? 今年の四月に、この村のさき小学校に転校してきたばかりで、まだ友達もいないし……私やおじいちゃんとおばあちゃんが仕事の日は一人にしてしまうこともあるから……宙のこと、お願いできないかな?」

 全く予想していなかった莉子からのお願いに、アキラは一瞬、ポカンとする。少し複雑な感情はあるものの、嫌という訳ではなかったため、「宙クンがイヤでなければ、俺は全然構いませんよ」と返事する。しかしすぐに、あれ? と思った。

「ありがとね、アキラくん」

「いえ……ただ、あの……転校してきたって、今はさき村に住んでいるんですか?」


 それに、旦那さんは一緒じゃ――


 アキラは続けてそう問いかけようとしたが、何となく“旦那さん”という言葉を口にしたくなくて飲み込む。そんなアキラの心情に気づいていなさそうな莉子は、少し離れた場所にいる宙の方をチラッと見てから、声を潜めた。

「実はね……私、旦那と離婚したの」

「へ……」

 莉子のその言葉に、アキラは唖然とすることしか出来なかった。

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