第19話

「ああ……そうだ。私もお詫びの品を用意してたんだよ。ちょっと待ってて、すぐに持ってくるよ」


 月影つきかげさんはそう言って駆け出した。おそらく部室かどこかに、用意しておいたお詫びの品を取りに行くのだろう。


 そして一人取り残されて、思う。


 汗の匂いって……不快なものだけじゃないんだな……とても健康的でスポーティーで……って僕は何を考えているんだ。気持ち悪すぎるぞ僕。


「おまたせ」しばらくして、月影つきかげさんが小走りで戻ってきた。そして手に持った品を差し出しながら、「これをどうぞ。入浴剤。私も使ってるやつで、疲れもとれるし寝付きも良くなるし、オススメだよ」


 そんなことを言われても、今の僕の耳にはあまり入っていない。こんな美少女を目の前にして平静を保っていられるほど、僕の精神は大人じゃない。

 心臓がうるさくて、呼吸も苦しくなってくる。これが恋か……? 


「……?」そんな僕を見て、月影つきかげさんが言う。「気に入らなかった……かな?」

「え……いや、そうじゃなくて……」しまった。見惚れている場合じゃない。攻略本のとおりに動かなければ。「ありがとう……大切に使うよ……」

「大切に……ああ、うん……」


 しまった……入浴剤は大切に使うものではない。使い捨てのものなんだから、大切も何もない。パニックになって変なことを言ってしまった。攻略本に書いてないことを言ってしまった。


「そ、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ?」気を使わせてしまった。「ほら……私たち同学年だし……もっとリラックスしても大丈夫だよ」


 まずい……それは攻略本にないセリフだ。僕が挙動不審な動きをしてるから、変なセリフが出てしまった。

 攻略本にないセリフに対して、どう返答したらいいかわからない。自分のコミュニケーション能力のなさを恨むぞこの野郎。


 僕が黙っていると、月影つきかげさんが喋りはじめる。そのセリフは攻略本にあるセリフだった。


「とりあえず……これ、ありがとうね」月影つきかげさんはスポーツドリンクを見せて、「じゃあ……さようなら」


 そう言って、月影つきかげさんは頭を下げる。そして手を振ってから、背を向けて歩き始めた。


 そんな月影つきかげさんの背中に向けてかける言葉が――


 ◆



選択肢A 「家まで送るよ」

選択肢B 「うん。さようなら」

選択肢C 「家まで送ってよ」



 ◆


 選択肢Cはよくわからんな……なんで僕が家まで送ってもらう道理があるんだ。大抵の場合、男性が女性を家まで送るわけであって……って、最近のジェンダーレスの流れを考えると、別におかしい選択肢ではないのか?

 

 ちなみに、ここでの選択肢で好感度は変化しない。その後の展開が変わって、そこでは好感度が変化する。つまりシナリオ上の分岐選択肢だ。

 一番好感度が上がりやすいルートは――


「い……家まで送るよ」


 この選択肢を選ぶことにより帰宅イベントが発生し、そこで好感度を上げることができる。うまい選択肢を選べたら、の話だけれど。


 月影つきかげさんは振り返って、


「え……いいよ、そんなの」

「時間取らせちゃったし……あの、えーっと……」なんだっけ……? なんて言うんだっけ? 悩んだ末に、「ボディ……その……が……」

「ボディ?」


 マズい。身体目当てみたいになってる。そう思われるのは非常にマズい。僕の高校生活が終わってしまう。僕自身が自殺してしまう。


 しかし、僕のコミュニケーション能力のなさを、月影つきかげさんがカバーしてくれる。


「ああ……ボディガードしてくれるってこと……?」

「……そう。それ……」できる限り、攻略本に寄せていく。「僕が言っても……あんまり説得力ないかもしれないけど……」

「そんなことはないけれど……」


 あるだろう。バスケットボールに当たってKO食らった男だぞ。頼りないことは自分でも自覚している。


「じゃあ……えーっと……せっかくだからお願いしようかな?」


 そんなことを月影つきかげさんは言ってくれる。この返答がくることは攻略本を読んで知っていたけれど、ホッとした。断られたらどうしようかと思っていた。


 この時点で月影つきかげさんは、僕のことをなんとも思っていない。ただ新しい友達ができた、くらいにしか思っていないのだ。恋人だとか恋心とか、そんなものは一切ない。

 ただ単に、友達と一緒に帰るのは不自然じゃない、くらいのノリである。


 ここから彼女と仲良くなれるかどうかは、僕次第だ。

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