第2話
夕方、『オムレット』は常連客を中心にまばらに席が埋まっていた。愛理が一人でも回せるほどの状況で、藤崎は常連客のひとりである坂本の話し相手をしている。
「ヒナちゃん、そういえば今度咲造さんがお店見にくるんだって?」
「そうそう。ちゃんとやってるか視察に来るんだと」
「そうかい。元気そうで良かった。でもヒナちゃん大丈夫かい? お店の名前とか……」
「何がだよ? 大丈夫大丈夫! 俺のセンスにじいちゃんも感動しちゃうね、きっと」
常連客の坂本は六十代で、背は一五五センチの愛理より少し高いくらいの小太りな男性だ。この店が以前藤崎の祖父、咲造が経営していた『純喫茶シェイクスピア』の頃から通っている。当時からの常連客と同じように、藤崎の下の名前、
今から十ヶ月前、『シェイクスピア』が藤崎に引き継がれ『オムレット』になってからもほぼ毎日顔を出してくれていた。優しい性格の彼は若干厳格な咲造の性格を知っているので、今の店の名前を見たら、ふざけているのかと藤崎が叱責されることを心配していた。当の本人は全く気づいていない。
「愛理ちゃん、もしかしてヒナちゃん……」
「はい。その通りです」
「はあ。確かにヒナちゃんならあり得ないことではないか」
「はい……。でも大丈夫です。ちょっと強引ですけど、考えはあります」
坂本と愛理は核心には触れずにうまく会話をする。話がひと段落したその時、店のドアが開いて、上部に取り付けいている錆茶色のベルがチリンチリンと鳴り響いた。開いたドアから、若い男性が一人、店内へ入ってくる。
「真白! お前今日休みだろ? どした?」
「愛理さんが新メニューの試作するって言ってたんで食べにきました」
「真白くん! お疲れ!」
「お前、そう言って休みの日まで賄い食いに来るのいいかげんにしろよ」
真白は週に三回『オムレット』で勤務するアルバイトの大学生だ。彼のシフトは原則火曜の夜と、土曜、日曜だが、休日にも賄いをたかりにくる倹約家でもある。日焼けして浅黒い肌に筋肉質な藤崎とは違い、肌の色は白く華奢な美形の真白のおかげで、週末の女性客が増加した。
「店長、ついでに真白くんに作り方も教えちゃうんで、ホールお願いしますね」
「愛理! お前も真白に甘い!」
「いいじゃないですか。週末教える時間もないし。それとも私がいない火曜日、店長が作ってくれるんですか?」
「い、いや、それは……」
「でしょう? じゃあお願いしますね!」
「へいへい」
藤崎は口を尖らせ眉を上げ、拗ねて見せる。が、愛理と真白は何のリアクションもせずカウンター奥のキッチンへ入っていった。
キッチンに入ると、愛理は真白の前で作り方を教えながら『ハムレット』を完成させた。
「さてと、出来上がり! さあどうぞ」
折りたたみの椅子を調理台に向かうように置いて、調理台には『ハムレット』の皿を置いた。藤崎に出した時とは違いコーヒーではなく、コンソメスープをマグカップに注いで真白に渡す。
「いただきます」
真白は椅子に座ると両掌を合わせて軽く会釈し、まずはスープを一口飲んだ。彼の肩の力がわずかに抜ける。そのまま『ハムレット』とサラダをバランス良く食べ進める。その間に愛理は調理器具を手際よく洗い片付けていた。その後はコーヒーを淹れる準備を始める。
「ごちそうさまでした。おいしかったです」
「よかった。コーヒーは?」
「あ、いただきます」
「了解」
数分後、愛理と真白はコーヒーを飲みながら作戦会議を開始した。
「どうやら店長のお祖父様は来週平日のどこかで顔を出すと言ってるみたい」
「なるほど。じゃあ『ハムレット』もそこにぶつけたらいいんですね」
「その通り! で、真白くんの作戦は?」
「はい、これなんですけど……」
真白は普段使いしている黒いリュックサックから、クリアファイルを出して愛理に手渡した。数枚のプリントが挟んであり、彼女はそれを黙って読みはじめた。
「これ、業者とかは?」
「事前に話は済んでいます。料金も格安なので問題なしです」
「大掛かりな気もするけど、店長なら乗せれば問題なさそう」
「そうですね。あの人かなりのお調子者ですし」
「確かに。じゃあ、この作戦で行こうか!」
「はい!」
二人は一見真面目な顔で目を合わせ頷く。しかし、すぐに口元を緩ませ、白い歯を見せて笑い合っていた。
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