幼少期編 第二十九話

「やあ、徳利爺。久しぶり」


 この和歌山城下 そばの河原は町からも近く河口にも近いので河岸が広く、雨露さえ凌げれば暮らしていくのに苦労はしない場所だった。


 食い扶持さえ目処がつけば、寅たちの集団を受け入れたところで何の問題もない。問題があるとすれば、徳利爺の集団の秩序に従って暮らせるかという一点のみであろう。


 寅たちはと言うと、河岸の広さ、人数の多さ、生活環境、全てにおいて自分達の上回る様子を見て言葉を発せないようだ。あの寅もだ。

 徳利爺との話がスムーズに進むから、それはそれでありがたいけど、ちょっと刺激が強すぎたようだ。


「何だで?源六(当時の新之助の名)かや」

「おう、源六だ。徳利爺、元気だったか? あん時は色々と世話になった」


 徳利爺は相変わらず、徳利を抱えてウトウトしていたが、近づき声をかけるとすぐに起きてくれた。会わなくなって一年程だが変わっていないな。集団のみんなも大きく顔ぶれも変わってないし顔色も悪くない。環境も大きく変化はないようだ。


「どうしたがや? お前さんは、お役人様になったと聞いたで。早速おら達の手入れがや?」


 徳利爺の言葉を聞いて、周囲の穏やかな雰囲気が幾分剣呑な雰囲気に変わった。


「まさか。世話になった仲間をどうにかする気はないよ」

「仲間に仇なしたら……わかってんだろうな?」

「ひっ……」


 本当に威圧感が凄いのでやめてください。

 羊之助が思わず声を出してしまったみたいだ。俺は徳利爺から目を逸らせないので耳だけで判断する。水野は泰然としているだろう。俺も剣術やるかな。


「そんなんじゃないって。むしろお願いに来たんだ」

「お願い? ぬしが今更、願う事などあるんか?」

「俺自身のことじゃないんだ。後ろにいる、こいつらは別のところに集う河原者なんだけど、今のままじゃ次の冬は越せなそうなんだ。徳利爺のとこの仲間に入れてやってくんねえかな」


「そんな事だがね、ええで」

「そんな事って。本当におら達ここに住んでいいんですか? おら達だけでなく二十人くらい、いるんですよ」


「ここは川岸が広い。浜辺に行きゃあ、いくらでも魚が取れる、流木を集めてくりゃあ、薪にも苦労せんで。加えて町でも仕事もあるから銭っこも稼げる。二十人くらい大したことないわ。むしろ、お前らのようなガキでも痩せこけとりゃあせん。良い長が率いとるんじゃろ。それで十分だで」


「ありがとうございます! ほら寅も」

「あ……ありがとうございます?」


 羊之助は寅の頭を押さえて頭を下げさせる。気が変わらぬうちにといった感じで。

 ともかく、受け入れの話が無事まとまって良かった。肩の荷が下りた気分だ。


 あとは寅たち次第。うまくやっていってくれる事を祈るばかり。


「徳利爺ありがとな。また顔を見に来るよ」

「バカこくでねぇ。お侍様はこんなとこ来ちゃいかんで。せいぜい達者でな」


 冷たい言葉と裏腹に声の印象は別物だ。いつも、つっけんどんな態度で俺のことを気にしてくれた。俺の対面のことを考え、突き放すようにしてくれたのだろう。


 また一緒に飯を食いたいな。いつか一緒に酒を飲める日が来るだろうか。

 俺はずっと恵まれない人生だと思っていたが、人に恵まれた人生だったのかな。そう思えた時間だった。



「さて、俺らはこのまま城へ戻る。お前たちは、いったん戻って集団のみんなを案内してやってほしい。頼めるか?」

「あたぼうよ!」

「新之助様、色々と骨を折って頂きありがとうございました。あとは自分たちでやっていきます」

「そうか。じゃあまたな」


 水野を伴い川辺で寅たちと別れた。川の水害の調査が思いのほか回り道したもんだ。まあいいか。久しぶりに徳利爺に会えたし、寅たちも面白い奴だった。

 あとは俺が今回の視察で得た問題点を改善できるかどうか。堤が決壊してしまう事はわかったがどうすれば良いかは俺にはわからない。

 こうなったら養父上に相談して善後策を練ろう。藩でも治水事業を行っているのだから、詳しい人がいるはずだ。次の職制は、そこへ行かせてもらうのも面白いだろう。




 ◇◇◇ 新之助が二回目の視察に出たころ 和歌山城 奥御殿にて


「誰かある? お初はおるかえ?」


「お初、参りました」


 お初が部屋の主、お萩の方の前に伺候した。

 お初がいることを考慮しないかのように、お萩の方は文机から物を放り投げた。じゃりん、銭が入っているだろう巾着と書状のようだ。


「おう。そろそろ藪入りじゃな。実家に戻るときに、この文を兄へ渡しておけ。それとそれは小遣いじゃ。ありがたく使うがよい」


「ありがとうございまする。必ずやお方様の書状を渡しまする」


「下がって良い」


 用件を伝えれば何の興味もない様子で、もうお初のことなど見ていない。

 お初は慣れた様子で、気にするでもなく、まず書状を懐へ納めた後、巾着を拾い上げ捧げ持つよう頭を下げてから部屋から出た。



 和歌山城下、下級藩士たちが暮らす一角。その中でもさらに劣悪な区画にお初の実家があった。だいぶガタは来ているが、手を入れた様子はない。室内は畳など無縁でいた時期の床は軋むし隙間だらけ。

 

 仕方ないから筵を敷き詰めているが、その筵も擦り切れて穴が開いている始末。廃墟のように見えるが人の気配があるため、そうではないとわかる程度の状況。

 だが、近所の者達は気にする様子もない。近所の家々も似たようなものだからだ。


「初、戻っていたのか」

「ああ、藪入りだからね。小遣いと文をもらったさ」


「またか。だが小遣いも貰えるし悪くないだろ」

「良いものかい。人を人だと思わない傲慢な女。そんな奴の側に居なきゃならないなんて気が滅入って仕方ないよ」


「じゃあ、辞めて結婚でもするか?」

「馬鹿言いなさんな! うちの家柄じゃ似たような貧乏武士しか結婚できないじゃないか。着た切り雀で内職なんて反吐が出るよ」


「くくく、違いない」

「どっかにうまい話が転がってないもんかね~」


「ちょっと待ってろ……ほらよ飯のタネが舞い込んだぞ。うまく商人にけしかけて、紹介料をせしめてやる」

 

 お萩の方からの書状を許可なく開けて読み下した林蔵人はやしくらんどは、妹のに投げ渡す。高貴な者への尊敬や恐れを微塵も感じさせない態度だ。


「へえ、兄貴、うまい事やっておくれよ。次の藪入りの時は、パーっとうまいもんでも食いに行こうじゃないか」

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