第十六話

「政信、この屋敷から日用品の商家までの道のりを教えてくれ。それとさくら殿が立ち寄りそうな心当たりも」

「ご面倒をおかけして申し訳ございません。一応、私も同じ道のりを行って商家でも話を聞きましたが、普通に帰ったようです。ただ店主は既に外商に行っていてしまったので、戻っていれば別の話を聞けるかもしれません」

「わかった。普段通る道のりで頼むな。それと……」


 ガサ。

 政信に頼み事をしていると、音がした。庭の植栽に何か落ちたようだ。政信は、つんのめるように庭へ駆け降り、音がした辺りの枝を一心不乱にかき分ける。まるで、さくら殿が空から落ちてきたと思っているかのように。


 そして政信は、動きを止める。何かを片手で拾い上げた仕草から彼が考えていた物ではないようだ。いや、考えないようにしていた物かもしれない。


 俺らは縁側に履物が無く、さりとて玄関まで回るという選択肢も思いつかず、立ち尽くしているだけだった。政信が何かを見つけた様子を見て、玄関に回る時間も勿体無いと、居ても立ってもいられず裸足のまま庭へ飛び降りた。


 政信は振り返ると拾ったものを差し出す。

 その顔は日頃の色白を通り越して青くなっている。手を見ると石のようなものを真新しい紙で包んで捻った、てるてる坊主のようなものが一つ。それは政信の顔色のように白い。


 山波家含め、近隣を固める庭番の家の者では、高価な紙をこのように使うことはあるまい。紙を有していても反故紙や黄色みのあ紙くらいがせいぜいだ。こんな白くて綺麗な紙を使用できるのは、裕福な者か、権力を持つ黒幕が背後にいる者か。

 いずれにせよ、感情のまま、かどわかされたわけではなさそうだ。状況的に俺らが屋敷に入ったのを確認してからの対応なように思える。


「松平様、お開けいただけませんか? 私には恐ろしくて中を見る勇気がありません」


 俺は震える政信の手から投げ文を受け取る。この流れからある意味、覚悟ができつつある。俺の考えた通りであれば、この投げ文は俺に宛てて書かれているはずだ。

 そうでなければ良いと思いつつ、間違いなく俺宛だろうという確信。


 受け取った投げ文を開く。中には子供の手にすっぽりと収まるような大きめの石。それを退けて書かれている文面に目を通す。やはり。


「すまん、政信。さくら殿を巻き込んでしまったようだ。狙いは俺らしい。今から四半刻までに紀ノ川の河口から少し上流にある二本松まで来いとの事だ」

「二本松というと船着場がある辺りですな」

 水野が思い出すように確認する。俺と水野なら走れば四半刻くらいで辿り着けるだろう。


「やはりそうでしたか。間違いなく、さくらは美しい。拐かそうとする者がいてもおかしくありません。しかし下士とはいえ武士の子女、ゴロツキ相手なら逃げるか手傷を負わせるくらいは出来るでしょう。ここまで鮮やかに手がかりもなくなど、そんじょそこらも者には出来ません」


 妹自慢が入ってくるあたり普段の政信に近付いてきたようだ。何があったか分からぬ不安から、状況がはっきりした分、気持ち的に吹っ切れたのかもしれない。

 こうなれば後は無事にさくら殿を助け出すだけだ。


「政信、俺と水野はすぐに向かう。また後で会おう!」

 俺と水野は裸足のまま庭から玄関に周り、しっかりと草鞋を整えると目的地に向けて走り出した。


「私も準備と連絡関係を済ませて、後を追います!」

 背中に投げかけられた政信の声は、どんどん遠ざかっていくように小さくなっていった。



 山波の屋敷を出て駆け出して少し経つと、和歌山城の側まで来た。走りながら犯人たちの狙いを考えていた。武家の子女を誘拐するという荒業をしてくるのだから、俺と話し合いをしたいわけではないだろう。暴力的な手段でもって俺の命を狙うはずだ。

 ここまでの手段を取ってくるほど俺が恨まれる事など身に覚えがない。

 国家老にとってみれば、自身の派閥藩士の部屋住みなど持て余した藩士の受け皿として葛野藩を利用している。自分の懐を痛めず恩も売れて、紀州藩の経費削減にも繋がる。有用である事は間違いないから俺を排除する理由はない。

 せっかく広げた自分の派閥を縮小することは無いだろう。


 いざこざのあった嫡男の生母、お萩の方にしても、嫡男 綱教の立場は安泰だし、控えであった俺や頼元兄上は徳川宗家から領地をもらっている。それは紀州藩の後継者ではないと内外に知らしめられたことを意味する。となると敢えて危険を冒してまで俺を排除する必要はない。


 そう考えてみると、こんな大ごとを仕掛けるほど、財力を有していて恨みを持つ人間はいないはずなんだが。

 こればっかりは、考えても答えは出ないか。


 しかし、このまま指示に従えば主導権は握られっぱなしだ。言われた通り行動しても、走り続けたことでバテてしまい、まともに剣など振れまい。そうなってしまえばさくら殿を助ける事すら叶わぬ。


 水野ならそれでも相応の力を有しているだろうが、今回は俺の命が奪われれば、それでお終いだ。さくら殿と俺を守りながらでは、力を発揮するのは難しいだろう。


 少なくとも俺は俺で身を守れるようにせねばならん。我は武士の棟梁たる徳川家の人間。武芸は疎かにしていないが、戦国絵巻のように何人も切り捨てられるほど才はない。であるならば、俺は水野に心配を掛けさせず、彼に思いっきり動けるように補佐出来ればそれでいいはずだ。


 主導権を奪うにはどうしたら良いか。


 地の利は、向こうに抑えられている。これはどうにもなるまい。

 しかし河原を指定されたのは、幾分良かった。やつらは俺が幼き頃より河原者と暮らしていたなんて知りもしないだろう。領民も家老家の子としてならまだ覚えているかもしれないが、その後、名前がころころと変わり五年も経っている。

 河原の石は、足運びをしにくいうえに浮石もある。この辺りが命のやり取りでどれほど重要になってくるか。


 人の和も厳しいだろう。山波屋敷に入ったのは、俺と水野だけなのはバレている。短い時間指定で駆け付けさせようとしているのは、俺らの体力を奪うのと援軍を呼ばせないためであろう。誰か使いを城に出したところで、一刻以上はかかる。それだけ時間をかけてしまえば河原での戦闘は終わっている事だろうな。こちらの人員は俺と水野、あとは山波政信が間に合うかどうか。政信は庭番の家の者とはいえ、荒事には向かない引きこもりの文官タイプだ。


 天の時。やつらの裏をかけるのは、これくらいだろう。走って駆け付けるより速く、そして体力を温存できるのはこれしかない。現状を打開して、少しでも主導権を奪い返す方法は一つしか思いつかなかった。それも、あいつがそこにいてくれればという賭けになるのだが。


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