第十二話
一人暮らしのMさんの体験。
盆休みも開け、再び仕事、仕事、仕事に追われるなかでMさんは重大な問題に直面していた。『寝不足』である。
休み明けで体がついていかないだけならまだマシであった。
これが真夜中に上の階からドタドタと足音がして起こされるのである。
暑さと疲労から寝つきが悪いなか、騒音も加わるとたまったものではない。
問題は早期に解決すべきということで、マンションの大家さんへの相談をすっ飛ばして、休日の昼間に1つ上の階に向かいチャイムを鳴らした。
出てきたのは、夜中には暴れるようにはみえない中肉中背の初老の男性であった。
一瞬、驚きと躊躇いで戸惑ったが、「暑いのでなかにどうぞ」といわれて気を取り直す。
そうして玄関で丁寧に苦情とお願いの申し立てをした。
その会話のなかで、男性はしきりに「申し訳ありません・・・申し訳ありません・・・」と本当に申し訳なさそうに弱弱しく口にするのだが、かえってそのオウム返しのような反応にMさんの堪忍袋は切れる寸前だった。
暑さと寝不足と怒りのせいで我を失いそうになるところを、冷静になろうと必死に抑える。
そんななかで目にする男性の姿をよくみると、全身長袖であることに気づいた。
盆が明けて8月も後半といえど、夏真っ盛りである。
その異変に気を取られて、うわの空で訴えを話し終えると、男性は
「それは誠に申し訳ありませんでした。私からもしっかりさせておきます」
と、深々とお辞儀をした。
その腰を曲げたことで、小さくなった弱弱しい背中をみると、Mさんも黙ってお辞儀せざるを得なかった。
なんだが逆にやりくるめられたような不思議な感覚で男性の部屋を後にし、自室に戻っていくなかで、もう一つの違和感に気づいた。
最後にお辞儀をしたときにみえた男性の素足。
それが歯型の跡でいっぱいになっていた。
それからすぐにMさんは住んでいたアパートを引っ越した。
「きっと油断していたんでしょうね。普段から全身の歯型の跡を隠すために全身長袖でいたけど、そのときたまたま靴下だけ忘れていたんじゃないでしょうか。あの年は暑かったですし・・・」
Mさんが寝つきが悪かった理由はもう1つあった。
『知らない子供をあやしていると、その子供に思いっきり噛みつかれる』
毎晩そんな悪夢にうなされているところで、上からの足音で起こされていたそうだ。
奇譚-足-
各話原題『泥跡』、『栗、ぐりぐり』、『足噛み』
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