異例です[完]

どこかで野鳥の鳴く声がのどかに聞こえ、

目えない鳥を目で追いながら


刺青紳士に向き直り


「そうですね…

残念ながらタトゥーのお客様、

例えファッションタトゥーでも

また、泥酔されているお客様も

お断りさせて頂いています」


「ご宿泊ではなく、

あくまでも日帰り入浴と

ご昼食でございますか?」


と、

ご主人様が

「入院中でして…

夕方までに戻るという事で

外出の許可を貰い、出て参りました」


今度、退院若しくは

今の病院を出る頃には、昏睡状態か

せん妄で意識混濁の状態だと

はっきり言われました…友人なので

包み隠さず、言ってくれました


と。


「そうですか…」

少しの沈黙が続き


「そうでしたか…

さぞやご無念だとは、思いますが

そこまで、覚悟をして

奥様とご一緒に出掛けて来られたんですね」


「如何ですか?

痛みのコントロールは出来ていますか?」


お二人で静かに頷かれ

爽やかで、屈託のない笑顔を

されていました


「お部屋をひとつ、空けました

誰に遠慮も要りません

お食事もお運び致します

ここのお部屋は全て、低アルカリ性単純温泉の内湯・露天風呂付きです」


「お食事は、大丈夫ですか?

召し上がれそうになければ、女将特製の薬膳がゆでもお作りしましょうか?」


「また、岩盤浴も設置しています

お身体を温められ、癌は熱に弱いと聞きます一日でも長く、素敵な奥様の傍に、いて差上げて下さい」


奥様は言葉にならず、頭を下げられて

涙を堪えていらっしゃいました



女将は

凡人ですので、

しゃくりあげて泣いてしまいました。


ご主人様は、腰掛待合の前に

設えております、蹲に張られた水

がゆらゆら揺れるのを

じっと

見つめていらっしゃいました



お部屋で、ゆっくり過ごされ

とても晴れ晴れとした笑顔で帰られる

ご夫婦に我々の方が癒され

生きる事の意味、去る事の覚悟

感謝、労り、深い愛


後になって、過分なお心付けを

置いて行かれていた事が分かりました


入浴料とお食事代は頂きましたが|

それ以上はご無用だと、私が申す事

見抜かれていたのでしょう…

床に設えた秋の茶花、山からの頂きもの


水引

雄山火口おやまぼくち

竜胆りんどう

射干玉ぬばたま

杜鵑草ほととぎす

女郎花おみなえし

矢筈芒やはずすすき

有馬籠ありまかごに入れておりました


その籠の下に、一筆走り書きとお心付けが

忍ばせてありました


女将、お宿の皆さん

本当にありがとう

苦労ばかりかけて来た恋女房に

ささやかな孝行が出来ました


と、

私、膝から崩れ落ちました

花籠の下に忍ばせるなんて…

粋なご夫婦様でした


まるで、高倉健さんと倍賞千恵子さんの

映画を生で見ている様な

そんな息を呑むシーンでございました


短い時間に

色々な瞬間を見せて頂きました


悲しい現実から

逃げる事は出来ませんが

しっかり受け止めて

残す者

残される者

それぞれ大切な存在ですね


私、

人が、とても好きです

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