2・1 深夜の問答《5月》

 エレナが来て二ヶ月が経った。予想に反して何もない。厄介なことも、面白いことも。


 当初は慣れない従卒仕事の手際はたどたどしく、俺もイラつくことが多々あった。だがそれは男の従卒だってあることだ。

 むしろ彼女は優秀な部類で、一度ミスしたことは二度と繰り返さないし、気配りができ仕事は丁寧だ。


 俺やビアッジョ以外の軍幹部からの受けもいい。余分な仕事を頼んでも二つ返事できちんとこなす。

 従卒仲間や城の使用人たちとも上手くやっているようだ。


 女だからとバカにされないために男の倍、頑張るのだとエレナは話している……らしい。ビアッジョが聞いたところによると。

 俺は彼女と雑談をしたことがない。


 エレナは俺の前では意気込み過ぎているのか緊張しているのか、態度は常に固く、視線は強い。

 一方で同じコルネリオの腹心であるビアッジョには、だいぶ打ち解けているようだ。まあ、あいつはお喋り好きだし、俺は見習い風情と無駄口を叩くのは好きではないから、それで良いのだ。


 だいだい女ならばズボンなんて履かず剣など持たず、可愛らしく男を癒すべきではないか。


 とはいえ、エレナが女だということは、みな既に忘れている。


 騎士たちでバカ話が盛り上がり、それぞれの従卒に『好みの女はどんなだ』なんて尋ねたときがあった。順番が回ってくると、エレナは真顔で

「好みの男でいいですか?」

 と聞き返し、皆ポカンとした。


「あ、お前、女だっけ」

 と誰かが言うまで、そこにいた全員が、エレナを男だと思い込んでいた。


 それほど彼女は男と同等に働いて、すっかりここに馴染んでいる。

 厄介事も面白いことも、何もない。普通の従卒だ。




 ◇◇




 コルネリオと深夜まで飲み騒ぎ、それから居室に戻ると、エレナが俺の服を繕っていた。


「……繕い物はやらないでいい。城の下働きに頼める」

 この城ではそれでよいことになっている。

「はい、伺っております。ですが彼女たちも仕事が多く、頼んでも日数がかかります。私がやった方が早いので。ですがアルトゥーロ様が下働きに、と仰るのならそうします」


 エレナが強い目で俺を見上げる。


「……いや、早い方が助かるが。お前の仕事が増えるだろう」

「慣れたので問題ありません」


 彼女は再び手を動かし始めた。明かりひとつを灯しただけの薄暗い部屋だ。よくもサクサクと縫える。


 その様子を壁にもたれてぼんやりと見ていると、ふいに彼女がこちらを見た。

「どうぞ、お休み下さい。これが終わったら失礼します」


 ああ、と頷きながらもそのままでいると、彼女は再びこちらを見た。


「お水を差し上げましょうか。それともベッドまでお運びした方がよろしいでしょうか」

「……お前に俺が運べるとは思えん」

 体格差が相当ある。

「引きずらせていただくかとは思いますが。だいぶお酔いになられているようですから」

「別に。そうでもない」


 コルネリオと飲み明かすことはよくある。だが深夜、もしくは朝帰りで彼女と会うのは初めてだ。恐らく俺から漂う酒の臭いで、そう判断しているのだろう。


「これは通常」

「分かりました」

 そう返答するとエレナは、また黙々と針仕事を始める。ややもすると終わったようで、片付けを始めた。

 それが済むとエレナはきちんと俺に向き直り、失礼致します、と頭を下げた。


「……一体、何が目的だ?」

 彼女は顔を上げた。目が合う。いつもの強い目だ。

「幹部や仲間に媚び、余計な仕事までこなし、評判は上々。すっかり皆、お前を仲間と認めている。出来すぎていて胡散臭い」


 あまりにおかしくないだろうか。素性が分からない少年なんて、いつもなら城に招き入れない。通常従卒になれるのは、それなりの家柄やツテがある奴だけなのだ。


 それをこいつは門前で口上を述べるなんて奇抜なパフォーマンスをし、コルネリオの関心を引いて乗り込んできた。

 しかも態度は完璧。これっぽっちも隙がない。

 裏があるようにしか、思えないではないか。


 コルネリオも面白がってはいるけれど、信用はしていない。


「私の目的はふたつ」エレナは動揺することなく、いつもの目で俺を真っ直ぐに見る。「主を持つ騎士になること。私を笑った奴等を後悔させること。その為ならば、どんな努力もします。不利な女だからこそ、です」


 力強くそう言った彼女はそこで目を反らして、ふう、と息を吐いた。再び視線が俺に向けられる。


「媚びているつもりはありません。ですがアルトゥーロ様がそうお感じになるのならば、改めます。クビにされては本末転倒ですから。私のどこが気に入りませんか?」

 やや和らいだ口調。

「全部」

「……それは困りました」


 エレナは初めて困惑顔になった。二ヶ月の間、彼女は俺に真顔しか見せていなかったのだ。


「私は従卒でいたい」

「まあ、いい。もうしばらくは様子見してやる」

「ありがとうございます」

 安堵した顔。

「お前、俺の前でも表情を変えられるのだな」

「え?」

「いつも真顔だ」


 エレナは視線を下げ、また小さく息を吐いた。

「コルネリオ様ほどではありませんが、冷血アルトゥーロ様も十分に有名です。緊張しますし、クビにはなりたくない。気に入られたい」

 しおらしいことを言う。それが本心ならば。


「ふうん。ビアッジョにはだいぶ懐いているようだが」

「ビアッジョ様はお話ししやすい方なので、あまり緊張しません」

「あいつも十分、冷酷だぞ」

「そのような噂は耳にしておりますが、普段の姿とは結びつきません」

「まあ、あいつは、戦場では冷酷でも家に帰れば善き夫、善き父だからな」

「……そのようですね。クレトから聞いています」


 ビアッジョはコルネリオの仲間としては最古参で、付き合いは10年を越す。出会ったとき彼は22、3歳だったはずだが、既に妻と第一子がいた。今では子供が三人に増え、それでも妻一筋の愛妻家だ。


 よくひとりの女で飽きないものだとは思うが、そういう普通の感覚の人間も、俺たちには必要だ。コルネリオと俺だけでは覇権への渇望が強すぎて、時にやり過ぎてしまう。


 代々の当主が騎士という名家出身であるビアッジョは、俺たちの参謀であり、手綱でもあるのだ。


 彼は今のところ、エレナの評価は保留としている。裏有りにも見えるし、本人の言葉通り、女であるハンデを払拭しようとしているだけにも見えるそうだ。


 ふいに疑問に思い手を伸ばし、エレナの起伏の乏しい胸を掴んでみた。

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