7話 貴公子様の正体

 夜遅くまで催された新居パーティーも小さなトラブルはあったが、つつがなく終わりを迎えられた。子爵の誘いもあり、私とオブライエン様は一部の招待客と共に屋敷に泊まることになった。

 案内された部屋に入るとさっそくベッドの上に倒れこんだ。久しぶりのパーティーですでに体はガチガチに固まっていた。徹夜で同じ姿勢で描いて体が固まっていたが、絵と違い達成感がないのがストレスが溜まる。けどオブライエン様と結婚したら、こういうパーティーが増えるだろう。特にオブライエン様は貴族だけでなく大商人や投資家などのコネクションを持っている。招待やホストになる回数もアルクトゥス子爵よりも多くなるはず、そうなれば私も侯爵夫人として、コルセットを巻き付けたまま彼の隣に常に立ち続けなければならない。今日はそのための訓練と思わなければ。


「夜はこれからってのにもうベッドインは早くなくて?」


 仰向けで天井の白をぼんやり眺めていたら、それを遮るように姉様の顔が入ってきた。


「嫁入り前の乙女が自室に鍵をかけないなんて不用心よ」

「久しぶりのパーティーで疲れちゃって。姉様まだナイトドレスに変えてないの」

「これから夜のパーティーよ。ヴィヴィの旦那なんて特に今を時めく人気者でしょ。今頃パーティーに勤しんでいるのではないかしらね。特に今夜はあちこちで起こりそうなんだから、寝てなんかいられないんだから。私の夫なんかは今夜激しいだろうから、私も覚悟をしないと」


 姉様はいやらしい言葉を含んで口元を片手で覆って妖しく笑む、けどこの言い回しは姉様がよく使う紛らわしい隠語だ。 ホストの屋敷に泊まるというのは貴族にとって、名誉であり、戦場でもある。泊まるということは、主人と一対一で話し合いができる機会を与えられるに等しいこと、そうなれば重要な商談も政治の話も秘密裏にできる。お父様が屋敷に人を招いてお泊まりさせた時に同じようなことをしていた、が疲れて忘れてしまっていた。


 姉様が口にした覚悟とは、この屋敷で重要な取引や駆け引きが朝まで続くという意味だ。そんな静かな夜の争いの中で一人夢の中でぐっすりなんて婚約者として面目が立たないという意味のはず。


「そろそろ眠気覚まし用のコーヒーのお湯が沸くころかな〜。ヴィヴィもいるでしょう」

「ええ、します」


 今淹れているコーヒーも私のためではなく、会談をしているお客や子爵様のために用意するもの。普段はメイドがする領分ではあるが、ホストの夫人が朝まで寝ていると知られれば、周りの貴族からお飾り妻と見られて家の政治影響力が低くみられてしまう。オブライエン様と私は招待客扱いだけど、ホストである子爵の身内である以上はホストとして認識されている


 厨房に降りると、コックや見習いがパーティーの後片付けで汗を流している中で、オーブンから小麦と砂糖が焼ける甘い匂いが漂ういびつな空間が形成されていた。


「コーヒーと付け合わせのお菓子の準備はもうできそう?」

「奥様、もう上がります」


 姉様が厨房に降りたことに気づくと、コックが洗い場からオーブンやコンロに移動してトレーに置かれていたカップと小皿に次々とコーヒーやクッキーが手際よく注がれていく。

 姉様の号令一つで流れが変わる使用人たちに私は呆然とその場で立ちすくんでいると、トレーが突き付けられた。


「はい、これ二階の応接室に持って行きなさい。あなたの旦那がいるから無礼がないように、コーヒーを淹れる時は座っている人よりも頭を下げることを忘れないように」

「気をつけます」


 先ほどまで鷹揚な態度だったのが一転して、キビキビと動き出す姉様に気圧されながらこぼさないよう慎重に応接室へと向かう。

 夜の屋敷はほぼ暗闇と変わりなく廊下に取り付けられた燭台が唯一の頼りだ。それでも奥の方は良く見えない。それにパーティーが催された時と比べると、屋敷の中は不気味なほど静まり返っている。けど部屋の中では貴族同士の権謀術数や腹の探り合いが行われていると思うとこの静けさに恐ろしさが乗りかかってくる。


 慎重に階段を上がって応接室の前にたどり着くと、扉の隙間から赤々とした燭台の明かりが漏れていた。耳を澄ませると男性二人の声が聞こえて、その中にオブライエン様のも混じっていた。


「どうでしょう。二百で」

「そこは開拓が難しくリターンが低く」


 やはりオブライエン様も中で商談をしていた。交渉も行き詰まっているみたいで苦労しているみたい。トレーを片手に持って、ドアをノックする。


「失礼します。お疲れと思い、お夜食をお持ちいたしました」

「オブライエン様の婚約者様がお運びになるとは」

「この度のパーティー、親類である私が夢の中で遊んでいるわけにはまいりませんので」


 本当はそのままベッドの上で寝かけていたのは口にせず、ひざを曲げてカップの取っ手の位置に気を付けてコーヒーをそれぞれ並べていく。


「ヴィルシーナ、夜遅くまでありがとう。これは君が淹れてくれたのか」

「いえ、姉様の厨房からお持ちしました」

「そうか。足は踏まなかったか、暗い廊下で大変だったろうに」


 暗い部屋の中で黒く光るオブライエン様の黒目が向けられて、微笑むと胸がほわほわと温かくなる。やはり彼の瞳には独特の惹かれるものがある。撫でるような言葉の響きも相まって心臓の熱が火照る。


「終わりましたらまたお呼びくださいませ」


 そばにいるべきなんだろうけど、昼間のパーティーと違い商談の話となると私にできることはない。一度戻ってほかに運ぶコーヒーがないか聞いてみよう。頭を下げて、応接室から立ち去ろうとした。


「では、首都ともう一つのへの投資資金として三百で」


 え? トラキス、トラキスってどこかで…………あっ、クリスが話していたオブライエン伯爵領地だ。あそこは沼地で投資詐欺の場所になっているはず。でもあ金三百も出して沼地に投資を?


 厨房に戻っても疑問は消えなかった。噂のはずだったことが目の前に起きて、脳が受け入れるのを拒否している。間違い、聞き逃し、何かの意図と思考が迷路の中に迷い込んでグルグル回っている。


「ヴィヴィ、ヴィヴィったら。聞いているの」

「ごめん。眠くてぼーっとしていた」

「ほら、あと少しだからがんばりなさい。もう夜のパーティーもお開きになるからあんたの旦那のとこだけでいいからカップを回収しに行きなさい」


 もう時刻は深夜の三時を回っており、早く寝させるための姉様の気遣いが今は最悪のタイミングだ。でもメイドに頼んだら終わりの時までやらなきゃだめよとか妻としての自覚とかお小言を言われてしまう。

 トレーを片手に応接室に入ると、お相手の貴族の方はもう帰ってしまったようで、オブライエン様一人だけが残っていた。オブライエン様もお疲れのようでソファーのひじ掛けでウトウトとまぶたが閉まりかけていた。先ほどコーヒーを運んだ時と違い、頬肉が緩慢になっているせいか幼げに見えて五つも年が上とは思えない。

 商談のことは気になるけど、今日はお疲れだろうから余計なことは口にせずお休みにさせよう。ゆっくりと音を立てないよう、飲み干したカップと小皿を回収する。すると、カップ皿の下に羽ペンと何かが書かれた紙が敷かれていた。大事な資料かもと取ろうとしたとき、背後から欠伸の音が聞こえた。


「ふぁすまん寝ていたか」

「起こしてしまい申し訳ございません。気持ちよさそうに寝ていたので静かにしていたのですが」

「いや、俺がベッドで寝ないと困るだろ」


 俺? 今まで私と口にしていた口調が変わっていた。プライベートでは変えているのだろうか。では私と口にしているのは本当の自分ではないということ?


「その書類、こっちに渡してくれ。正式な契約書ではないが取引に関する大事なものだ」


 眠気を押さえるために眉間の間を指で押さえながら、下書きの紙をもらおうと手を伸ばしてくる。けど、私はそれを渡さなかった。


「オブライエン様、噂を知っていますか。価値のないここに書いてあるトラキスという土地に投資するという内容ですよね」

「……風評被害だ。根も葉もない嫉妬した貴族が流した噂。有望な土地を提示して投資してもらい、その分の見返りを返す。その事前協議だ」

「でもこの書類に書いてあるトラキスという土地、知り合いにその土地を検分しました。ただの沼地ですよね。さっきの話を少しだけ聞いていたのですが、見込みがある土地と合わせて価値のないトラキスと抱き合わせで買わせたのでは」


 ふぅーっとオブライエン様が大きなため息をついて髪をかきあげると彼の黒い瞳がどす黒く濁って私を睨んだ。


「……はーぁ。バレちまったかぁ。うん詐欺だよ、優良な土地をちらつかせてゴミみたいな土地を抱き合わせて金をいただく。でもあんたも同類だろ。オルファンの絵を描いているゴーストライターさん」


 一瞬心臓が止まった。その言葉が凶器のように胸を貫いた。私の絵はアトリエ以外には出してないはずだし、鍵も私かおじい様しか持っていない。


「ち、違います。私の絵なんて一枚もありません」

「春先に王都で開かれた展覧会。奥の端の方に一枚だけオルファンのとは異なる絵があった。ほかの連中は気づかなかったが、俺の眼はごまかされなかったぞ」

「あっ」


 春先の展覧会、あの時私の絵がおじい様の絵として世間に公表された唯一の機会。来場者が少ないし、おじい様の絵だとみんな勘違いしていると思い込んでいた。まさか目の前の人がそこに訪れてしかも見抜いていただなんて。なんて傲慢な考えだったのだろう。

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