24話 チキンレース

「千百! 千百だ!」

「千百十」

「千百二十!」


 ミロカルロスさんが入札を上げた後も、ゆっくりと価格は上昇していく。その度に先ほどまで一ミリたりとも動かさなかったミロカルロスさんは、入札を続けていく。


「すごいもうすぐ『雪原の雪だるま』を超えるよ」

「お帰りヴィヴィ。ところでお茶は?」

「あっ、ごめん忘れていた」

「何かあったの?」


 さっきまで舞台から目を離さなかったクリスが体を私の方に向けて、心配そうに眉を下げた。

 

「おじい様を会場で見つけたの。でも見失って」

「オルファンが! 本人!?」

「うん。間違いないと思う」

「これはとんでもない策略だね。となるとやっぱりあの伯爵様と結託してやったとみて間違いなさそう」

「ごめん。なんか全然状況が飲み込めないんだけど」

「考えてみなよ。今まで雲隠れしていたおじい様がいきなり会場に現れて、オブライエン伯爵に絵を託す? あの伯爵が何か誑かしたんだよきっと。もう会場にいる噂はもう流れているかも」


 そうか、今会場の外で買い出しに出ている人が、入札者でもないのにわざわざこんな時間にオークションを見に来たハンチング帽を被った白髪の老人なんて目立つはず。。オルファンが会場にいると勘付き、入札は慎重に、そして相応の値段をつけるように札がより上がるようになる。

 でも追われている身で、お金に執着していなかったおじい様がなんでそんなことを。


「千二百三十!」


 ついに『雪原の雪だるま』の落札価格を超えた。その価格となると、ミロカルロスさんを含めて三人しか入札に。予定ではオブライエン様がミロカルロスさんが落札するまで価格を調整するはず。後の一人が脱落すれば、私たちの勝ちだ。


 と思われたが、私たちはオークションの狂気を今体験することになった。


「千五百!」

「え」


 五百? 五百!? 今までゆっくりと動いていたはずの価格が急に三百も増えた。上げたのは三十七番の人、そんな急に上げたらおじい様の怒りを買うことにと会場にいた人たち全員が肝を冷やした。


「千五百五十」

「千五百五十一」

「千六百」


 三十七番の人がまた価格を一気に百の位まで上げていく。おじい様のファンというだけあって、そこまで落札したいのだろうか。


「千六。千七百十!」


 ミロカルロスさんが一気に金額を上げて入札する。よしっ、このまま落札すれば。


「千七百二十!」


 と束の間、今度は八番の方が入札する。あの八番がきっとオブライエン様の関係者だ。

 怖い。誰かが脱落するまで終わらない静かなチキンレースはまだ続く。面白い、手持ちの資金全部溶かすのかという声が聞こえるけど、『雪原の雪だるま』の金額を取り戻しさえすればいい私からすれば、肝が冷える状況が続くのは心臓に悪い。早くミロカルロスさんに落札させてととにかく祈り続けていた。


 徐々にまた金額が上がっていく中で、心臓の音も上がっていく。そしてついに価格が二千にまで到達してしまった。ミロカルロスさんに目を向けると、暑くないはずの会場の中で一人、大量の汗で肥え太った贅肉がシャツに張り付き、汗を拭いていた。


「さっさと降りなさいな。何をつまらない意地を張って。こっちの心臓が持たないじゃない」


 前の方で座っているビーネットさんがハンカチを食いちぎらんとする勢いでミロカルロスさんを睨みつけていた。


 レオナルド夫婦に、このオークションで意地を張る意義はないはず。すでに『雪原の雪だるま』が売れたお金で財布に大きなダメージはないし、売ればそれだけで十分なはず。なのにここまで疲労困憊状態になるまで粘るなんて、やはり新しくおじい様の絵を欲しくてたまらなかったんだ。オブライエン様の見立て通り、とても意地汚い人だ。

 そしてまたミロカルロスさんが、手を振るわせながら入札の札をあげて、二千以上の金の数を口にする。


「二千と十二」


 『雪原の雪だるま』の落札価格より一.六倍もの値段だ。すでに二人の顔色は暗い会場内でも判別できるほど青白くなっている。たぶんもう精神が持たない状態だ。お願いもう入札しないでください。三十七番の方もどうかお願いします。


 ぎゅっと手を合わせて祈ると手の中がびっしゃりと湿っていた。


 カコーン。


「オルファン氏の作品『蝶の花束』五十三番の方が落札されました。本日の最高落札価格二千十二でのお買い上げでございます」


 会場の人たちが総出で拍手が嵐のように鳴り響く。

 終わった。レオナルド夫婦に落札させたと喜ぶより、終わったこと自体安心しきったことが勝り、体が椅子から落ちてしまった。


「ほら、ヴィヴィ立たないと。まだ作品の引き渡しが終わってないよ」

「うん。わかってる」


 クリスに支えられながら、絵を落札してくれた三十七番の人に私の絵を渡さないと。おじい様の絵がレオナルド夫婦の手に渡ってしまった不安があるものの、それが完了してやっとこのオークションが終わる。

 後で聞いたのだけど、オークションは十時を過ぎていたという。

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