幼少期編 第四話

 城へ登城するにあたり、このままではいけないと思った。まあこのくらいは誰でもわかるだろう。なんせ俺は町家にいて違和感のないような恰好をしているのだから。

 つまり武士の子息には到底見えない格好という事だ。それが武士でも最上級の身分の者達が詰める和歌山城に登り、あまつさえトップの藩主に会うというのだから、そのままの格好で会うなんて、まともな人間のする事ではない。

 まともに着替えなども持たない農民ですら、そういう状況になれば、金を借りてでもそれなりの古着を買うか、村名主に着物を借りてくるであろうから推して図るべきだ。


 だから俺は身だしなみを整えることにした。屋敷の裏手に回り井戸で水を浴び身を清め、縁側に移ると下男の日吉が盥を用意してくれていて、もとどりもほどき、髷を結いなおしてくれた。鬢付け油をこれでもかというくらい塗りたくられ、目が吊り上がるほどきつく結ばれた。頭はぴっちりとしたが、鬢付け油の匂いと強く髪を引っ張られている痛みで気分が悪くなりそうだ。


 これから行く場所を考えると、それ以前に気分が悪くなりそうなのだが。


 そして自室に戻り、日吉の手を借り衣服を改めた。

 羽織に袴、脇差これ以上ない最上級の正装。


 日吉がやってくれたのだろうか。羽織や袴にはきっちり熨斗目のしめがついている。日頃は着流しを端折って走り回っていたのだから、ずいぶん見れる格好になったかと思う。


 本来、こういったことは養母上が用意してくれるのであろうが祝福の言葉もなければ顔も見せにすら来ない。

 今までの自分の行動に問題があったのは理解しているが、少しくらいは構ってくれてもいいのではと思ってしまう。


「準備はできましたかな?」


 襖越しから養父の声がかかる。


「今しばらくお待ちくだされ。すぐに参ります」

「お急ぎなされよ。殿も首を長くしてお待ちなられているはずゆえ」


 どうだか。口には出さず悪態をつく。

 源六吉宗は、周りの大人たちの心のこもらない言葉に触れるうちに人の言葉を素直に受け取れなくなってしまっている。


 衣類のシワや袴のズレを確認していた日吉がうなづく。


「養父上、準備が整いました」




 呼び出された城は和歌山城という。紀州藩の藩庁だ。途轍もなく大きい。さすがは親藩 紀州藩の城というところであろう。普段は遠くから見ていたから、近くで見るとこれほど大きいとは思わなかった。まさか自分があの城の中に入ることになるとも思わなかったが。


 後で聞いた話では、御爺様が幕府から銀二千貫(約25億円)を賜り改築したらしい。

 豊富な資金を基に二の丸を西に広げ、砂の丸・南の丸を新たに造成した。

 

 当時は戦国の気風が色濃く残り豊臣恩顧の遺臣や浪人どもの牽制のため威風堂々とした実用重視の城へ変貌されたのだった。

 この城は当初、豊臣秀吉公の命により紀ノ川河口部の岡山(現在の虎伏山)に城を築かせたものである。


 戦国の常とはいえ、俺は敵の作った城に住むことになるわけだ。不思議な縁だな。


 いくつかの立派な門を潜りぬけていくと黒板張りの天守がそびえ立っている。その麓には本丸御殿であろう。

 これもまた、ずいぶん金がかかったのであろうと思われる建物が見えた。

 俺が目指すべき場所。そしてこれから暮らす場所。まだ見ぬ母上と父上がいる場所。



 延々と本丸内を連れまわされ無駄に歩いていた気がする。

 どうしてもこの太平な世に、なぜこんなにも城が無駄に広いのだろうかと思ってしまった。


 やっとたどり着いた謁見の間、部屋の名はわからない。が立派で金がかかっているのは確かだ。常に張り替えられているだろう真新しい畳が良い匂いを発している。


 俺はその部屋の下座のあたりに座る。養父上は一歩下がった右後ろに腰を下ろしたようだ。

 さすがに緊張してきて周りをキョロキョロする気にはなれない。


 広い部屋に俺と養父上の二人。着馴れない羽織袴、春なのに汗ばむ。

(一体いつまで待たせるのだ。首を長くして待っていたのではないのか)と思わずにはいれなかった。


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 これも源六吉宗が緊張している証左であろう。

 実父との対面、憎まれ口を叩き(思い)つつ反面、肉親との対面に期待している。

 まだ子供である吉宗にとっては当然であろう。

 捨てられたという事実と、もしかしたら健康を願って捨てざるを得なかったというのは本当の話だったのではと期待する気持ち。子供の世界観は狭く独善的だ。それでいて純粋でもある。

 その源六吉宗が城住まいになる事で、今後どう成長していくのだろうか。

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 ※本作では1両 75,000円、銀一貫 1,250,000円を想定しています。

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