アキラくんと宙クン~小井崎村の巫女伝説~
双瀬桔梗
第1話 出会いと再会
──後世では、素敵な恋をして、愛する人と結ばれますように。
口元の右側にほくろがある、柔らかな雰囲気の巫女が神社の前で祈った。彼女の微笑みには少しの憂いが含まれているものの、瞳には確かな期待と希望が宿っており、とても澄んでいて綺麗だ。その隣には彼女の姉である、同じく巫女の女性が手を合わせいる。姉は凛とした雰囲気を纏い、揺るぎない瞳で真っすぐこう願った。
──
「……んー……なんか……ヘンなユメ、見た気がする……」
クーラーのきいた和室で昼寝をしていた
外からは蝉の鳴き声と、子供達の「バイバイ!」と言う元気な声が聞こえてくる。
アキラは少しの間、夢の内容を思い出そうと、天井を眺め続けた。だが結局、不思議な夢だった事以外は思い出せず、諦めて上体を起こす。少しタレ気味の目を擦り、大きく伸びをしてからアメピンで前髪を留める。そして、腰あたりに掛けられていた淡い紫色のブランケットを畳んで部屋の隅に置くと、階段を下りて一階のリビングへ向かう。
「あら、アキラ。起きたのね」
「うん。ブランケット掛けてくれたの、ばあちゃんだよね? ありがとう」
アキラはリビングに入ると、晩ご飯の支度を始めていた祖母にお礼を言った。
大学三年生のアキラは現在、進路に悩んでいる。何がしたいのか分からず、考えるのも億劫になった事で、夏休みに入ると逃げるように祖父母の家に転がり込んだ。所謂、現実逃避である。
アキラはある年を境に、夏と冬は父方の祖父母が住む
「ふふふ、気持ちよさそうに寝てたからねぇ」
「へへ……」
祖母はほわほわと優しく笑ってくれたが、アキラは進路について考えずに寝てしまった自分に対して苦笑いを浮かべる事しかできない。
「そういえば、じいちゃんは?」
「村の集まりに行ったよ」
「そっか。何か手伝う事ある?」
「あ、だったら……」
アキラは自分用のエプロンを手に取ろうとしたが、祖母が隣の部屋に向かった事で一旦、動きを止める。
「これ、お隣の
「う、うん。分かった」
アキラは内心、焦りながらも平然とした顔で、祖母から高級和菓子店の紙袋を受け取る。
隣の家の前までやってきたアキラは『文月』の表札をじっと見つめたまま、数十秒程ソワソワしていた。
――どうか、莉子ねぇ以外の人が出ますように……。
アキラは心の中でそう願いながら、文月
「ねぇ、お兄さん。うちになんか用?」
「うわっ!」
文月
その少年はショートマッシュの黒髪で、ブラウンの半袖Tシャツと水色のハーフパンツを身につけている。靴はゴツめの青いスニーカーを履いており、全体的に『The男の子』のような見た目だ。身長は百三十センチを少し超えたくらいだろうか。手には青いベースボールキャップを持っており、アキラを訝しげに見ている目はくりくりとしていて可愛らしい。
「えっと……こ、こんばんは。文月さん
アキラは中腰になって少年と目線を合わせ、彼の警戒心を解こうと自己紹介してから微笑む。誰かにどことなく……特に目元が似ている事に、気づいていないフリをして……。
「ふーん……それで、お兄さんはうちに何しにきたの?」
「実はばあちゃんに頼まれて、
「二人は今、出かけてるよ。お母さんならいるけど」
「お、お母さん? そういえば、キミって――」
「
アキラの言葉を遮るかたちで、文月
不意に風が吹き、女性のこげ茶色の長い髪が
「……
ハッと我に返ったアキラはぎこちない笑みを浮かべ、よそよそしい感じで言葉を発する。名前を呼ばれた女性……
「久しぶり、アキラ君。莉子さんだなんて……昔みたいに、『莉子ねぇ』って呼んでくれていいのに」
「いや、そういう訳にはいかないですよ……」
「も〜何その距離感! 敬語なのもくすぐったいし」
莉子は昔と変わらない、ふわふわとした明るい雰囲気で笑う。
「俺も年齢的にはそこそこいい大人になりましたし、昔なじみの相手とは言え、さすがに敬語を使わないと……」
「相変わらずアキラ君は真面目だねぇ」
「いや、そんな事は……」
「こうやって会うのは何年振りだっけ? 背も高くなったねぇ。今、何センチくらいあるの?」
「確か、十年ぶりくらいだと思います。身長は……多分、百七十三センチくらいです」
「もうそんなに経つんだね。身長も抜かされちゃったし、昔は全体的に可愛らしい感じだったけど、今ではすっかり男前さんだねぇ」
「いや、そんな事は……」
「確かもう大学三年生なんだよね? 邑中さんからちょこちょこ話は聞いて──」
「お母さん、ぐいぐい行き過ぎ。お兄さん、困ってるじゃん」
久々の再会に莉子の方はテンションが上がっているようで、嬉しそうに次々話を振ってくる。けれどもアキラの方は初恋をいまだに引きずっている上に、ずっと避けていた相手を目の前に内心、どうすればいいか分からず戸惑う。その一方で少年はアキラが反応に困っている事を察してくれたようで、莉子の白いブラウスの裾を軽く引っ張りながら声をかける。
「あ……ごめんね、アキラ君。久しぶりに会えて嬉しくてつい……」
「いえ……あの、それより、お母さんって……」
莉子にぐいぐいこられた事よりも、少年の口から飛び出したワードにアキラは動揺を隠せない。
「あぁ、そういえばアキラ君にはまだ紹介してなかったよね。この子は息子の
アキラは少年を……宙を見た瞬間から莉子の面影がある子だと、きっと彼は彼女の息子だろうと、頭の隅では考えていた。だけどアキラは無理やり気づいていないフリをしていたのだ。これ以上、失恋のダメージを受けないために。けれども、莉子の口からここまではっきりと言われてしまってはもう、現実から目を逸らす事はできない。
「息子さん、いたんですね……」
「あれ? アキラ君のご家族から話、聞いてなかったの?」
「えぇ、まぁ……」
厳密には全く聞いていなかった訳ではない。母親や五歳年下の
十一歳も年上の
「宙、この子が前に話したアキラ君だよ。ほら、宙も挨拶して」
「……はじめまして、文月宙です」
宙は無表情で、アキラにぺこりとお辞儀する。
「はじめまして……邑中アキラです……」
「お兄さんの自己紹介はさっき聞いたよ?」
「そういえばそうだね。ははは……」
「ねぇ、オレもお兄さんのこと、『アキラくん』って呼んでいい?」
「好きに呼んでくれていいよ~……」
宙の問いかけに、アキラは弱々しく答える。呼ばれ方など元々、特に気にしていないアキラだが、今はそれどころではなさ過ぎて仮に嫌だとしても拒否する気力もない。それ程までにショックを受け、好きな人の幸せを心から祝えない自分に対する嫌悪感も相まって、アキラの精神力はほぼゼロである。その所為で、宙の自己紹介の違和感にアキラは全く気づいていない。
「お母さん、アキラくんはお礼を持ってきてくれたんだってさ」
「お礼?」
宙のその言葉に、そもそもの目的を思い出したアキラはほんの少しだけ気力を振り絞り、手に持っていた紙袋を莉子に差し出す。
「あの、これ……ばあちゃんが、野菜のお礼にって……」
「え、ありがとう! おじいちゃんとおばあちゃんに渡しておくね。今度、邑中さんにも直接、お礼を言わなくちゃ。アキラくんからもよろしく伝えてくれるかな?」
「はい……それじゃあ、俺はこれで……宙クン、バイバイ」
「バイバイ、アキラくん」
どれだけダメージを食らっていても、基本的に子どもが好きなアキラは無意識に宙に手を振っていた。宙は相変わらず無表情で、アキラに手を振り返す。
「アキラくん! もう少しだけ時間、大丈夫……?」
フラフラと歩き出したアキラだったが、莉子に呼び止められた事で内心、少しだけドギマギしながらも振り返る。
「はい……どうしたんですか?」
「えっと……
「多分、夏休みいっぱいはいると思いますけど……」
「そっか……あのね、だったら一つだけお願いがあるんだけど……いいかな?」
「え……まぁ、俺にできる事なら……」
莉子からの突然の『お願い』に、アキラは思わず身構える。
何を頼まれるか分からなくてドキドキしているのであって、莉子さんに真っ直ぐ見つめられているからではない!
誰に向けて言っているのか分からない言い訳をアキラは心の中でしつつ、莉子の言葉を待った。
「その、アキラくんが良ければなんだけど……たまにでいいから宙と遊んでくれないかな? 今年の四月にこの村の小学校に転校してきたばかりで、まだ友達もいないし……。私やおじいちゃんとおばあちゃんが仕事の日は、宙を家で一人にしてしまう事もあるから……。宙の事、お願いできないかな……?」
全く予想していなかった莉子からのお願いにアキラは一瞬、ポカンとする。それから少し複雑な感情はあるものの嫌ではなかった為、すんなり「宙クンがイヤでなければ、俺は全然構いませんよ」と返事する。しかしすぐに、『あれ……?』と思った。
「本当に……? 迷惑じゃない?」
「大丈夫ですよ。俺、子ども好きですし」
「無理言ってごめんね。ありがとう、アキラくん」
「いえ……ただ、あの……転校してきたって、今は
それに、旦那さんは一緒じゃ――
アキラは続けてそう問いかけようとしたが、自分から莉子の旦那については触れたくなくて、言葉を飲み込む。そんなアキラの心情に全く気づいていなさそうな莉子は、少し離れた場所にいる宙の方をチラッと見てから声を潜めてこう言った。
「実はね……私、旦那と離婚したの……」
「へ……」
莉子のその言葉に、アキラはただただ唖然とする事しか出来なかった。
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