幼少期編 第二十二話

「黒川殿、また来てしまいました」


 今、俺は海部あま郡 加茂村に来ている。先日、無残な結果になってしまった上申書の租税法の改革案について、再検討するためだ。

 前回の気持ちの良い春模様とは違い、日差しは初夏の様相を呈していた。少し鬱陶しいほどに。


「おや、弟子の訪問は嬉しい限り。しかし、あまり良いお話ではなさそうでござるな」

「先日ご協力して作り上げた上申書は藩主である父上に見てはもらえました」


「して、いかがだったのでござるか?」

「ダメでした。理由はわかりませぬが、取り上げてはもらえませんでした」


「やはりダメでしたか……」


 なんだって!この結果を予想していたというのか。一瞬で頭がカッとなった。

 黒川殿は、なぜ止めてくれなかったのだ!俺だけが何も知らず、仕上がった改革案を抱えて勇んで城に向かっていたのか。それでは、まるで俺は道化ではないか!


「なぜ教えてくれなかったといったお顔ですかな。立ち話でする内容ではございますまい。ひとまず拙宅に向かいましょう」



「まず、新之助殿の疑問にお答えいたしますかな。以前、触れたように新之助殿のお考えは某も考えていたことにござる。というよりも代官の仕事を知るものであれば誰しもが気が付くもの。それを気にするか否か。そこに違いがあると考えまする。大半の者は気にも留めず、変わり者と言われる某のようなものは気になって足掻くのでござる。大半の者は変化を望まぬ。そういった者たちは、変えようとする者を蔑み、足を引っ張る。それに足掻いたところで数が多すぎてどうにもならぬのでござる」


「変化を望まぬ者が大半……」

「此度の事は、確かに変わった方が良い事なのでしょう。しかし皆がすべて得をするわけではございませぬ。これは動かし難い事実でござる。さすれば今のまま現状維持を望むのは当然のこと。その人数が増えれば増えるほど、その者らを無視することはできませぬ」


 皆が納得して物事を進める。できれば良いが、そんな事できるのであろうか。


「すべての者が得するようになどできるのでしょうか?」

「無理でござろう」


 にべもない。やはり無理であろうな。それが絵空事だと俺にでもわかる。


「では、どうすれば良いのでしょうか?私は、もっと多くの証言を得て再度、父へ陳情しようと考えておりました」

「答えという事でしたら、某には教えられませぬ。答えは若様ご自身の身の内から生み出す物。某が指し示すものではござらん。何より、何が正しい答えかなど某にもわかっておりませぬ」


「黒川殿でもわからぬものですか」

「左様。敢えて言うなれば、若様の答えはわからぬが、某自身の答えは出ておりまする」


 一体どのような事であろうか。


「黒川殿の答えですか。どういったものなのかお伺いしてもよろしいでしょうか」

「簡単でござるよ。某の手の届く範囲だけでも己の信じる正しき行いを行うのでござる」


「手の届く範囲で…………それであれば私にも……」

「それであれば可能だなどと考えてはなりませぬぞ」


 黒川殿は、俺の考えを読むかのように遮った。


「若様には、某を真似て小さく纏まってほしくはないでござる。某は小役人の家柄。出世をしても、さほど影響力を得ることは出来ませぬ。その程度の家柄の者が法を変えるなど考えるだけでも烏滸がましいというもの。対して若様は藩主のお身内。若様に出来ることはもっと大きく沢山あるはず。某を真似て害こそあれど利などございませぬ」


 そんな事はない。黒川殿の志を真似ることで間違いなく良い郡代となれよう。しかし黒川殿は、そういった言葉を望んでいるのではあるまい。


「私に何ができるのでしょうか」


「己の身の内から答えが出ないという事は、未だ、その時でないという事。知るべきを知り、考えるべきを考えておれば、自ずと答えが出ましょう。師としていうなれば、政に変化を起こすための要点は、為政者として周りが止められぬほどの権勢を得るか、皆に得だと思わせるかのどちらかでしょう」


 わかったような、わからぬような。

 とりあえず、黒川殿の言うように今ではないという事なのだろう。

 今は答えが出ない。それはわかった。しかし話が行き詰ってしまったな。


「若、今の道が進めないのならば、回り道をしてみるのはどうでしょう」


 静かに控えていた水野が投げかけてきた。意味合いを掴めないので続きを促してみる。


「それはどういう事だ?」

「若は優れた資質をお持ちですが経験が足らぬようにお見受けしました。視察を繰り返し代官や手代、民たちが何を考え、何を望むのか、一歩ずつ確認していってはどうでしょうか」


「それは良きお考えでござるな」

「なるほどな。確かに今のままでは答えは出ない。それであれば皆の声を聞いて回るのは良いことかもしれぬな」


 とは言ったものの、どこから手を付けて良いのやら。皆目見当がつかん。


「まずはどこから手を付けるか、何か良い考えはあるか?」

「さすれば、以前あった野村の名主 治右衛門の言に水害の被害に悩まされているとの話がありました。一度ひとたび、川が氾濫すれば収穫は壊滅的です。流れ込んだ砂を取り除かねば、その年だけでなく翌年以降も影響を受けるでしょう。水害は税の徴収にも大きくかかわる重要な事柄ではございませぬか?」


 確かにそうだった。治右衛門が野村の説明の際にそのような事を言っていたのを思い出した。その時の俺は租税法の検見法についての情報収集をする事ばかり考えていたので、聞き流していた。迂闊だ。全くもって水野の言うとおりだ。


「水害でござるか。川の氾濫が無くなれば、どれほど良い事か……水害は大切なもの全てを流していってしまうでな」

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