第11話
「チューバ! さっきのはタシロンのチューバだ!」
演奏会前の最後の集合練習の日。
二台あるチューバのうち、その音がどちらの音なのか宗太郎は聞き分けた。
「そこは戦艦大和の四十六センチ砲じゃない。イージス艦の一二七ミリ速射砲のように吹くんだ。「ズガーン!」じゃない。「ズドン! ズドン! ズドン!」だ。音の太さと機動力を両立させてくれ」
客演指揮者が独特な表現で演奏を指導する。
このような説明で理解できる演奏者はどのくらいいるのだろうか。
タシロンが指定された場所をひとりで演奏する。
「そう! その通りだ!」
果たして本当にタシロンが説明を理解できたのか疑わしい。
しかし宗太郎は感心している。
「それこそがタシロンキャノン……いや、田代キャノンだ!」
彼はなぜその名前を付けたのだろう。
そしてどうして言い直したのだろうか。
その名前はまるでDOS攻撃用のソフトみたいだ。
「よし、今日の練習はここまで」
ふと時計を見るとホールのレンタル時間が迫っていた。
今日の練習は本番前の最後の合同練習だ。
次に全体合奏をするのは本番直前のリハーサル。
しかしそこでは今日のような込み入った練習はしないはずだ。
本番までにできることは個人で練習することのみ。
周囲の団員たちの表情はさまざまだ。もう合同練習がないことに不安となるもの。本番まで自分にできることをやり遂げようと決意するもの。目の前に迫った本番に武者震いするもの。
団員たちはさまざまな表情で楽器を片付け、練習会場を後にしようとしていた。
「鮫島、たしか今日の片付け当番だったよな?」
「はい。当番ですけど」
「片付けが終わったら俺のところに来てくれ」
一体何の用だろうか。
鮫島は何の用事なのか気になりながら椅子や譜面台を倉庫へと運んで行った。
「鮫島、何かあったのか?」
「何かというと?」
「仕事か何かで何かあったんじゃないか?」
「どうしてそう思うんですか?」
「ピッコロの音がいつもらしくなかった。それにアイコンタクトも少なかっただろう?」
今になって振り返ると彼の指摘通りだ。
今日はいつもよりピッコロのピッチが合わなかった気がする。合わないどころか音が揺れていたような気がした。
それにいつもならばよく客演指揮者とアイコンタクトでタイミングを合わせているが、今日の練習ではずっと楽譜ばかり見ていた気がする。自身のなさが無意識のうちに視線を下げていたのだろうか。
「気にするな。ここに他の団員はいない。それに俺と鮫島はもう一年近く関わっているだろう?」
いまさら隠し事はなしだ。
その言葉に鮫島は諦めがついた。
「実はこの前、高校時代の同級生。吹奏楽部で同じフルートパートだった人に会ったんです」
「どうやら色恋沙汰ではなさそうだな」
あれがそれに発展していればどんなによかったものか。
鮫島はさらに心の底に溜まっているものを打ち明けた。
「その人に言われたんです。ただのイラストのためにオタクが集まって何かをしようとしているのが気持ち悪いって」
「……たしかにオタクは市民権を得てきているとはいえ、世間の偏見なんてまだそんなものだよな」
Vオタに始まり、アニオタ、ドルオタ、ミリオタ等々。
それは愛好家の名称でもありながら、どことなく侮蔑の意味が込められているようにも感じる。
「だけど鮫島はこれまでに気持ち悪くないオタクを見たことがあるか?」
「それならば――」
「もちろんロミオ以外で。それとバーチャルアイドルのファン以外でだ」
「………………」
鮫島はそれに答えることができない。
本音ならば答えは分かっている。
気持ち悪くないオタクなんて見たことがない。
男性アイドルのファンや女性アイドルのファン。ニュースや特集で見る彼らはあまりにも熱狂的すぎて気持ち悪いどころか恐怖すら感じる。
それこそ宗太郎と出会って最初のころに突然国産フルートの型番を暗唱し始めた彼にも不気味さを感じていた。
しかし彼らを気持ち悪かったと断言してしまえば、鮫島も世間の一部になってしまう。自分たちを気持ち悪いと拒絶する世間と同じになってしまうようで彼は答えることはできなかった。
「そうだろう? 気持ち悪くないオタクなんていないだろう?」
宗太郎は鮫島がそのパラドックスに陥ることを確信していた。
「俺がよく知っているやつだが、とあるマンガの文学少女が好きすぎて、そのキャラの苗字をペンネームにしちゃったアマチュアの小説書きがいる」
「苗字をペンネームに、ですか……」
「そうだ。鮫島はサメだがそいつはクジラを名乗っている。しかも新人賞の一次選考すら通ったことがなくて名前負けしている。だけど頑なにその苗字にこだわっている。俺だったらその好きなキャラに申し訳なくて苗字を貰うことなんてできない。それに苗字を同じにするってことは結婚を連想するし、自分がそのキャラに吊り合っているとは到底思えないしさ」
どちらが気持ち悪いかなんて比べられないが、比べること自体が馬鹿らしく感じるだろう?
そう宗太郎は語っていたがその知り合いに怒られないだろうか。
鮫島はそのクジラさんに会ったことはないけども、自分が同じ立場なら新人賞でそれなりの成績を残すまで思い入れのある苗字は使わないかもしれない。もちろんあとでペンネームの変更ができるのであれば、の話であるけども。
「そういえばそのクジラを名乗っているやつ、推していたヤンデレ系ネクロマンサーが大炎上の末に機密情報漏洩で事務所を契約解除されたとかでメンタルがズタボロになっていたな。なんかその気持ちをぶつけた小説を書いて新人賞に応募するって言っていたがどうなったんだろうなぁ」
奴の事だからどうせウダウダやっていて締め切りに間に合わなかったんだろうけど。
宗太郎はそう鼻で笑っていた。
推しは違っていても、こんな近くに同じ趣味を持つ仲間がいるだなんて。
それとそのクジラさんは宗太郎を少しぐらい酷い目に合わせても罰は当たらないだろう。
「確かに俺たちがやろうとしていることは世間からしたら気持ちの悪いことかもしれない。バーチャルアイドルに全く興味がないやつからしたら、「ただの絵にお別れ会をするの?」なんて思われているかもしれない。だけど俺たちは尾神樹里のために一年間も頑張ってきた。ロミオどころかバーチャルアイドルのファンにはタブーの話かもしれないが、キャラクターの向こうには生身の人間がいる。鮫島たちが愛していた少女はキャラクターのイラストと中の声優を合わせた尾神樹里という少女なんだろう?」
それは当然だ。
ただのキャラクターのイラストだけであればわざわざ生配信に行く必要はない。
そのキャラクターがぬるぬると動いてリアルタイムでしゃべる。自分が送ったコメントに返事をしてくれて、時には怒ってくれる。
鮫島はそんな尾神樹里が好きだった。
もちろんキャラクターと声優のセットでの尾神樹里が好きだった。
「ただの絵にお別れ会なんて気持ち悪い、なんて言っている奴は別世界に生きているやつだ。話の分からないやつなんて気にするな」
「気にするなって言われても」
そう言われると余計に気にしてしまうものが人間だ。
しかし宗太郎はそれも理解していた。
「どうしても気にしてしまうなら尾神樹里の事を思い出すんだ。外野からの評判を気にして足を止めるか、彼女のために歩き続けるか。鮫島なら答えを持っているだろう?」
「………………」
「そもそも俺たちは誰かに迷惑をかけたか? 俺たちはきちんと金を払ってホールを借りてオフ会を開催しようとしている」
別に営業中の駅構内で訳の分からないアナウンスをするオフ会をしたわけじゃない。
宗太郎はそう言っていたが何のことなのか分からなかった。
過去に実際にあったオフ会なのだろうか。それとも宗太郎の独特なセンスの例えばなしなのだろうか。
さらに鮫島は巨大な悩みの種を打ち明けた。
「それにいつも思うんです。僕に楽団長は無理だって」
「なぜそう思うんだ」
「僕はニートだったんです」
「今は働いているだろ?」
「そうですけど、昔の僕は無職だったんです」
「……そうか」
「地元の大学に進学しましたけど大学にうまく馴染めずすぐに自主退学してしまったんです。その後しばらく親に養われてニート生活を送ったのちに、樹里ちゃんのおかげでアルバイトですけども社会復帰できたんです。でも先日、大学の同級生と再会して無意識のうちに比較してしまったんです。僕がもっと頑張っていればあの同級生みたいに僕も今頃は企業説明会とかインターンシップとかに行って就職活動をしているんだろうなって。もちろん今の生活は充実しています。仕事は楽しいですし、同じ趣味の仲間もできましたし。なによりニート生活を送っていなければ樹里ちゃんと出会うことはできませんでした。でも自分で決めた大学に通い続けられなかった自分に楽団長だなんて大きな仕事は……」
自信のない鮫島。
彼の悩みに宗太郎は腕を組んで考え込んだ。
やがて会話が再開される。
「体を制服に合わせる、という考え方を知っているか」
「制服、ですか?」
「そうだ。この制服とは役職や肩書の事だ」
それは唐突な話題だ。
役職だなんて鮫島には縁遠いものだ。
「俺は中隊長という役職についている。中隊とは戦闘隊の基本的な単位で部下は約二百名。この役職に限らないが、役職者が常にやるべき事は何か分かるか?」
「………………」
回答できない鮫島に宗太郎が答えを明かした。
「自分自身を中隊長という役職にはめ込むんだ」
「はめ込む……自分を偽る、ということですか?」
自分を偽る。
鮫島はその単語を無意識に口にしていた。
「いい表現だ。自分は中隊長だと偽る。自分を偽り続けているといつの間にか本物になっている」
宗太郎の話を聞きながら、鮫島は尾神樹里の過去の配信を思い出していた。
自分を偽る。
それは彼女もやっていた事だ。
尾神樹里というキャラクターに自分をはめ込む。
そのセリフは彼女の動画が削除される直前に、鮫島が最後に聞いた尾神樹里の声だった。
「最初の頃の鮫島は楽団長という役職に躊躇していたな。だけどその名前で呼ばれるうちに使命感が湧いてきたんじゃないか?」
「……いえ、僕にはまだ……」
「そうだよなぁ。俺だってまだ中隊長になり切れていないしなぁ」
鮫島から見れば十分に幹部の風格を漂わせているが、本人からしたら不十分なのだろうか。
もしかすると自分自身をその役職にはめ込むということは音楽の追究のように終わりのないものなのかもしれない。
「あ、大尉」
感傷に浸る二人の元に突然現れたのはトランペット奏者のグロ中尉だった。
ロミオでありながらミリオタでもある彼は宗太郎を『1尉』ではなく『大尉』と呼んでいる。どうやらそちらのほうが言いやすいようだ。
やり取りだけを聞くと上官と部下のようだけども宗太郎は本物、グロ中尉は入隊したことすらない完全な一般人だ。そもそも宗太郎の話ではグロ中尉の年齢でその階級はあり得ないことらしいけども。
「ハルトマン軍曹とタシロンとでファミレスに行くことになったんですけど、大尉たちもどうですか?」
「そうだな。決起集会の前に発起人たちで雑談でもしておくか」
「五人、喫煙席で」
先陣を切って入店したハルトマン軍曹は店員にそう告げると、座席を確保して隅に置いてあった灰皿を取り寄せてタバコに火を付けた。
それを慣れた手つきで宗太郎が取り上げた。
「タバコは辞めろ、楽器が痛む」
「俺の体の心配はしないんですか?」
「お前の体なんか知ったことじゃない」
体よりも楽器を心配するなんて彼は冷酷なのだろうか優しいのだろうか。
すくなくとも楽器にとっては良き理解者であることに違いはないだろう。
「なんか二人って、まさに上官と部下って感じだけど、最初はどこで出会ったの?」
「……それ聞いちゃいます?」
「なんだ吉野士長、たっぷりと可愛がってやっただろう?」
「たしかに可愛がられましたけども……」
「どうせ写真を持っているんだろ。見せてやれよ」
「……レンジャー……」
ハルトマン軍曹は不思議な返事をしながら嫌そうに写真を見せてくれた。
泥まみれの迷彩服にフェイスペイントで塗りたくられた顔面。首から吊るされた小銃と異様に輝く金色メダルのようなもの。様相は違うが紛れもなくハルトマン軍曹だった。
「この時の事はマジで覚えてない」
「これって何かの大会?」
「隠密作戦の訓練を突破しただけ」
過去を回顧するような微笑みを浮かべながら彼はスマホをスワイプした。
次に表示されたのは目も当てられない光景だった。
金色で『RANGER』と刺繍された帽子と『教官』と記された腕章を装着した人物がハルトマン軍曹の口にケーキをねじ込んでいた。嬉し泣きだろうか、それとも窒息に喘いでいるのだろうか。ハルトマン軍曹は涙や鼻水で顔面をドロドロにしていた。
よく見るとケーキをねじ込んでいるのは宗太郎ではないか。気のせいか彼は疲労困憊のハルトマン軍曹にいたずらをしているようにしか見えない。
そんな正反対の二人はタシロンにとってシュールに見えたのだろう。
「なんかこれって過酷な作戦から生還しました、って感じがするじゃん」
「過酷ってレベルじゃねぇぞ!」
まるで新型ゲーム機の発売を心待ちにする客のヤジのようだった。
そう感じたのはグロ中尉も同じだったらしい。
「そういえばハルトマン軍曹が喜びそうなゲームを樹里ちゃんが実況してたよね」
「鳥になってソビエト連邦に潜入するやつ?」
「そうそう。バーチャスをバーチャルって言っていたやつ」
尾神樹里が実況していたあのゲームでは作中で作戦名が変わっていた。それに彼女は気付かなかったのだろうか、それともあえて気付かないふりをしていたのだろうか。
彼女は一貫して『バーチャルミッション』と言い続けていた。
その単語が飛び出すたびにロミオたちは「確かにバーチャルだけどさぁ……」とコメントしていた。彼女は何回もゲームオーバーになってコンティニューを繰り返していた。もしもあれがバーチャルでなければ最初の吊り橋から落下するというアホな死にかたで永遠にゲームオーバーになっている。
それにしても懐かしい。
敵に発見されて赤い『!』マークの表示と同時に心臓がキュッとする警告音が鳴る。そのたびに尾神樹里はとうてい悲鳴とは思えない野獣のような咆哮をあげていた。鮫島が早死にしたらきっと彼女の悲鳴のせいだろう。
「あのゲームってハルトマン軍曹から見たらどうなんですか?」
「現実世界で単独潜入なんてやらないだろうな」
ですよね?
そのようにハルトマン軍曹はかつての上官であり教官に意見を求めた。
「作戦中に仲間とはぐれて単独行動しなければならない場面ならあり得るが、最初から単独で作戦に送り込むなんて作戦は普通あり得ない。FTCの時もそうだっただろ?」
「そうですね。たしかニュースのスクショが……」
ハルトマン軍曹はスマホの中から目的の画像を見つけると鮫島たちに見せてきた。それは数年前のニュースの記事のスクリーンショットだった。
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【無敵不敗の『部隊訓練評価隊』に全滅判定 2024/8/13】
陸上自衛隊ではバトラーと呼ばれるレーザー光線装置を銃器に取り付け、実弾を使うことなく敵味方に分かれて撃ち合う実戦形式の訓練を行っている。その訓練で敵役を務めているのが陸上自衛隊の中でも最強と呼ばれる無敵無敗『部隊訓練評価隊』。通称、FTCだ。
そんな彼らを全滅判定にまで追い込んだのは宮城県の第22即応機動連隊を基幹とする第22即応戦闘団。
第22即応戦闘団は通常の部隊とは別に潜入部隊を編制。副中隊長の1等陸尉に率いられたこの潜入部隊は戦線を大きく迂回しながらFTC陣地に侵入。戦線が膠着状態のなか、潜入部隊はFTC司令部に突入。二割の犠牲者を出しながらも司令官を含むFTC司令部要員から次々と『死亡』判定を奪い、前線部隊の指揮命令系統を破壊した。
司令官を失ったFTCは個々の部隊で奮戦したものの通常部隊と潜入部隊の挟み撃ちを受け戦闘職種隊員の六割以上が『死亡』『重傷』の判定を受け、FTCは全滅したと判定された。
第22即応機動連隊長は今回の快挙について「潜入部隊だけでなく全部隊でもぎ取った勝利だ。今後もさらに技術を磨き、いかに困難な状況でも国土防衛が可能な部隊に成長していきたい」と話していた。
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「もしかしてこの潜入部隊にハルトマン軍曹も?」
「下っ端だったけどさ。それでこの部隊を率いたのが宗太郎さんだった」
「別になんてことはない。俺は命令通りに任務を遂行しただけだ」
そう澄ましているが、もしかしてこの人はとんでもない人物なのではないだろうか。
「むしろ吉野士長は下っ端だから連れて行った。鮫島、その実況していたゲームでラスボスは何と言っていたか覚えているか?」
「……たしか「長く自分を偽ると浸食される」と」
自衛隊の話をしていたと思えば突然ゲーム実況の話へと話が飛んだ。
話題が突然変わったことに戸惑いつつも鮫島はその質問に回答した。正直そのゲームのラスボスのセリフなんて覚えていなかったが、尾神樹里がそのまま引用して視聴者からの質問に回答していたことで覚えていた。
「訓練とはいえ任務は任務だ。吉野士長のレンジャー資格という特殊技能を見込んで特殊任務に放り込んだ。あの時の吉野士長は訓練を突破しただけのヒヨコだったが、成長させるにはレンジャー隊員としての実戦経験を積むのが手っ取り早い」
その話を聞いていて鮫島の中にひとつの言葉が浮かんできた。
体を制服に合わせる。
宗太郎が言っていた言葉だ。
その意図を確かめようとした鮫島だったが、タイミングが悪いことに話を遮られてしまった。
「話が逸れるが、ひとつ謝っておかないといけないことがある」
謝っておく、とは一体なにをしたのだろうか。
演奏会もすぐ目の前に迫っている。
せめて演奏会とは関係のないものであってほしい。
「完全に忘れていた。指揮者として大失態だ」
鮫島の希望は打ち砕かれた。
大失態とまで言うのであれば演奏に関わる重大なミスなのだろう。
「本当にすまない。伝えるのを忘れていた」
動揺しているのは鮫島だけではない。
ハルトマン軍曹たちも明らかに動揺している。
まさか演奏会が実施できなくなるのだろうか。
どうか演奏に影響が出る程度の失態であってほしい。
立案者たちが動揺するなか、ようやく宗太郎が大失態の内容を口にした。
「今度の演奏会でトリを飾る『南風のマーチ』だが、これには英語のタイトルがついている」
「英語……となると『South Wind March』?」
タシロンが英訳したが、それは正解ではなかったようだ。
「この曲の英語のタイトル……というよりも副題かもしれないが、フルスコアには『Spring Breath March』と記されている」
「直訳すると『春の息吹のマーチ』になるのかな?」
タシロンの翻訳に全員が納得した。
「フルスコアからそのまま引用すると「春という新たな季節の訪れを告げる風を『南風』という言葉に託し」て作曲したと作曲者のコメントが載っている」
テーブルにはフルスコアはおろか、紙切れの一枚すらない。
そのまま引用すると言いながら宗太郎はスラスラと作曲者のコメントを暗唱した。
それができるようになるまでこの楽曲を研究していたのだろうか。それともこの件を忘れていたというのは嘘だったのだろうか。
「この曲の最初はコメントの通り春をイメージしていると思う。桜が満開で蝶々が舞う。ありきたりだが新しい出会いの季節だ。そして
宗太郎は鮫島に語り掛けるように同意を促した。
鮫島はこの部分の意味を決して忘れてはいなかった。
ピッコロソロが控えてある。それどころか最後のマーチに突入してからは彼が尾神樹里の叫びを表現するという重大な任務を追っている。そう簡単に忘れることはできない。
「それとこれはあえて言わなかったんだが、実は
気づいたか?
そう問いかけられたけども誰も気づいてはいなかった。
「そうか。無意識のうちに団員がそう思っていたのかもしれないな。実は最後のマーチは序盤のマーチより少しだけ速く振っていたんだ」
「それにはどういう意味が……?」
「この部分はだな……いや、ここは団員たちの無意識を信じよう」
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