ピアノの日


 ~ 七月六日(水) ピアノの日 ~

 ※縷縷綿綿るるめんめん

  進展も結論もない話が幾度も繰り返される




「昨日は優太がひどいことしちゃったから! お詫びの意味を込めて!」

「いや。だからと言ってその手はなんだ」


 いつも笑顔なきけ子のポーズ。

 掃除用具入れにおいでませ。


 階段下のデッドスペース。

 積み上げられた、廃棄待ちの掃除用具入れたち。


 そんな、俺の秘密基地を背に。

 この無神経な危機感ゼロ女は。


 二人で入ろうとしているわけなんだが。


「優太から事情は聞いてるからね! 秋乃ちゃんへの告白、あたしがばっちりサポートするわよん!」

「それは心強いが……、一つ聞いていいか?」

「なあに?」

「その甲斐の姿が朝から見えんのだが」

「心配ないない! ほら、お仕置きと言えばやっぱ北でしょ?」


 なにが北なのかさっぱり分からんが。

 心配すべき案件だってことはよく分かる。


「お前、甲斐にどんな試練を与えたんだよ……」

「ほれもたもたしない。秋乃ちゃんが戻って来るまで三十分くらいしかないんだから」


 そして秋乃にも駅向こうの店までのお買い物という指示を出して。

 密談時間を作ってしまうとか頼もしいことこの上ないのだが。


 万が一、二人でロッカーに入ってるとこ見られたら。

 秋乃どころか、甲斐にも誤解されちまう。


「今日は清掃用具入れはいい。小声で話そう」

「あらそうなの? じゃあ早速アドバイスしたげようかしら」

「よろしくお願いいたします」

「保坂ちゃんが作った愛の歌を大きな声で歌ってあげればいいのよん!」

「……こら。この下げた頭が戻る前に後悔させるとはどういう了見だ?」


 ふざけるな。

 そんな恥ずかしい真似できるわけないだろ。


「ピアノ弾きながら」

「嫌だの上に無理だを重ねられても」

「絶対上手くいくのに」

「絶対嫌だと言っている」


 聞いたことねえよそんな告白。

 恥かく上に、秋乃だってどんびきだ。


「なんで嫌なのよ」

「歌は苦手だし。そもそも歌詞が思いつかない」

「名前の連呼でいいじゃん」

「いいわけあるか」

「大きな歌声で名前を何度も呼ばれたら、キュンと来る」

「それはお前がどエスだからじゃないのか?」


 口を尖らせてもダメだ。

 罰ゲームさせて楽しもうとしてるだけだろ。


 でも待てよ?


 たしか、甲斐が校庭からでかい声でこいつの名前呼んで……。


「……甲斐が、お前に恥ずかしいこと叫んでたことあったな昔」

「うん! お誕生日の時! あれ嬉しかったのよん!」

「やっぱどエスだとしか」

「違うわよ! 大声で名前呼ばれただけで、びっくりとドキドキの狭間でキュンとするの!」

「なるほど。つり橋効果的なやつか」

「壁ドン的なやつよ!」


 壁ドンか。

 歌はともかく、これはいいアドバイスを貰ったかも。


「参考にさせてもらおうかな……」

「でしょ? やっぱラブソングよ!」

「てことは、甲斐もラブソング歌ったのか? お前を口説く時」

「いやよなにそれ気持ち悪い」

「貴様が俺にやらせようとしてることと違うのか?」


 あ、そうかじゃねえしテヘペロじゃねえし秋乃ちゃんならドン引き間違いなしなのねんじゃねえ。


「やっぱ遊んでるだけじゃねえか!」

「あはははは! そんなこと無い無い!」

「信じられるわけあるか! 他の技を教えろ。真面目に」

「真面目なのよん! 呼んでみなさいよ、名前」

「嫌です」

「大声で呼んだことないの?」

「大声でしかりつけたことしかない」

「じゃあもうアドバイスなんかないわ」

「少ないなお前のポケット!!」


 なんて無駄な時間!

 だったらせめて……。


「例が欲しい。お前がどんなセリフで甲斐に口説かれたのか教えてもらおう」

「うぐ……。ちょ、それは恥ずい」

「俺に歌を歌わせて笑いものにしようとした罰だ。教えやがれ」

「さすがに恥ずかしいから! ちこう!」

「ああ、はいはい」


 さすがにここじゃ無理な話か。


 きけ子に手招きされるがまま。

 ロッカーの中に入ったが。


 こいつは本題を誤魔化そうと。

 無駄な抵抗を始めたのだった。


「ポケットって何?」

「そんなのはいいから。甲斐が何て言ったのか聞かせろよ」

「男子よりポケット多いのよん、女子は」

「え? そうなの?」

「必要なものは胸の谷間に挟んでおけばいいからねん!」

「まな、そういうことを女子が平気で言うな」

「…………いま、なんて言いかけた?」


 しまった。


 無駄話に乗ったのも失策だが。

 勢いに任せてえらいこと口走っちまった。


「まな、の後に続く二文字は何?」

「そんなこと言ってねえ」

「ほんとに? ウソだったら……」

「ウソだったら?」

「北よ?」

「…………………………この度はまことに申し訳ございませんでした」


 暗闇でも手に取るようにわかる。

 今、目の前には髪を逆立てて爆発寸前の女子が一人。


 でも、素直に謝ったのが功を奏したようで。

 次第に怒りのボルテージが下がっていくと。


 がさごそと。

 自分のまな、もとい。


 胸部をぺたぺた触り出した。


「秋乃ちゃんくらいあったらな、乳脂肪分」

「そう悲観するな。低脂肪乳だって需要があるから商品になってるわけだし」

「だれが低脂肪乳だ」

「重ね重ね申し訳ございません」

「でも……、やっぱ大きい方がいいでしょ?」

「身長とのバランスとかもあるだろ」

「……ほう? 否定はしない、と」


 さすがはきけ子。

 普段はまるで人の話聞きゃしないのに。


 こういうところは鋭くていらっしゃる。


「いや、勘違いするな。そういう話は関係なくて、俺にとっての人間の尺度的なものはだな。やっぱりこう、中身が大事だとそう思」

「シャラップ。……結果、被告人にとって大切なのは内容量だと。そう言いたい?」

「……………………弁護士から返答させます」

「肯定の返答なのよな、それ」

「黙秘権を行使する」


 ええい、うまく逃げられたな。

 そんなに話すのが嫌なのか?


 それなら、よっぽど恥ずかしいこと言われたんだと推理できるんだけど。


 だとしたら聞いたところで俺に言えるはずもない。


「……やっぱ、他の奴に相談するか」

「それは心外! だいじょぶ任せといて! 秋乃ちゃんの東半球と西半球は、必ず保坂ちゃんの物にするから!」

「例えのバリエーションが豊富だな」

「あのマクデブルクの半球を保坂ちゃんの手に!」

「真空にする気か。あと、声がでかい」

「だいじょぶよ! こんなとこに来る人なんているわけが……」



 コンコン



「いるわけが……」



 コンコン



「…………お先に失礼します」

「こら逃げんな!!!」


 扉を開けて一目散。

 逃げるきけ子がかいくぐった白い手の持ち主は。


「お早いお帰りで」


 もちろん、まな板の上に盛られたチャーハンの持ち主。

 舞浜まいはま秋乃あきの


「さて、こんな密室で何の話をしていたのか、正直に教えてもらいましょうか……」

「ピ……」

「ぴ?」

「ピアノを弾きながら歌う曲を作っていました」


 ああまずい。


 夫婦そろって。

 同じことやらかしやがって。


 やっと機嫌を直してくれたのに。

 ふり出しに戻ってるじゃねえか。


 甲斐が掘った穴埋めに来たくせに。

 その穴を埋める土をすぐ隣に掘った穴から調達されても。


「では、リサイタルにはあたしも招待するように」

「かしこまりました」

「……まったく。しょうがない人ですね、立哉君は」

「反省しています」

「夏木さんと二人で、これを横取りしようと計画してたなんて」

「本当にこの度は……? え? なんて?」

「あたしの分、食べようとしてたんでしょ?」


 そう言いながら。

 秋乃が見せて来たものは。



 駅向こうの名物。

 巨大豚まん。



「うはははははははははははは!!!」

「え? 違うの?」

「しまった」



 笑い上戸は。

 百害あって一利ないのやもしれん。


 俺は、笑った理由について。

 延々問い詰められることになったのだった。



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