青年藩主編

第一話

 十四歳 俺こと徳川新之助は松平頼方まつだいら よりかたとなった。

 あの和歌山城に呼び出され徳川一門として生活を始めてから八年の月日が経っていた。


 去年、従四位下右近衛権少将じゅしいのげうこんえごんのしょうじょうという高い官位を授かり松平頼久と名乗っていたのだが、その名乗りも一年だけのことだった。元服した扱いで名前を変え官位をもらう。これは御三家の子息にとって通過儀礼のようなものだった。だから高い官位とはいえ、俺が特別というわけではなく、皆同列の官位を得ている。尾張も水戸もだ。


 名前はコロコロ変わっているが、今は松平頼方。徳川でもないところがポイントだ。

 父上の紀州藩の支藩という扱いで徳川宗家のサブのサブ。徳川家を継ぐことはないから一つ格落ちして松平姓となったのだ。

 松平姓は徳川家にとって特別扱い家柄ではあるものの、必ずしも徳川の血筋でなくとも、家臣へ褒美として下賜されることのある程度の姓に過ぎない。


 とはいえ、その所に俺は気にしていない。なぜなら支藩としてとはいえ、領地を持てたのだ。

 さらに良かったことと言えば、支藩として設立する際によくある、親の藩の知行を分け与えられるのではなく、天領(将軍家の領地)から下げ渡されたので、父や兄の綱紀に迷惑を掛けずに済んだことだろう。

 俺も三番目の兄も同様に三万石の領地を授かったのだが、これが紀州藩の分与となっていれば、紀州藩は四十九万五千石となって財政赤字をさらに悪化させる原因となっていただろう。


 なにより、この領地を持つこと自体、奇跡的な流れに導かれるような事であったので、三兄の長七 (今は松平 頼職にと名乗っているが)とともに支藩の分立を許されたことは俺にとって幸運だった。

 下働きのように藩務に取り組んできたが、相も変わらず紀州藩は赤字体質だし、侍上位の思想に変わりはない。それなのに横領や職務怠慢などは各所に見受けられる。


 俺はそんな状況で最初の頃のような心持ではいられず、腐っていた。色々と足掻いてみたのだが、自分だけが良くあろう動いてみても足を引っ張られるだけだし、全体としては何も変えられなかったし、変わらなかった。

 次第に藩を良くしてやろうという思いは小さくなり、自分が藩主ならどうするだろうかといった、内向きの考えをすることが多くなっていった。


 水野は相変わらず俺の側にいてくれている。彼は修得していた林崎流の印可を得て一流の剣士となっていたが、俺の護衛のような仕事しかしていない。俺が街に出るときや視察と称した、ぶらつきの際に俺の安全を守ってくれている。

 彼の腕を発揮できるような仕事につけてやれなくて申し訳なく思っていた。

 これからは領地で剣術師範の職務を任せても良いし番方のトップに据えてもいいだろう。


 黒川殿は、変わることを拒むように代官の職務を続けている。彼自身に変化はないが、養子をとった。以前、ご家族の話を聞いて以降、黒川家の存続という面で少し軟化していて、見込みのある若者に代官としての職務や心意気を引き継ぎたいと考えるようになったらしい。

 本当は俺に継いでほしかったようだが、さすがに徳川の血筋の男を下士の家の養子にはできず、代わりと言っては何だが俺がある男を推挙した。河原者の巳之助だ。

 彼は生来の利発さを有していて、河原者として生きていくのはもったいないと思っていたし、武家出身という背景もあったから黒川殿に巳之助はどうかと打診したのだ。

 元々、和歌山城下の河原者の集団へ挨拶に行くときに既に会っていたので話はとんとん拍子に進み、目出度く巳之助は黒川巳之助として代官見習いとして黒川殿を手助けしている。

 いずれ、黒川殿が隠居する際、家督とともに職務を引き継ぐ予定である。


 一方、寅はというと侍身分には見向きもせず、単純に巳之助の出世を喜んでいた。

 彼自身は、元々の集団の長と川舟を手に入れ荷運びの仕事をしている。好いていた元長と一緒になってできる船乗りの仕事は、彼にとっては天職なようで嬉々として舟をこいでいる。良い体つきをしていたが筋骨隆々といった具合で体つきだけなら水野にも引けを取らない。


 唯一の味方というか同志ともいえる伊澤殿は、ついに土木の専門家を見つけ出し思い描く治水事業に着手するようだ。大畑才蔵殿という方で領内の庄屋出身であるらしい。彼自身も大畑殿に教えを請い、あくなき探求心を満たしている。勘定方でも順当に出世をしていて、望む仕事を選べるようになっていた。


 結局のところ、俺は生まれの良さだけで良い方向に進んだが、自分の思うやりたいことは何にもできていなかった。こうやって振り返ってみるとみんな着実に進んでいるのに、俺は足踏みしている。この数年、何かやり遂げたわけでもないのに藩主の身だ。なんかズルをしているように感じて、クサクサしてくる。みんなは自分の足で歩いている。俺は走り回ったけど、碌に前に進んでいない。


 こうやって気分が後ろ向きになると自分が藩主だったらという妄想に引きこもる癖ができてしまった。そうやって考えていると今の閉塞感が和らぐように思えるのだ。

 そしてこれからは自分の領地で好きなようにできると思うと期待に胸膨らむ。


 今の俺は支藩の藩主の身として江戸にいるままではなく、俺の家臣となる者の面談に紀州へと戻ることとなり、籠に揺られ領地経営をどうするか思いをはせている。

 その戻る道すがら、大きな転換点となった江戸城でのお目見えのことを思い出していた。

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