5話 死んで花実が咲くものか③
「んん……どこ、ここ」
目を覚ますと病院のベッドのような場所で横になっていた。汗がじっとりと張り付いたシャツが気持ち悪い。頭がじんじん痛む。少し重たい体をよじって半身を起こすと、自分の額から青いものが落ちた——冷たくて湿っている、氷嚢だ。ふと、視界の端で誰かがベッドの縁に突っ伏して、寝息を立てているのに気が付いた。
「後ろの席の……
徐々に頭が冴えてきた。ここは保健室で授業中に倒れた私をこの蜂谷くんが運んでくれたのか。
パーテーションに遮られて時計は確認できないが、もう夕暮れ時なのか、部屋に差し込む光が赤みを帯びている。倒れたのが五限だったから……4、5時間は意識を失っていたらしい。
——この人はなんで戻らなかったんだろう、教室。さぼり?
気持ちよさそうに眠るクラスメイトを見てそんな疑問が浮かんだが、自分の左手の指が彼のワイシャツの袖をつまんでいることに気づいた。私が原因だったらしい。同時に、倒れたとき意識が遠退く中、私を抱きかかえる必死な顔の蜂谷くんを思い出した。恥ずかしさと同時に、見た目で勝手な決めつけをしてしまったことを心の中で謝罪をしておいた。
指を離した時、ちょうどパーテーションが開き、白衣を着た女性が入ってきた。
「……!」
「目が覚めたようだね、
白衣の女性は寝ている蜂谷くんの頭を軽くチョップした。蜂谷くんが起きる気配はない。なんだか親しげだ。
養護教諭であろう女性の胸元のネームプレートには「
蜂谷先生はツカツカとヒールを鳴らしてこちらに近づいてくる。美人だが、口元は微笑をいっさい崩さず、目つきが鋭く少し怖い印象だ。
唐突に昔の母親の姿がフラッシュバックする。特に似ているわけでもない。ただ見た目年齢が近いというだけなのに。——さっきの夢のせいだ。
反射的に目を強く瞑り、体を強張らせたが額に伸びてきた彼女の手はひんやりと優しく、あとから風にのって香ってきた甘い匂いが安心感を与えてくれる。もう片方の手は私の背中をポンポンと優しく叩いた。
「大丈夫よ、大丈夫。貴方の為にならないことはしないわ」
「ぇ……?」
少しの間そのままでいると体のこわばりがなくなっていくのを感じた。蜂谷先生は私が落ち着くと体勢を戻してベッド脇の丸椅子に腰を下ろした。
「……熱はもうないわね。どこか痛いところは?」
「え、えっと頭痛が少し……」
「頭痛……ね、ちょっと触るわよ。痛かったら教えてちょうだい」
彼女はそう言うと額にあてていた手を上に運び、ちょうどつむじのあたり——痛みが発生していた箇所を優しくなでるように触った。ぴりぴりと鋭い痛みが頭皮から背骨を伝って全身に広がる。
「い、痛いです」
「なるほど、なるほど——こっちは?」
その後、彼女は確かめるように他の場所も触れてきたが、最初に触れた場所以外はほとんど痛みはなかった。その手つきはずっと優しく暖かで、柔らかな眠気に誘われそうになった。
彼女は私の目を見て何かを確信したように頷く。
「笛吹さん。最近自分の身の回りでなにか大きなトラブル——そうね、言っちゃえば、”不幸”があったんじゃないかしら? 」
「——!」
驚き、思わず蜂谷先生の顔を凝視してしまう。たったこれだけでこの人が的確に自分の現状を言い当ててきたことが信じられなかった。
何から、どう話したらいいのか分からず、鼻筋にツンとしたむずがゆさが込み上げてくる。その様子を見た蜂谷先生は「無理に話さなくてもいいわ」と言って優しく微笑んだ。
「私はあなた達……”花人”の研究者の端くれなの。確信はないけどあなたが倒れたのも、頭の痛みも、私がこんなことを聞いたことも、全て今のあなたの容体に繋がっていると思うの——ショックかもしれないけど、見て」
そう言うと蜂谷先生は懐から手鏡を取り出した。化粧直しの時に使うような小さなものだ。
「なに、これ」
そこには少しやつれた自分の顔。そして、萎れて茶色く変色した私の花——変わり果てた酔芙蓉の花が映っていた。
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