2話 そっくりの絵

「ヴィヴィ、一月ぶりの絵はどんな感じかね」


 侯爵が来た翌週、画廊を運営しているクリスエス・レナードが屋敷にやってきた。彼女は今年で二十五と私より年上だが、彼女からは気軽にクリスと呼んでと言われたので私もクリスと呼んでいる。クリスとはすでに顔見知りと言うこともあり、名目上の店主である母は同席していない。というより本来このような席に出たがらない。オルファンおじい様曰く、お母様は生まれた時から箱入り娘であり、何もしなくても金銭や物が与えられる世界で育てられたそうで、商売の経験などないという。むしろわざわざ頭を使って物を売るなど煩わしいと思っているそうだ。


「はい、じゃあ中身を拝見するね」


 日光除けのシーツが剝がされる。現れたのは、水浴びをするカワサギの絵。オルファン絵は日常の風景の一部を切り取る描写をモチーフにする。唾液が飛ばないよう口を押えながら、クリスはじっと絵を検分する。


「うん。今回のモチーフはカワサギで、六号だね。じゃあ金十四枚ね」


 提示された金額は執事の一月雇える給金と同じくらいだ。プライマリーでの価格は芸術の価値ではなく絵画の大きさと作家の実績によって左右される。なので屋敷一つ分などという天文学的な金額にはならない。なので稼ぐには枚数が鍵になる。

 そこからセカンダリーで行われるオークションで元値を上乗せされた金額に競売にかけられて、やっと天文学的数字になる。


「クリス、もう少し安くすることってできない?」

「え? ヴィヴィは買う側じゃなくて売る側なんだよ。手元に入るお金が減っちゃうよ」

「今セカンダリーでは、おじいちゃんの絵が高値で取引されているって聞いて。少しでも値上がりを押さえれたらと」


 先週侯爵が述べていた高値に吊り上げているという言葉が尾を引いていた。

 侯爵様が金銭で解決しようとしていたことは問題だったけど、欲しい絵が手に入らないことが根本的な問題のはず。おじいちゃんが絵を描いてくれれば緩和できるけど、現状それは望めない。だからこちらが受け取る金額を減らして、セカンダリーでの値段を下げることができれば。が、クリスは人差し指を立てて左右に振った。


「ノンノン。この価格は、絵画ギルドが決めた価格、私個人の勝手で決めたらパパに怒られるって。それにセカンダリーでの価格は市場が決めるから、結局売られる価格は変わらないよ」

「そうか。ごめん無理なこと言って」

「いいよいいよ。ヴィヴィの善意で頼んだことだから。まあ売った絵画と市場での価格との差に悩む作者はいるからね。直接売ったらもっと儲かるのではとか考える人もいるぐらいで」


 セカンダリーの利点は、より多くの人に見てもらえる機会があること。プライマリーには将来有望な作家を見つけるための意味合いが大きいため、セカンダリーのバイヤーやパトロンなどで出入りは少ない。だけどセカンダリーは違う、バイヤーの持つ人脈の厚さでどの作者の作品が出るかをパトロンや金持ちに伝えてオークションを開催する。そして噂を聞きつけた人々がそれに群がり、結果金が集まる。

 確かに作品が売れている作者本人が直接売る、いやオークションを開けば天文学的な金銭が全部自分のものになる。けど、作者に金持ちとの人脈や会場を用意するハコの資金などを用意するのは難しく、逆に赤字になったりする可能性がある。それだけならまだよい方で、最悪今まで世話になったバイヤーとの信頼が壊れ、絵が売れなくなるという事態にまで発展するおそれもある。

 直接オークションで売るというのは危ない橋を渡る行為なのだ。


「ちなみに、これどのくらいで売れると思う?」

「うーん。風景画として価値と、オルファンの動物が描かれている絵の相場、それに集まってくる人の勘定すると、金百五十枚くらいかな」


 だいたい馬を含めた馬車一台分の値段、元値の十五倍にもなる。それでもあくまで想定で、これより上に跳ね上がる可能性もある。もしかしたら屋敷一つ分ほどの金額にもなりえる。それほど市場人々はオルファンの絵を欲しがっている。


 そろそろこれを見せてもいいかな。


 ヴィルシーナがソファーの後ろに隠していたもう一枚の絵、先ほどのカワサギの絵より一回り小さい五号の絵をクリスの前に差し出す。


「この絵、まだ見せてなかったのだけど、どのくらいの価値があるのかな見てほしいのだけど」


 キャンバスをテーブルの上に置く。先ほどのカワサギと異なりこちらは店外カフェで談笑している人々が描かれている。絵も夕焼けの太陽を一身に浴びたオレンジで彩られていた。一瞬、クリスがしかめっ面を見せて、背中に怖気が走ったが、すぐに彼女の額のしわは取れた。


「これいつの絵?」

「先月、おじい様が送ってくれたのだよ」

「なるほど、となるとプライマリー価格で、五号だから金八枚だけど。セカンダリーならさっきの絵と同等ぐらいにはなると思う」

「これにでもそれぐらいの価値が」

「あるある。だって今供給が減っているオルファンの絵と聞けば会場は大入り満員、規定のオークション時間を越えてしまうことなんてよくあることだよ。どうするこっちも引き取ってもらう?」

「ううん。こっちはまだおじい様の許可が取ってないの。今の市場だといくらになるか気になって」


 やっぱりクリスの眼でも誤魔化されるほどのクオリティなんだ


 今年の春ごろ、とあるパトロンからおじい様の展覧会を開きたいという申し入れがあった。この頃にはすでにおじい様は下絵しか送ってこなかったが、まだ在庫は大量に残っていたため飾れるほどの枚数はあった。けど一か所モチーフになる絵が足りないとパトロンから連絡があった。しかしそれに見合う絵は下絵を除いて底をついていた。それでもパトロン側からは、未完成でもいいから送れと催促の連絡が来たことからと仕方なく私がおじい様の絵と似せて筆を入れた絵を送った。

 角のところであまり目立ちにくいところだし、向こう側も未完成を送れと申し出たのだから「こちらは未完成なので」と言い訳できるといじわるを込めたものだった。


 ところが、展覧会開催の翌日パトロンから私の描いた絵が欲しいと連絡があった。最初はその人物の審美眼が間違っていたと思ったが、十数人しか来訪してない展覧会のうち四人も名乗りを挙げたとあれば話は変わってくる。その場は未完成品であるからと断りを入れたが、完成したら購入させてくれと名乗り出て、何人かが直接うちの屋敷に買い付けの交渉に来たりした。


 今まで趣味の範囲で描いていただけの人間が、たまたまおじい様の絵を真似たもの出しただけなのにと怖くなってしまい、今まで隠していた。そして今日クリスに鑑定を頼んだが、その結果がこれである。


「ヴィヴィ、なんか顔色悪いけど大丈夫? やっぱりここんところ屋敷に直接絵を買いに来る人が増えているせい? 執事さんから聞いたわよ。奥様もぐったりしているみたいだし、この間はとうとう侯爵様まで来られたそうじゃない。絵の管理をヴィヴィの家でしなくてもいいんだよ」

「ありがとう、でもおじい様がずっとここに絵を送ってくるからここで管理しないと」

「やっぱりそこかぁ。作者本人の行方がわからないのが困りものだよね。って、ごめん。大変なのはヴィヴィの方だよね」


 クリスは優しい。でも本当はおじい様が下絵しか送ってこなくなり、その下絵をこっそり私が描いたものが大量に眠っているなんて答えることができない。これが市場に出てしまえば、偽物がばら撒かれる大惨事になる。市場だけではない、それを売った私の家やおじい様の評判も地に落ちる。それだけは避けなければならない。


「じゃあまた頼むわ。本当に絵の管理が大変だったらいつでも私に相談していいからね。近親だからって、絶対に管理といけないわけじゃないんだから」


 ばいばいと手を振ってクリスが応接室から出るのを見届けて、ソファーにもたれかかる。

 どうしよう。私の偽物の絵も悩みだけど、直近での問題はおじい様が手掛けた絵がだいぶ少なくなっている。完全に底をついてしまえば、絵が送られるのに売るものがないのは変だと怪しまれてしまう。しかしおじい様がちゃんとした絵を送ってくれる保証もない。

 八方ふさがりで困っていると、お母様が扉にもたれながら入ってきた。


「ヴィヴィ、商人の方との話終わった?」

「今終わりました。これ今回売れた絵のお金です」


 今回の売り分である金貨十四枚が入った袋を渡すと、お母様は大きなため息がもれた。


「これだけじゃあ女中の給金だけで消えてしまうわね。うちでオークションを開いて全部売りさばいたら手っ取り早いんじゃない」

「お母様、オークションだなんてうちにはそれを開く財力もないのに」

「だって仕方ないじゃない、あなたが結婚するまで時間がないんだから」

「結婚!?」

「そうよ。来月婚約者候補の方をお呼びしているから、化粧師と仕立て屋にどんなのがいいか相談しなさいね」

「そんな急に言われても。それに絵と結婚に何の関係が」

「だってヴィヴィじゃないと絵の管理なんて家の誰もできないんじゃない。私じゃ絵のことなんてさっぱりだし。結婚式の前に絵を全部売り払ってちょうだいね」

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