第二話
紀州藩主である綱教兄上の逝去の報は紀州藩を悲しみに落とした。
城内にて話に通知された時は、茫然といったような表情をする者、すすり泣く者、戸惑いを隠せない者。誰もかれも驚きと悲しみを表していたように思う。
現実問題として綱教兄上は藩主となって七年しか経っていない。七年というのは政治的な成果がやっと出始めるころ。そのようなタイミングでの死。藩の運営にも暗い影を落とす。
そして昔から期待されていた綱教兄上と違って残る直系男子は、藩主としての英才教育を受けていない。
その直系男子とは三男の頼職と四男の俺、頼方のみである。
さらに言えば二人とも、別の藩を立てた藩主の身だ。ある意味、紀州徳川家を出た身と言える。
俺の身の上を知っていれば、藩主として実務経験を積んでいるかわかると思う。
つまり二人ともお飾り藩主だ。実務の能力は期待されていなかった。支藩にあたる藩主なんてものはそれでも良い。
親藩が差配するのだから。支藩の実務者は藩主の意志ではなく、親藩の家老の指示で動くのだ。
ちなみに綱教兄上に子はいない。つまり頼職兄上か俺が紀州藩を引き継ぐしかない事になる。
俺は紀州藩の藩主なんぞやりたくない。むしろその座を譲るから、葛野藩を紀州藩の支配から解放してほしいくらいだ。
小さな葛野藩を自由に動かしてみたい。気に入った能力のある家臣を探し出し、共に良い藩を作っていきたい。農民が努力すればするだけ裕福になるようにもしたい。
そういう風に考えていくと紀州藩は大きすぎるし、しがらみも多すぎる。そういう事をするには、歴史の浅い葛野藩が適していると思っている。
それに徳川家では長幼の序を重視する。順当にいけば頼織兄上になるはずだから、俺は余計な事を考える事もなく、ある種の気楽さを以て先の藩主となってしまった綱教兄上の死を偲ぶのであった。
その年の夏。
紀州藩では、新たな藩主を迎え動き出していた。
幕府へ新藩主の家督継承の儀の届出も無事に済み承認された。
新藩主である頼職兄上は家督承継のため、江戸に出府したまま、まだ戻らない。
大方の予想通り、藩主には三男の頼職になった。彼の支藩 高森藩は、その領地を幕府へ返納し消滅した。
紀州藩の運営は元々優秀な頭である藩主と身体部分を担う家臣たちにより執り行われていた。
四代目藩主からは、頭としての機能を果たせず、身体が好き勝手動くようになった。
それは、幕府の承認まで、藩主不在のまま藩運営がなされていたし、藩主が指示できるほど能力もなかったからだ。
既に解き放たれた身体部分は、再び首輪をつけられる事を嫌うように、藩主へ情報が伝わるのを忌避するようになった。
新任の藩主が江戸にいて戻らない事も影響していると思う。
元々、不正体質である紀州藩士達が、自由に動き回れば、どうなるかは一目瞭然。
さらに助長される事となり、国家老派の横暴は目に余るようになる。
誰もそれを止めようがない。一部の良識派は加担しない事くらいでしか抗議できず、大半の藩士は、権力者に擦り寄る事で、自己の利益を図る。
俺は、何をするでもない。相変わらず紀州にて逼塞する日々
一時、庭番の忍びを動かし、自藩である葛野藩士の不正の証拠を掴んでは糾弾してきたが、国家老派に握りつぶされた。
念入りに言い逃れができないようにしても、そいつは呼び戻され、同じような国家老の息のかかった藩士が来るだけで何の意味もない事を理解した。
だから庭番の忍びには、紀州藩の国家老と重臣どもから優先して不正の証拠を集めさせている。
ここまでくると大元を絶たねば、変えられない。情報を集めた所で使い時があるかも定かではない。
それでも、我が物顔で紀州藩を食い潰す悪漢を野放しにしようとは思えなかったのだ。
そして、いつか葛野藩が紀州藩の支配から脱却する時には役に立つはずだ。
四代目藩主となった頼職兄上の役にも立つ事だろう。
そう思い、忍術修行を終えた庭番の者から、順次、藩士の不正監視、証拠固めを行わせておる。
そうそう。庭番の忍びになりたがる次男坊、三男坊が増えてきたのは嬉しい報告だった。まさのふとひまり殿の草の根活動が徐々に実を結び、少しずつ諜報組織の体をなしてきた。
指導官の三左は、どんどん増える若手を嬉々として指導しているらしい。
彼が頭領である夕凪衆は、どれくらいの規模であるか解らぬが、多くは無いようだ。
閉鎖した集落で逼塞していた彼らは、子が生まれにくくなり、人の数は先細っていったらしい。
だから若い者達がこぞって指導を受けにくる様は、彼の琴線に触れたようだ。
後は彼らの仕事を用意してやるだけ。今は、不正の証拠集めにかかりきりだ。
大藩である紀州藩士のほとんどが不正に携わっているのだから、それも当然というもの。
しかし、その情報を俺が扱えていない。
せっかく彼らの努力の結晶に陽の目を見せられないのは不徳の致すところ。
いずれ報いると心に決めている。
そして忍術修行の卒業生、第一号は大方の予想通り、宮地ひまり殿だった。
だが、彼女には普段通りの生活に戻ってもらっている。
庭番の忍びは、その前身もあり男しかいない。
いずれ女性でなければならぬ事が出てくるだろう。その時には、彼女を頼るつもりでいる。
何せ、現状一番の使い手は彼女だから。
しかし、三左が言うには、候補生の中に見込みのある奴がちらほらいるらしい。
その者達は、さらに負荷をかけ組織の頭となれるよう特訓を受けている。
俺はその者達に会えるのを楽しみしている。
相変わらず嫌な事も多いが、思い描いた事が形になってくる楽しみも増えてきた気がする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます