第3話 半裂

 色葉が倒れて、むしろ慌てたのは田所さんだ。

 さっと病院服を引っ張り、露出している肥太りした太腿を隠して「あらまあ」と声に出した。

「ごめんなさい。みっともないの見せちゃって」

 私はぐったりとした色葉の背中を何とか支えて、頭部から床に落ちかけたのを守った。まるで軟体動物のように柔らかくて、そして重くてちょっと驚いた。色葉を支えてその身をベッドの上に仮に乗せておく。

「いえ。そうではありません。この子は本家の巫女の血筋です。何かを感じ取ったに違いないです」

「そうすると、あの望月さんの血筋かえ」

 私は頷いて安心させるために慈母のような微笑みを浮かべた。田所さんがナースコールを押してくれたのだろう。戸口の前に数人のスリッパで小走りに疾る音が聞こえてきた。

 色葉はストレッチャーに載せ替えられて運ばれていく。

 親族ということで私が診察室にいくことになった。しばらくして私の名前が呼ばれたので、診察室に入った。

「すみません。姪御さんということで、普段の生活などをお聞きしたいのですが。今回のように意識を失うということはこれまでありましたでしょうか?」

 50代手前なのに前頭葉が禿げ上がった医師が、白衣をピシリと痩身に巻き付けて座っている。細いメタルフレームの眼鏡。髭はちゃんと当たっているが、剃り残しがある。多忙なのだろう。身綺麗を意識してはいるけど、どこかに欠落感ののある男性だった。

「いえ、私の知る限り、そんなことはないと思います」

「そうですね。初期治療として心電図と採血をして検査しましたが、心原性つまり心臓の疾患ではなくて。神経性の疑いがあります。何か悩んでいたりとか、ショックを受けるようなことが最近なかったでしょうか?」

 ほらあ、だからと思ったが表情には出すはずもない。雪女に関わりを持ち過ぎで、恐い目にどこまで遭えばいいのか。

「さあ。思春期のお年頃なので。悩みはそれなりに持っているでしょうけど」

「今日はどなたかのお見舞いでこちらに?」

「いえ。ちょっと私の仕事関係で田所さんの病室に。その帯状発疹っていうの? あの症状を発した原因について、何かヒントでも頂けるかと」

「ああ、役場から聞いております。お祓いの件ですね。井戸仕舞いの。そうですね。田所さんが一番、症状が重いのですが、不思議なんです。帯状発疹というのは、水痘、水ぼうそうですね。そのウィルスが子供の頃に侵入して、発症せずに体内で沈黙しているケースで起こります。それが歳をとった段階で何かの免疫能力が落ちたところで、一気に症状を見せます。それが大人になると重症化するんですが、この症例には合わないのですよ。田所さんも、他の皆さんも」

「え、どういうことでしょうか?」

「うーん、守秘義務かもしれないのですが。あのですね。神経系に沿って疱瘡ができるので、半身のみなんですよ。右半身に出たら左には出ない。上半身に出たら、下半身には。それが皆さん、バラバラに疱瘡が出ているのです。見たことがない症例ですね」

 つまりそれが今回の払うべき鬼の仕業なんだな、と漠然と思った。


 数刻して色葉は眼を覚ました。

 何度か睫毛を羽ばたかせて、そして自分の状態を見知ったような眼の色だ。

「あ。ごめん。六花姉。心配かけちゃった、あたし・・・」

 くぐもった寝起きのような声。半身を起こそうとしているが、まだ力が入らない様子だ。しかもかなり精神的に参っている。何故なら自分のことを、ボク呼びしていない。

「無理はしないの。判ったでしょう。私に関わると碌なことにならないの。これまでも恐い思いをしてきたはず」

 まだ制服のままだけど、右手には点滴のチューブが刺さっている。先刻までは心電図の接点を当てられていた。

「それにね。今度は井戸の仕舞いでしょ。井戸は鬼門中の鬼門なの。幾多の魂を繋いできた水源だから、関わってきた人間の数と、詰められた思いが違うのよ」

「・・六花姉、あれは井戸ではないの。そうじゃないのよ」

「・・井戸ではないの?」

「ちょっと見えたんだ。邪魔が入ってきたの。それとね。あたしにも責任があることなの」

「責任って何よ。あなたには関係ないでしょう」

「今世ではね。でもあの人に潜入を命じたのは、あたしの前世なの」

 しまった。千里眼が必要以上に開こうとしている。

 それは私の本意ではない。

「もう暫くお休みなさい。それは何かの夢よ、そう怖い夢と思って、忘れることよ」

 私は席を立った。

「何か必要なものがある? 飲み物とかコンビニスィーツとか。着替えはあるわよね。今日は経過観察で入院した方がいいみたい。手続きは済ませておくから。もう一度言うけど、無茶はしないでね」

 反論できないように一気に話した。不満を固めて煮凝りにしたような眼をしているが、見ないことにした。

 それでもこの娘は動くだろう、先手をとって押さえておかないと。

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