第十六話

 会社員のRさんには1つだけ苦手なものがある。

 それは日常ではあまり見かけない方だが、見かけるときはよく見かけるものだという。

 これは、トラウマになったその『あるもの』にまつわる話。




 Rさんが小学生であった頃は、授業中、先生に見つからないようにこっそりと手紙を回す遊びが流行っていた。

(○○ちゃんのとこにお願い・・・)などと耳打ちして、伝言ゲームのように隣から隣へと手紙を回すのであった。


 当時の子供らからすると、私語が禁止されている授業中、先生の目を盗んで悪事を共有するスリルとなんらかの優越感がたまらないものであっただろう。


 さて、ここで回される手紙には様々な折り方があるのだが、あるときRさんに回ってきたソレは、折り紙でいう『やっこさん』であった。

 思えば手紙回しで『奴さん』が使われることはほぼない。


 ソレはまえの席にいるNちゃんから然り気なく回ってきたのだが、「よろしく」といわれただけで誰に渡せばいいのか分からない。

 宛先でも書いてあるかもしれないと、裏返しのまま渡された『奴さん』を表に返す。


 なんの変哲もない奴さん。ただし、その顔の部分には黒々とした筆跡で一文字だけ書かれていた。

 これはいったいなんなのか。

 視界がその一文字に吸い寄せられていく。

 そのままじーっとしていると、違和感となにかが脳裏に浮かび上がってくる。



 それが分かりそうで分からない。

 なんだかモヤモヤした気持ちを抱えてもなお、Rさんはソレを注視ししつづけた。


 すると、ふっ・・・と脳裏の映像に男の後ろ姿が降りてきた。


 そして気づいた。

 手紙を渡してきたまえの席。

 Nちゃんは今日は休みなのに、いったい誰がここに座っているんだ?


 その途端、顔のなかの男が振り返ってきて、その顔が大きく浮かび上がってきた。


「ばあ!」


 頭のなかで響く男の大声と、現状に理解が追いつかずパニックになったRさんは思わず叫び声をあげた。


 そのあと、様子がおかしいということでRさんは保健室につれていかれた。

 のちに何があったのかを話したが、誰もが彼の話を理解し得ないのであった。


 それからRさんはある漢字が嫌いになった。

 その一文字をみていると、そこからあの男の顔が浮かび上がって来るようになったから・・・だという。




 Rさんが嫌っているという漢字。

 それは『婢』であった。


 酔った勢いとはいえ、見ず知らずの男に、ペラペラと自身のトラウマを語る男。

『日常ではあまり見かけない方だが、見かけるときはよく見かけるもの』



 見かけるときにはよく『婢』を見かける。

 そんな日常をおくる目の前の男はいったい何者なのか。

 私はそそくさと飲み屋の席を後にした。

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