幼少期編 第十二話
俺の初任務である郡代見習の視察については、毎日寝る前に日記を付けていたので、それを見ながら振り返ってみようと思う。
行く前に考えていた大変さと帰ってきてからの大変さは、全く違う性質のもので二倍疲れた気がする。
あの日帰ってくるまでの能天気さを、今はその時の自分に己の行動による影響を考えるべきだと忠告したであろう。
第一日目
あの視察を申しつけられた翌日に出発となった。昨日、水野に相談したところ早々と旅支度を整えてくれて、夕方には今日出発できる目途が立ったからだ。
その流れで郡代の詰める間に、出立の報告に行ったのだが、指示をした当の本人は仕事を終えて帰ってしまったのか既にいなかった。
だから藤堂殿に挨拶をし、宮川殿にも出立する旨を伝えてもらえるようお願いをした。
出発当日の早朝、母上に事前に伝えておいたので、朝早く起き準備を整えた後に部屋に出向き出立の挨拶をした。
母上は朝早かったにも拘らず、身だしなみを整え待っていてくれた。
「母上、これよりお役目のため有田郡に向かいます」
「気を付けるのですよ。母は祈るくらいで何もしてやることができませぬ」
「お心遣いだけで充分です。では行ってまいります」
「水野、待たせたな。それと旅の準備、手間をかけたな」
「いえ、旅路はなにがあるかわかりませぬ。ご用件がお済みでしたら行きましょうか」
「そうだな。では行くか」
水野を伴い、城を出ると熊野街道へ入り南へ進んだ。
その日は初日だったので無理せずゆっくりとした歩みだ。
初日は初任務という事もあり高揚していて、水野と様々な事を話した。
水野は俺の境遇や行いに驚いてはいたものの、見下すようなことはなかった。
昔話をして懐かしんだことや初任務の喜びより、そのことが何より嬉しかったのはまだ記憶に新しい。
日記を見返してもその部分の字が太く濃くなってしまっている。ずいぶん手に力がこもってしまったようだ。よほど嬉しかったのだろう。
加納源六として暮らしていたころは、屋敷には日吉くらいしか味方がいなかった。その当時は決して認めなかったが、その生活が終わってみてはっきり実感した。
とても寂しかった。叱られたり褒められたり相手にされることがなかったから、いない存在として扱われるのは真にしんどいことだ。
だからなのか騒ぎを起こしたり暴力的な行動をしてしまっていた。きっと構ってほしかったのではないかと思う。
その行動は、泥沼に
その結果、気がついた頃には、屋敷にいるのが苦しくなった。
使用人たちが屋敷にいることを迷惑がることを露骨に態度にしてきたからだ。
必然と屋敷には居つかなくなり、城下に住む同じような境遇の商家の三男坊や百姓の子、下級武士の子らとつるみ、暴れ回っていた。他の地域の悪ガキとケンカもしたし、商店を冷かしたり町の鼻つまみ者だっただろう。
皆、互いに自らの境遇を話はしなかったが、不思議な連帯感があって話さずとも理解と許容が得られていたように思う。
身分の埒外の河原者とも親しくしていたのは、自らの境遇へと貶めた身分というものを、鬱陶しく思っていた表れであろう。
彼らは自由だった。金銭的な貧しさ、社会的な弱さを抱えながら、皆で助け合い暮らしていた。
屋敷の家族より、血もつながっていないのに、よっぽど家族らしかった。俺は彼らの中に向かい入れてもらったことで初めて家族というものを感じたものだ。
それだけでなはい。彼らは飯を食わせてくれただけでなく、魚の取り方、山や野原に生えている食える野草の見分け方を教えてくれた。火の起こし方や寒い夜の過ごし方、獣の狩り方など生きていく術を何の見返りもなく与えてくれた。
今は、もう母上と出会えて血のつながった家族と暮らすことができている。しかし彼らもまた家族であると胸を張って言える。
彼らは今の俺でも変わらず受け入れてくれるだろうか。
話は水野との会話に戻る。水野も家老家の子ではあるが、庶子という家督の継げない立場で俺と同じように身分によって苦しめられていた。そういう事情もあってか俺に好意的だったようだ。
俺付きになってからさほど日も経っていないし何かと慌ただしかったので、ゆっくり話す機会がなかったから、この日、身の上話をしたことで心の距離が近づいた気がした。
昼を少し過ぎたころ、初日のゴールでもあり目的地でもある紀州東照宮へとたどり着いたのだ。
紀州東照宮は藩祖 頼宜公が家康公を祀るため建立されたものだ。今ではその頼宜公も祀られている徳川一門にとって重要な神社だ。
近くを通るのにここに立ち寄らない選択肢はなかったので、初日の目的地とした。
初めて参拝した紀州東照宮は、安土桃山時代の遺風を受け継いだ彫刻や壁画があり心現れる気分であった。
特に楼門の朱塗り極彩色は、この世のものとは思えないほど、きれいだった。
「ここは素晴らしいところですね」
「そうだな。世の中にこのように美しい建物があるとは思わなかった」
「せっかくですから、権現様に誓いを立てられたらいかがですか?」
「初のお役目を無事に終えられるようにか?」
「いえ、そのよう些事ではなく徳川一門としての志を誓うのです」
「そうだな。家康公と頼宜公にご挨拶するのだ。小さくまとまった願をかけるのではなく徳川新之助として願をかけようか」
(……曾爺様、御爺様 私は徳川新之助と申します。俺は人を身分で見るようなことはしない。人は身分で苦しまない自由で差別のない世界、そんな世の中にしたいです)
(曾爺様が身分制度を定めてくれたおかげで戦国の世は落ち着きました。しかし、私はどうしても、そう願わずにはいられぬのです。不出来な子孫だとお嘆きでしょう。お許しください)
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