04.永遠に私一人と誓ってくださいますか?
急いで控え室に行くと、そこにはリカルドが待ち構えていた。
まだ着替えておらず、タキシード姿のままだ。リカルドファンにはこれは堪らない。
「入ってくれ」
促されるまま中に入ると、椅子を勧められた。
「さっきの劇は、真実なのですね?」
ルティアは座るのももどかしく声を上げ、リカルドは頷いた。
「ああ、登場人物の名前こそ変えてはいるが、全て真実だ。ルティアは二人の策略にまんまと嵌ってしまったな」
「っく! フルックめ! それにその女……本当はなんという名前だ!?」
ルティアの代わりにアイナが大いに怒り、声を上げてくれる。
「ノーラという、末端区出身の女だ」
「ノーラ……」
「知っているのですか、嬢様?!」
「いいえ、初めて聞きました。どのような女性なのですか?」
「劇で見た通り、顔は美しいが腹の黒い女だ。まぁそんな女に引っ掛かる男は、その程度だったと諦めた方がいい」
リカルドの言葉にルティアは視線を下げた。悔しいが、そのノーラという女にフルックを取られてしまった事実は変わらない。
「私がもっと、美しければ……」
つい、愚痴のような言葉が飛び出してしまって、慌ててルティアは口を噤む。
「大丈夫だ。あんな腹黒女よりもルティアの方が余程……」
リカルドの言葉がそこで止まり、ルティアは驚いて顔を上げた。
「私の方が……なんですか?」
「……いや、なんでもない」
残念ながらリカルドの眼鏡が反射して、彼の瞳を見ることは叶わない。
今の言葉を、最後まで聞いてみたかった。その先を想像して、勝手に鼓動が高鳴っていく。
まさかあの後の言葉が『余程腹黒だ』とは続かないだろう。きっと良い言葉を言ってくれたに違いないというのに。
彼の痺れるような低音ボイスで『綺麗だ』なんて言われたら、卒倒ものに違いない。
「ルティア嬢様? どうされたんです」
心の中でキャーキャーとミーハーな黄色い悲鳴を上げていたら、アイナに不思議そうな目で見られてしまった。ルティアはスンッと顔を繕い、「大丈夫です」とすました笑みを見せる。
「しかし、こんな劇をして大丈夫なのですか? 観客もいつもと違うテイストの劇に騒めいていましたし、なによりこれは真実なのです。きっとすぐにこの噂は町中に広がってしまうでしょう」
「もちろん、『この物語はフィクションであり、実在の人物、団体とは一切関係ありません』で押し通すから、そのつもりでいてほしい」
「それは……無理があるのでは」
「フ、それが狙いだからな」
リカルドの眼鏡がキラリと反射する。能面な上に目も見えないが、なぜか彼はすごく楽しんでいるように思えた。
「ルティアは全て私に任せていればいい。大丈夫、絶対に悪いようにはしない」
その心に響くような低い声は、ルティアに安心感を与えてくれる。この人ならば絶対に大丈夫だと、盲目的なほどに。
「わかりました。リカルド様を信用します。なにか策があると仰るなら、それに従います」
「すでに準備は整っている。それが成功した暁には……わかっているな?」
「はい。リカルド様が望むことで私にできることなら、なんでもするというお話ですね」
「覚えているならばそれでいい」
「……嬢様……」
やはりアイナは不安そうにこちらを見ている。そんな彼女に安心感を与えてるため、ルティアはにっこりと微笑んでみせた。
ルティアはひとつの覚悟を決めていた。
もしもリカルドの策が成り、ユリフォード家が潰れずに済んだならば。
リカルドのどんな要求でも受け入れようと。
どれだけ無茶な要求であっても、決して否とは言うまいと心に決めた。
どうせこのままでは両親や使用人を巻き込んで路頭に迷う身である。
策が成功したとしても、彼の采配一つでまた皆を地に貶めるようなことになるのなら、機嫌を損ねぬように全ての要求を受け入れる方が無難であろう。
なにを言われるのか、確かに怖くはある。
が、リカルドの要求なら、どんなことでも受け入れられる気がした。
「これから二週間、この公演が続く。観るのもつらいだろうが、毎日ここに通ってくれ」
「わかりました。リカルド様が仰るなら、そう致します」
そう答えると、リカルドはそっとルティアの頭に手を乗せてくる。
「心配するな。必ず俺が、何とかしてみせる」
「…………俺?」
ルティアは誰にも聞こえぬような小さな声で復唱した。
彼の一人称は『私』ではなかっただろうか。
リカルドの手が頭から滑り降りると、今度は頬を撫でられる。
その温かく大きな手。
ルティアはうっとりと彼を見上げた。
眼鏡の奥の瞳が、優しく細められている。
リカルドの心からの言葉と表情を見た気がして、ルティアの頬は勝手に赤く染まっていく。そして鼓動は自然と高鳴るのだった。
***
劇団タントール太陽組の公演が始まって五日が経過した。
思った通り、噂はあっという間に広がり、タントールに設置されているアンケートボックスには溢れんばかりに紙が詰め込まれていた。ルティアもアンケートはよく書くが、こんな状態になったのは見たことがない。それだけ今作の反響が大きいのだろう。
「あれから五日……リカルドはなにをするつもりなのかな」
アイナが独り言のようにポツリと呟く。
相変わらずの最前列の席で、五度目となる劇を見ていた。
アイナは毎回付き合ってくれていて、観終わるたびに憤慨している。ルティアも物語として観るとむかっ腹が立ってくるので、最近はリカルドの表情だけを注視するようにしていた。そうすると苛立ちは薄れ、むしろニマニマとしてしまう口元を隠すのが大変なくらいだった。
物語は今日も、あの日の場面へと差し掛かる。
ルティアがアイナを庇い、婚約破棄を言い渡すシーンだ。
そして上手く行ったと娘と青年が喜び合う。
この後はまた、女優とリカルドのキスシーンである。またあのシーンを見なければならないのかと思うとげっそりしたが、この日は違っていた。
「なんだ、この劇は!! 陰謀だ!!」
突如そんな声が響き渡り、観客は一斉にその声の主に向けられた。
観客席の真ん中で、一人の男が立ち上がっている。それを諌めようとしているのか、隣にいた女が縋るようにしがみついていた。
「フルック……」
「嬢様、今は隠れて」
立ち上がろうとするルティアをアイナが抑えてくれ、なんとか思い留まった。
フルックは怒髪天を突く勢いで舞台に向かって吼えたてている。
「貴様ら、こんな劇をして、ただで済むと思っているのか!?」
「お客様、なんのことでしょうか? これはただの物語ですが」
リカルドが演技をやめ、舞台上から飄々と答えている。見ているこっちの方がドキドキと肝を冷やした。
「ふざけるな!! これは俺とノーラの話じゃないか!! 人権侵害もいいところだ!! 訴えてやるからなっ」
「フルック様ッ!!」
隣にいた女……恐らくはノーラが、青ざめてフルックの腕を揺すっている。
それを見て、リカルドはニヤっと笑っていた。
「はて、これはフィクションのはずなのですが、お心当たりがあると? つまり貴殿は不正をして推薦状を手に入れ、元婚約者を陥し入れたことを認めたわけですな」
「っな!!」
フルックは怒りで赤らめていた顔を一瞬にして青ざめさせた。隣にいるノーラは顔を真っ白にさせて、フルックとリカルドを交互に睨んでいる。
「ガルシア家嫡男の元婚約者と言えば……そこにいる、ルティア・ユリフォードでしたな」
名指しされてルティアはスックと立ち上がる。差し伸べられたリカルドの手を取るとグイッと引っ張られ、腰を抱かれて舞台に上げられた。
そしてリカルドの隣に立ったまま、まっすぐにフルックを見つめる。
「この物語は偶然にも真実と重なってしまっているという話だが、ルティア嬢にも心当たりが?」
「私にはこの話が真実だなどと断定はできません。しかし我がユリフォード家は現在、そこにいるフルック・ガルシアに多額の金銭を要求されているのは事実です。そこにはユリフォード家を潰そうとする悪意すら見えるほどに」
「ルティア!! そんな、僕は……っ」
元婚約者が名を叫んできたが、その口から自分の名前を聞くことすらおぞましかった。
身震いしていると、耳元で「上手いぞ」と低音ボイスがくすぐるように聞こえてくる。ルティアはこみ上げる笑みを抑えて、冷徹な瞳をフルックに向けた。
それを後押しするかのように、リカルドが声を上げる。
「疑わしき事実があるのなら、帝都憲兵隊に引き渡すまで拘束する」
「な、たかが劇団員が……」
「私はこうみえても、本業は騎士なのでな。少しの悪事も見逃すことはできない」
舞台袖から劇団員の一人が剣を投げる。リカルドはそれをパシッと受け取ると、シュタッと舞台から飛び降りた。
リカルドが近付くにつれて、フルックの顔は情けなく歪み始める。
「違う! 僕が言い出したんじゃない! ノーラが……」
「私は関係ないわ! こんな人、赤の他人よ!!」
「そんな! 君のせいで僕の家も傾き始めたっていうのに! 準貴族の地位を手に入れたら、僕はお払い箱なのか?!」
「近寄らないで! 私は、私はなにも関係ない──」
ノーラはフルックの手を振り払い、一心不乱に逃げようと会場の出口へと向かっている。
「デニス! キアリカ!」
「おう!」
「任せて!」
リカルドがそう叫ぶと、私服の騎士がどこからか現れてノーラを取り押さえる。二人に両脇を抱えられたノーラは、憎々しげにリカルドを睨んでいた。
「貴様も重要参考人として連行する。諦めろ」
その言葉に観念したかのように、ノーラはガックリと肩を落としている。そしてフルックも事態に呆然としているようだった。
最前列にいたアイナが動き出し、リカルドの元へと向かっている。
「私がフルックの身柄を帝都憲兵隊に引き渡そう。リカルドは、嬢様を頼む。いつまでも舞台に立たせないでやってくれ」
と言ったかどうかはわからないが、リカルドとアイナは入れ替わり、彼は再びヒョイと上って舞台へと戻ってきた。
リカルドは「幕引きだ」と一言ルティアに耳打ちすると、大仰に跪く。
「嗚呼! 僕はどうかしていた! あの娘に……いや、魔女に唆かされていたのだ! どうか……どうか、許してほしい!」
あまりの変わり身の早さに逡巡するも、ルティアは彼の意図を理解して己も言葉を紡ぐ。
「心を入れ替え、永遠に私一人と誓ってくださいますか?」
「誓おう! 僕の身に、どんな悪魔が囁いてきたとしても、決してあなたを裏切ることはしないと!」
「リカルド様……!」
青年の名前をど忘れして、つい彼の本名を口走ってしまった。しかしリカルドは動じずにルティアを強く抱き締める。
「ああ、君が望むなら、僕は今からリカルドという名に変えることすら厭わない!」
「ありがとう、リカルド様……」
「結婚しよう! 今すぐにだ!」
「は、はい!」
リカルドに手をグンっと引っ張られる。そうして舞台袖に移動したルティアは、リカルドから他の女性の役者へと引き渡された。
「急いで着替えさせろ! 時間がないぞ!」
そう言いながらリカルドは己の服を脱ぎ捨てている。ルティアは布だけ掛けられた簡易の更衣室に連れて行かれて服を着替えさせられた。真っ白な、ウエディングドレスへと。
「着替えたか!? 行くぞ!」
タキシード姿のリカルドと純白ドレスを着たルティアが、再び観客の前へと姿を現す。
鳴らされる教会の鐘。
交わされる誓いの言葉。
「もう君なしではいられない。ずっと僕のそばにいてほしい」
「あなたの愛がある限り、私はお側におります」
「約束する。必ず」
そしてリカルドの手の平が、ルティアの頬に乗せられる。次は、あのシーンだ。
ルティアはギュッと目を瞑る。胸が破裂しそうだった。
こんなに緊張したことなど、未だかつてない。
「ルティア……」
観客の誰も聞こえぬ声でそう言ったかと思うと、ルティアの唇は優しく塞がれた。
「ん……っ」
わかっていても驚いてしまい、ルティアは逃げるように首を竦める。すると腰を抱かれて、今度は強くキスされてしまった。
ルティアの体の力は抜け、その初めての感触を受け入れるように、リカルドに身を任せた。
場内は拍手の嵐で満たされていた。
この注目される高揚感。
なんとも言えぬ快感がルティアの体を突き抜けて行く。
ふと見ると、フルックとノーラが悔しそうにこちらを見ていた。
そして二人は騎士たちに連行されて場内から出て行く。
それを見届けることでルティアはようやく安堵の息を吐き、心の底から笑うことができたのだった。
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