Blue Rain.

四季ラチア

第1話

青い雨が降るって、ラジオの天気予報が言っている。

青い雨は危険だ…それは酸性雨のような公害で、それはウイルスのように致死性が高く、それは生物兵器のように意思を持ち、それは寄生虫のように人間を支配する。

青い雨は、人を呑み込む…らしい。

人を呑み込んで、身体を包み込んで、支配して、人間を思い通りに動かし…さいごには…。

だから…いつ雨が降るかわからないから、晴れていても、傘を持って外に出るのは、当たり前のことだった。

地球の環境が破壊されてしまったから、予報がなくても突然大雨が降ることがある…そんな暑すぎる夏。

この季節は、みんなが雨に怯えていた。

雨が降る。

青い雨が降る。



あ、と気づいた時には、手遅れだった。慌ててコンロの火を消しても、手遅れだった。

フライパンの上の卵は、白身が濃い茶色や、真っ黒に焦げてしまって…割るのに失敗した、ぐちゃぐちゃな黄身も、ぎちぎちにかたく焼けて…とても美味しそうには見えない、目玉焼きが出来上がった。

はあ…。

「何で、上手くいかないのかなあ…」

朝のラジオが、占いを発表する…僕の星座は、良くも悪くもない、順位だった。

「ねえ、どうして、上手くいかないのか、わかるかい…めいちゃん?」

僕は、リビングに居る妻に、訊ねる。

芽ちゃんは、僕の奥さん…芽ちゃんは、今、僕らの娘の、菜花なのかちゃんの髪を、結ってあげてる最中だから、手が離せない。

「目玉焼きって、難しいねえ…芽ちゃんが作るように、きれいな半熟に、焼き上げるには、どんなコツが、あるんだい?」

僕は、お皿を出しながら、芽ちゃんに訊ねる…けど、芽ちゃんは、僕に答えてくれない…手は離せなくても、声くらいは、返してくれても、いいはずなのに。

「ねえ、芽ちゃん…無視しないでよお」

ラジオが、朝八時の、時報を鳴らす…次に始まるのは、天気予報だ。

「芽ちゃん…」

「起きなさい、余花よかさん」


『被災地である───地方は、午前は良く晴れ、猛暑日ですが、午後からは、大気の状態が不安定になると予報されており、本日は、が発令されております…』


…僕は、ようやく、我にかえる。

バターを塗ったトースト…甘酸っぱいドレッシングをかけたサラダ…はちみつを混ぜたホットミルク…僕は、失敗した目玉焼きのフライパンを、持ったまま…お皿を持ったまま…テーブルを見た。

妻の芽ちゃんと、娘の菜花ちゃんは、一緒にいる…ひとつの席に、一緒にいる…テーブルの上で…写真の中で…一緒にいる。

ここには、芽ちゃんも、菜花ちゃんも。

いない。

いないんだよ。

いなくなったんだ。

なのに、僕は、また、ふたりの朝食を、作った。

自分の分は、作らない。

僕は…。

「…おはよう、芽ちゃん、菜花ちゃん」

僕は、毎朝、夢を見る。

いなくなった、芽ちゃんと、菜花ちゃんが、また戻ってきてくれると、想像して…あの日のことが、嘘であってほしいと、願って…僕は、夢を見ながら、朝、起きる。

夢を見れば、芽ちゃんと菜花ちゃんの声が、聞こえるから…そこに居るように見えるから…それが幸せだから…夢を見て、朝起きて、そこに居る、芽ちゃんと、菜花ちゃんに、朝食を作るんだ。

けど…しっかり者の芽ちゃんは、必ず、僕を起こしてくれる。

夢の芽ちゃんが、僕を起こす。

自分たちは、ここには居ない、って。

あの日のことは、ほんとうだ、って。

嘘には、ならない、って。

だから、起きなさい、って。

僕の頭の中の、芽ちゃんは…必ず、僕の夢を覚ましてくれる…僕は、それに、ありがとう、なんて…言えないけれど。

ずっと、夢を、見ていたい、けれど。

芽ちゃんが、起こしてくれる。

だから。

僕は、朝の夢から、目を覚まして。

「おはよう、芽ちゃん…菜花ちゃん…」

食べられない朝食が並び、写真が立っている食卓を眺めて…虚しくなって…ようやく、本当の朝を迎えて…ひとりで、笑うんだ。

「芽ちゃんは、しっかり者、だねえ」

ラジオが、朝には聞きたくない憂鬱な歌を流す…遠くに住むリスナーは、僕らの気も知らず、薄暗い雨の歌を、リクエストした。


おはよう。

僕は、作った朝食を、全て、捨てた。

今はもう、水だって、飲みたくない。

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