23話 狂乱のオークション
鑑賞から入札という流れを完全に無視して入札の札をあげたのは私の作品を買ってくれた三十七番の人だった。
「お客様、入札は鑑賞の時間が終わってからでお願いします」
「俺はオルファンのファンだ。これが最後の絵なら絶対に落とす!」
私の時には大人しく入札したのとはまるで人が変わったように興奮して唾を飛ばす三十七番の人。オークショニアもこの状況にどう対処すればよいか困っているようで、ボリボリと頭をかいて悩ませた。
「ですから入札は」
「いいから三百だ。いや五百スタートでもいい。俺は買うぞ」
「じゃあ六百だ」
「俺も七百で」
最初は三十七番の人がいる前方でしか上がってなかった札が堰が切られたように、会場の後ろにまで札が上がり始め、次々と金額を入れていく。誰もかれも百単位で入札を入れており、一分もしないうちに千を超えてしまった。私の時は十の位で徐々に金額が増えて入札が入っていたのに。まさにマネーゲーム等しいこの熱狂、いや狂気がおじい様の絵の力なんだ。
「皆様! 当オークションは作品の鑑賞を経てから入札をお願いしております。落ち着いてください! 札をあげるのはやめてください!」
正しい入札方法でないやり方についにオークショニアの我慢が爆発してしまった。でも会場の人たちはまるで聞かず、ついには千の金額をあげる人がいた。ってあれはミロカルロスさん!? なんで? さっきは一ミリも札をあげてなかったのに。
次々と上がる入札に興奮と驚きで気圧されていると、オブライエン様が再び前に躍り出る。
「えー皆さん、これほどの金額を捧げていただきオルファン氏に代わり感謝申し上げます」
疲れ切ったオークショニアに代わって、頭を垂れながらオブライエン様が感謝の言葉を口にする。が、次の時ズンと重い声が会場を支配した。
「ですが大事なのは金額でしょうか。思い出してください、オルファン氏からの手紙には『より良き絵』を選んでほしいとありました。絵の美麗さと将来性。オルファン氏はこれを皆様に判断してから入札してほしいとありました。このメッセージの真意を理解していますでしょうか。私個人の意見ですが、皆様の審美の結果次第でオルファン氏が再び筆を執るかもしれないと思います。あくまで個人的な意見ですが。オルファン氏の意志を尊重していただけませんでしょうか」
オブライエン様の、いやおじい様の言葉の裏に隠された真意に入札を入れていた人たちが、先ほどの喧騒がまるで存在しなかったように消えてしまった。
「まさか皆様はオルファン氏の作品を取り逃してしまったから、慌てて入札したというわけではございませんよね」
それが追撃となったのか、入札の札も誰もあげなかった。そして会場が元の状態に戻ったタイミングで、オブライエン様は主導権をオークショニアに戻した。
「えーでは、改めまして鑑賞の時間に入らせていただきます。なお先ほどの入札の金額は入札時間外でありますので、無効とさせていただきます」
ようやく会場が落ち着いたのを見て、興奮が収まったオークショニアは通常通り鑑賞の時間に入らせて、舞台に上がらせる。その間、入札が無効になって口惜し気に人々が席に座りなおしている。もちろん無効になって悔しい思いをしているのは私も同じだ。
「せっかくミロカルロスさんが入札したのに、あのままいけば落札できたかもしれないのに」
「どうだろう。むしろこの後もう一波乱ありそうかも」
戻ってきたクリスが睨むように舞台の方を神妙な面持ちで見つめていた。一波乱? すでに波乱が起きたはずなのに、どういうことだろう。私もクリスが見つめる先にいる鑑賞しているお客に視線を向ける。上がってきた人たちはおじい様の新作を一様に眺めているが、今までと違い誰も評論の言葉を発しようとしてない。
「いかがでしょうか。オルファン氏の大ファンではございませんが、よい絵でございますね。『冬の時代』とも先ほどの絵とも異なる筆遣い。これで最後となるのは少し惜しいです」
「オブライエン様、出品者の発言は鑑賞前と入札後のみとなります」
「これは失礼を」
途中で割り込んできたオブライエン様がオークショニアに怒られて後ろに下がる。いったい何をやっているのだろうと思っていた矢先、ついに彼らが口を開いた。
「オルファン氏の新境地でしょうか。今までとは全く違いますね」
「先ほどの『瞬くアトリエ』と比較、いや異なる描き方だ。大元の絵に荒く力がある『瞬くアトリエ』は『秋の時代』を強く意識した描き方だったが、こちらは今までの作品とは違う。色の塗り方は優しい描き方だ」
「そう。その通りだ」
ついに出た論評、だけど今までスルスルと言葉が出ていたのに今回は途切れ途切れで言葉を選んでいているようだ。壇上に上がっている人たちは、開始から何度も表れている人たちとは思えないほどに。
「クリス、あのおじい様の絵どう思う。なんかあの人たち信頼できないというか」
「だよね。慎重になりすぎている。『より良き絵』を選ぶというプレッシャーで下手な論評を出さないようにしているんだ。下手な論評を出して入札に響けば、オルファンの新作が出なくなる」
「新作がほしいのはわかるけど、なんでそんな過剰に慎重になる必要が」
「原因はヴィヴィの絵だよ。論評も入札もいつもと同じ感覚で旧作の『雪原の雪だるま』より低い価格で落札されてしまった。けどオルファンは正当に評価しないとこれで最後にするって宣言しちゃった。あの論評のせいで最後になるかもしれない確率が高まるのを怖がっている。しかもこれが今日のオークション最後の品だし」
だからその二の舞を引き起こさないよう慎重なんだ。安く落札されたと気持ちが沈んでいたのに、こんなことになるなんて。
「それでは、お待たせしました。入札を始めます。最低価格は変わらず金一枚。金一枚からですよ。例外はありません」
ついに入札が始まると、一斉に札が上がる。最初に上げたのは鑑賞の時間の前に札をあげた三十七番の人だ。
「三百!」
「四百!」
順調に値段が吊り上がると思われた矢先、異変が起きた。
「五百……いや四百二十で!」
入札額を変えた? その後も動きが鈍い。
「四、四百五十で」
まただ。入札してくれているけど、価格の上昇率が低い。先ほどの勢いはどこに行ったのかこのままだと四百枚代で終わってしまう。
「クリス、このままだとオブライエン様のが」
「いや、この流れは。躊躇していると思う」
「躊躇って何に?」
「手紙にあったでしょ。絵の美麗さと将来性で判断してくれって。もし下手にポンポンと百単位で入札したら、マネーゲームでしか判断してくれないとオルファンが新作を描いてくれないと怯えているの。でも低すぎる値段でもダメ、オルファンの最後になるかもしれない絵が低かったら、ほかの絵の市場価格にも影響する。これはとんでもないチキンレースになるかもしれない。長引くよ~下手したら深夜までかかるかも」
「そんな深夜までなんて」
「あるよ。過去に入札が延々と終わらず翌日まで一晩中入札が続いたこともあるんだから。ほらこれでサンドイッチとこれにお茶入れてきて、屋台のでいいから。持久戦には体力が一番なんだから」
「は、はい」
クリスが入札するわけでないのに、目がギラギラと燃え上がっている。財布と水筒を押し付けられて、席を立つとほかの座席からも立ち上がって会場の外へと出ようとしている人影が見えた。あの人たちも買い出し係なのかな。
答えは会場の外に出た時に判明した。外はすでに街並みが赤く染まった夕暮れとなり、夕食を買いに買い物かごを下げた奥様や労働者の人たちが食材や屋台で作られたパンを買い求めている中に、燕尾服を着た使用人や身ぎれいな恰好をした人たちが庶民の中に混ざって買い求めていた。
「こっち五つ。早く出してくれ」
「おい俺が先に並んでたんだぞ。貴族の野郎が偉そうに」
「お茶屋こっちに来てくれ。夜まで頼めるか、金は出すぞ」
「へい毎度」
異様な雰囲気だ。会場の中では静かにたった一枚の絵を求め、その外では絵を買うために必要な食料を大量に買い付けようと身分不相応な戦いをしている。といけない、クリスの分も買わないと。お茶は水筒の中に入れておけばいいかも。
近くでサンドイッチを作っているおばさんがいる屋台に走って、たまごサンドを二つ注文した。
「はいよ、たまごサンド二つだよ。やっぱり今日屋台を出してよかったよ」
「いつもは出してないのですか」
「ああ、オークションがあるって聞いたけど、いつも夕方で終わるからこっちには出さないんだけど、お昼ごろたまごサンドを買ってくれたじいさんから「遅くまでやるだろうから出してみなさい」って言われたらピタリと、おかげさまでこれが最後だよ」
「へえ、そんな人が」
「そうそう、ほらあそこにいるじいさんが教えてくれたんだよ」
おばさんが指さした先を振り向く。頭には使い古されたハンチング帽を被り、あごは根元まで真っ白なあごひげを蓄えて、腰が曲がったおじいさんが会場に入ろうとしていた。
おじい様? おじい様だ。白髪が増えて腰が曲がってしまっているけど、あの顔は見間違えることはない。私は慌てておじい様の後を追って、会場の中に再び入っていく。
「あれ、おじい様。おじい様!」
エントランスにいる人の数はまばらで、特徴的なおじい様の格好なら一目で目につくのに、姿が見えない。入場係の人に聞いてみたけど見なかったと言われた。
見間違い。ううん、絶対におじい様だ。追われているはずのおじい様がこの会場に来たということは、やっぱりあの手紙の通りおじい様の絵がちゃんと実力通りの値が付けられているか審判しに来てたんだ。
……でも追われている身のはずのおじい様が、オークション会場に?
あちこち会場を探し回っていたが、おじい様の姿はどこにもなく、仕方がなく会場に戻ると『蝶の花束』のオークションはまだ続いていた。
「千、五十」
外に出かけていた間に『蝶の花束』の価格が四桁にまで上がっていた。やはりクリスの言うとおり、遅々と入札額を上げていただけなんだ。そして中央の席でミロカルロスさんが脂汗をダラダラと流しているのが見えた。お願い、札をあげて。
「千と、千と五十八」
ミロカルロスさんがついに札をあげた。
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