10話 レオナルド夫婦

 レオナルド商会といえば、鉱山や貴金属を取り扱う王都で爵位持ちではない商会の中では急成長を遂げている商会だ。しかしうちの家との関係は取り扱う商品がまったく異なるため、商売のやり取りどころか屋敷で顔を見たこともない。おじい様の絵の話というなら、門前払いで追い返したはず。なのにどうしてお父様の紹介状を持っているのか疑問だけど、絵の買取ならお断りしないと。

 来賓室の扉を開けると、レオナルド夫婦がソファーに体を沈ませて座っていた。主人であるミロカルロス様は腹が丸々と肥えて、服のボタンがはち切れんばかり。奥様のビーネット様はパープルの服に髪までパープルに染めていると、パープル一色。そして夫婦そろって指には見せつけるかのように大きめのルビーとサファイアの指輪が嵌められた。ギトギトした色合いは服との相性が悪く、見るからに成金趣味で頬が引きつった。

 私が入ってくると、ビーネット様の弛んだ瞼が持ち上がって、皺の寄った唇を突き上げた。


「あなたがオルファンの絵の管理者? あの方の奥様にしては若すぎではなくて」

「娘のヴィルシーナでございます。おじい様の絵の販売管理は私に一任されております」

「ふ~んそう。安心した」


 言い方に隠し切れないほどのトゲが刺さってくる。お父様のことを暗に小馬鹿にしたことにイラつくが、ここは我慢我慢。


「さて、ヴィルシーナ嬢。オルファンの絵は今いくらになるかね」


 またこの手のタイプか。近年商売で成功した成金商人が爵位を買う行為が続出している。爵位は家を代々守り抜いてきた力の証明であり、権威でもある。たった一代で成り上がった商人はそうした権威の後ろ盾がないため社会的地位を認められない、だから権威の象徴である爵位あまりある金の力で解決している。

 もちろん権威の象徴は爵位だけでなく、芸術品も含まれる。毎日高騰しているおじい様の絵なんて権威そのものだ。こういう人はお引き取り願わなければ。


「申し訳ございませんが、ここでは絵の販売は受け付けておりません。もしお望みでしたら、おじい様の絵を扱っておりますプライマリーの場所をお教えを」

「いやいや、私はもう持っているんだ一枚ね」


 ミロカルロス様がソファーの横に置いていた袋を机の上に置き開封されると、雪原の中で雪だるまが独りでにできていく絵が現れた。たしかおじい様の絵の一つ『雪原の雪だるま』だ。今までのおじい様の絵は目録に記帳されている。絵の写真はないけど、おじい様の方針で絵の題名と内容が紛らわしくないよう見たままの作品になっているから間違いないはず。


「これは」

「数年前買ったんだ。まだ屋敷一つ分になるような値段でない時にな。オルファンとは昔商売の仲間でな、あいつ早くして引退してまったく絵が売れなくて昔のよしみでわざわざオークションで買ったんだよ。妻はこんなものを買って無駄遣いだと言われたが、今となっては安い買い物だ。ワッハッハ」


 王都で勢いのある大商人とはいえお父様が簡単に紹介状を書くとは思えなかったけど、おじい様との縁があったらなし崩し的に書かざる得なかったか。


「あなた、自慢話で時間を取らないで」

「おっと、そうだそうだ。この絵を交換してもらえるかと相談に来たんだ」

「交換、ですか」

「そうだ。今年の春の展覧会に出た作品に感銘を受けて、買いを頼んだが断られてしまって。セカンダリーに足を運んでもいっこうにその作品が出てこなんだ。毎日値が上がっていくこの絵を眺めてワインを飲むのが日課だったが、あの絵がどうしてもほしくなって。その絵と交換してほしいんだ」

「交換と言いましても、そんなこと今までなくて」

「今のオークションの最高落札価格からこの絵を落札した価格を引いた分でどうだ」

「いえ、ですが」

「やったこともないからやらないなんて、あなた商売人の娘なの? 別に損はないでしょ。新たなビジネスチャンスじゃない」


 理屈はそうだけど。でも新しい絵がほしいから交換だなんて、おじい様だってそんなことのために売ったわけじゃないのに。言い返そうにも、勢いのあるレオナルド商会のトップ、まったくこちらの口を開かせる暇もなく断れば断るごとに二人の顔が迫ってくる。


「でも」

「今の金額だと金一〇〇〇もいくんじゃないか」

「ええ、ふつうの庶民では毎日贅沢できる金が入ってくるのに、もったいない話だわ」


 金一〇〇〇。それだけあれば、うちの家計もだいぶ楽にってダメダメ。そういうことじゃなくて。


「レオナルド様、うちの婚約者をいじめないでいただきたい」


 テーブルの前に漆黒のスーツで包まれた腕が唐突に挟まれた。声の主はオブライエン様だ。


「オブライエン伯爵奇遇で。しかし未来の妻を慰めるのはまたあとでよろしいか」

「いえ、私は大絵師オルファンのプライマリーとして営業させていただいております。ご存じでしょうが、絵画の販売は基本プライマリーを通して販売されているのが業界の基本。なぜかご存じでしょうか」

「多く売るため」

「守るためです。芸術家というのは往々にして、気まぐれで、世間知らず。自分では高く売ったつもりだったが、市場では三倍四倍で売れることも起きます。そんな不幸を産まないために、我々がいます」


 先ほどまで口をはさむ余地もなかったレオナルド夫婦相手に、オブライエン様は一歩も引かず反論を続ける。さっきの私とのやり取りなんて、子供が大人相手に口喧嘩に挑んだみたいだ。

 ごほんとビーネット様が大きく咳払いして、持っていた扇子を閉じるとオブライエン様に向かって立ち上がった。


「オブライエン様、営業と申されましたが私たちどもは商売できたのではないのですよ。ただ絵を交換してほしいとお願いしに来たの。もちろん全額返せなんて不躾なことではなく、差額分をお支払いしますの。私たちそんなひどいことをおっしゃっているわけなの?」


 差額分をこちらは払う必要もなく、絵を交換するだけで大金をもらう。これでは一方的にもらうだけで、商売とはいえない。しかしそれで絵を渡していいなんてできない。


「あの、おじい様はそういうために絵を描いたわけではありません。絵をお買いいただいたのは大変感謝しておりますが、不要だからと交換するのは受け入れられません」

「不要な絵を売却して、新しい絵を買うのが法に触れること? 倫理的に許されないとでも言うの? そんなの絵画市場の否定ではないの」


 ビシッとビーネット様の扇の先が私の顔に突き付けられた。それを言ってしまったらおしまいだ。でも新しい作品より過去の自分の作品が優れていると言っても、どっちも大事な作品だ。もしここにおじい様がいて同じ言葉を突きつけられたら悲しむ。そんなの嫌だもの。


「おっしゃる通り、絵を売ることも買うこともそれは何物にも縛られないことです。ですが、先ほどおっしゃったように、芸術家は市場を知らない」

「もちろん価格は市場で売られている最高価格分を払うと」

「だが心はある。損得だけで商売しては、心で足元をすくわれる。商人の基本ではないでしょうか。そもそも商売とは本来交換でありますし」


 レオナルド夫婦はお互いの顔を見つめて、バツの悪そうな顔をすると一斉に立ち上がり「急用を思い出した。これで失礼するよ」と足早に来賓室から去ってしまった。 


「何をやっているお前。あのまま押し切られたら、市場から締め出される事態になったところだ」

「も、申し訳ございません」

「ああいう商人が跋扈していると言っただろ、ろくな反論もできず一方的に押し込まれて。今まで良心的なプライマリーがいたから苦労しなかっただろうが、今回のようなことがまた起こるかもしれないのだぞ」


 レオナルド夫婦の押し売りが終わったと思ったら、オブライエン様からの鬼ような説教の猛攻。助けてもらったからお礼を思ったのに、言う暇もないよ。

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