幼少期編 第十一話
俺は和歌山城内のとある場所に来ていた。ここは勘定奉行支配の郡代が詰める間。
当初より藩務を学ぶことが決まっていたが、この度正式に開始されることになった。
中には侍が数人、どれも肌が浅黒い。日頃より領内を視察しているため日に焼けているようだ。
郡代は、領内の村々から税が適切に収められているかを監督する職務である。
たった数人では紀州藩のすべての村を管理する事はできないので代官という役職の配下が各村に配されていて村の情報を取りまとめている。
代官が情報をまとめ、郡代がその情報を集約し状況を把握するのだ。
もちろん城で情報を受け取るだけでなく、自らの目で担当地域を視察したり、部下である代官の職務を監査したりするため、デスクワークだけでは済まない仕事だ。
一般的な文官仕事とは、少々毛色が違うものの徴税という役割は藩を運営する上で欠かすことの出来ない大切な仕事であるので、俺はそういった仕事に関わることができる事に気持ちが高ぶっていた。
「本日より見習いとしてお世話になります、徳川進之介と申します」
「おう、お主が新入りか。碌に物事も知らんようだから儂が直々に指導役となってやる」
部屋の中で一番手前に座っていた一見粗野で郡代にそぐわない印象の男が偉そうな態度で対応した。
「よろしくお願い致しまする。して、貴殿の姓名は?」
「なにぃ……」
その男は、一気に不機嫌な面持ちとなり、こう言い放った。
「……儂は宮川作左衛門じゃ。いいか新入り。先に言っておくぞ。儂が許可するまで質問は許さぬ。勝手に口を開くな。指示するまで大人しくしておれ。わかったか!」
さすがにいきなりそのような事を言われ、俺も戸惑った。口を開くなとは、いきなり勝手なことを。
「まあまあ、宮川殿、まだまだ進之介殿は幼いのですから、もう少し穏便にな。驚いておるようですぞ」
「藤堂殿! いくら一番の古株の藤堂殿とは言え口を挟まないでいただきたい! 儂はさるお方から直々に指導係を仰せつかった身! あのお方のご期待に沿わねばならぬのです!」
(あのお方とは誰だ? 父上か? それなら隠すことでもないか)と会話の当事者から外れてしまったので、先程の宮川殿の発言について考えを巡らせていた。
「口を挟んでいるわけではござらぬよ。大柄の宮川殿がそのような大声で、がなり立てれば、まだ幼い進ノ介殿は萎縮してしまうでしょう。うまく指導をするなら怖がらせても下策と判断したまで」
「こういうのは最初が肝心なのです!ともかく儂が指導役なのですから儂のやり方でやらせてもらいますぞ!」
そういうのは役人の考えというより、街中のやくざや喧嘩屋の発想のようだなと他人事のように考えていると、
「なんだ。しっかり言いつけどおり大人しくしておるではないか。やはりガキにはこれが一番だな」
と、案の定、役人らしくない感想を言っていた。と思っていたら更にとんでもないことを言い出した。
「おい、お前。とりあえず、お前は有田郡の三ヶ村任せてやる。問題がないか見てこい。そうだな角村、野村、谷村でいいや」
「宮川殿! さすがにいきなりそれは。何より有田郡など遠くて子供の足では無理であろう」
「新任の儂の担当は、この和歌山城から遠いところばかり。その中で任せるのだから遠くても仕方ないでしょう。それにこれが儂の指導方法です。重ねて申し上げるが口を出さないでもらいたい。これ以上、口出しするならあのお方に耳打ちしても良いのですぞ」
「ぐっ、……それでは貴殿にお任せ致そう。くれぐれも怪我をさせることのないようにな」
「だとよ。怪我してこっちに迷惑かけんじゃねえぞ。わかったら行って来い」
こやつ職務の説明も村の場所の説明もなしに行ってこいとは、頭のネジが取れているのではないか。真剣にそんな事を考えていた。
どうせ質問しても答えてくれる見込みもない。素直に受けるしかないのか。
「承知仕った。これより準備して視察に赴きます。終わり次第復命いたします」
「おう、任せたぞ。ちゃんと見てこいよ。子供の遠足じゃねえんだから、しっかり報告できるもん見つけてこいよな」
さあ、どうするか。ある程度仕事が大変だろうと心構えをしていたがこんな事になるとは。
「進之介殿、ちょっとこちらへ」
後ろから小さな声で呼びかけたのは、先程庇ってくれた藤堂殿。あの時は宮川殿に圧倒されていて藤堂殿の事はよく見ていなかった。
こうやって対面してみると落ち着きのある真面目な方だった。お役人様という想像をして、まさに当てはまるような人物だ。
少々権力に弱いような、やり取りがあったので信頼できなそうな気はするが、あの指導官に比べれば、圧倒的に良い大人に見える。
「先程は守ってやれずに申し訳ない。まさか殿のお子にあのような乱暴な指示をするとは。とはいえ、屁理屈でも宮川殿が指導役なのには違いはない。すまぬが、今は宮川殿の指示に従ってくれ」
「その指導役につけたのは、あのお方と言っておられましたが?」
「うむ、……まあな。それより誰ぞ頼れるものはおられますか?」
どうやら名前を出すのは、まずいらしい。はっきりとは答えなかった。
どうやら反応から察するに、あのお方とは父上のことではないようだ。
「はい、父上がつけてくれた小姓あがりの水野という者が一人おります」
「……太郎作家の者か。あの家の出であれば大丈夫であろう。これをお持ちなさい」
渡されたのは巾着。ちゃり と音がしたことから銭を渡してくれたのだろう。
それなりに重さを感じることができるほど。
疑問を感じ、目を合わせると、
「郡代のお役目に必要な経費です。気兼ねなくお使いください。お役目としての道中ですから、村々で宿は得られましょうが、飲み食いまでタダでは、農民も困りましょう。彼らも余裕はないのです」
「ありがたく、お預かりいたしまする」
「良いのです。話を聞くにも銭を握らせれば聞けることも増えるでしょう。しかし今回は無茶な指示ですから、何か成果が出ずとも気にせずお戻りくだされ。某が取り成しますゆえ」
「せっかく藩費を使って赴くのです。必ずや実りあるものにしてみましょう」
「ともかくお怪我の内容お祈りしております」
「ありがとうございます。では」
「水野はおるか!」
「若、もうお戻りでしたか」
水野は、庭先で木刀でも振っていたのか汗まみれのまま顔を出した。
「郡代として有田郡の三ヶ村の視察に行くことになった。水野にもついてきてほしいから準備をしてくれ」
「お役目でしたら、先任の方についていくのですから私は不要では?」
「それが……俺だけで行くことになったのだ」
「若だけとは! 朝方、郡代の詰めの間に向かわれたばかりではないですか。若だけでお役目を全うできるのですか?」
「それは俺も不安に思っているが、指示された以上、やるしかあるまい。何か報告できることが見つかればよいが」
「それもそうですが、有田郡では若の足で三日はかかりますよ」
「うん、そうだな。経緯は道々話すから準備だけ頼む」
「かしこまりました」
郡代見習いとして出仕初日からとんでもないことになった。
宮川殿は何をしたいのだろうか。碌に何も知らない俺を向かわせた所で得るものは多くないと思うのだが。
何かしら試験のようなものがあるのだろうか。
いつものように結論の出ぬ思考の海に揺蕩いながら、これからの道のりに不安を覚えるのであった。
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