2人目

「まさるくん…、どうしたんだろう?」

 慌てて走り去るまさるを、ゆみはただ不思議そうに眺めていた。

 最近の彼は、そうやって何か誤魔化すように振る舞うことが増えた気がする。農作業を手伝ったり、一緒に山や川で遊んだり、昔はただ普通に、そして自然に彼と会話をしていた、そのはずなのに―――。

 彼はいつからそんな態度になったんだっけ。

 そんなことを考えながら学校へ向かった彼女だったが、出迎えてくれた学校は、雰囲気がおかしかった。いつもなら先生や生徒で、少ないながらも賑わっているはずのこの時間に、校門から校舎まで人っ子1人居ないのである。間違いなく様子が変だ、それだけはすぐに伝わった。恐る恐る校舎に近づく。1歩、また1歩、歩みを進めていくにつれて、恐怖がだんだん身近に迫ってきていた。


 今日は普通に学校があるはずだわ。一限は現代文でプリントの課題が出されてる。皆で分からないって言いながら放課後に解いたし。また直木先生の眠くなりそうな声の授業が待っているのよね。


 ゆみは必死にこの静かな雰囲気から耐える為、ひたすらこの後の事を考え続けた。たった数メートルの距離を、普通に歩いていくだけなのに、とうに目の前に見えている校舎が、決して一昼夜では辿り着けないくらい、果てしなく遠くにあるように感じていた。しかし何とか、自分を誤魔化しながらも、ゆみはようやく校舎の入口に辿り着いた。普段の賑やかさとは違う、どこか物々しい雰囲気を漂わせる校舎。大丈夫、普段と変わらない。自らを鼓舞しついに意を決して中に入ろうと、扉に手をかけたその瞬間、上から叫び声と窓ガラスが割れる轟音が響き渡った。

「いや!来ないで!あぁぁぁ!!」

 明らかにただ事ではない、そう感じ取ったゆみはすぐにその場から離れた。さっきまで立っていた場所のその真上からは、砕け散ったガラスの破片と、尋常ではない量の血が降ってきた。ゆみはただ事ではない状況におびえながら、ただひたすらに逃げた。

 校門を出たゆみは、必死に自分の感情を落ち着けながら走り続けた。

―――おかしい、ぜったいおかしい。ありえない。そんなわけない。うそよこんなの。ひとがひとをかむ?ありえない。そんなわけない。

 錯乱しながらもひたすらに走る。その目の前によろめきながら歩く先生、だった何者か。そいつを弾き飛ばすように逃げる。そしてただ、あてもなく走り続ける。もはやありもしない”平穏”に向かって無我夢中に駆けていく。


「直に島は”化け者”で溢れかえるでしょうね。」

 しょうこはまさるが漕ぐ自転車の後ろに乗りながら、ため息混じりにそう呟いた。深刻な表情で彼女は話を続ける。

「本土は恐ろしく速いペースで奴らの巣窟になっていったわ、治安部隊が”化け者”であふれかえったせいで一切機能していなかったの。それを踏まえるに、この広さの島なら3日も持たずにみんな仲良く血肉を貪る”化け者”の仲間入り…って所かしらね。」

しょうこが悲観的な予測をしている一方、その言葉をなかったかのように、まさるは妙に落ち着きながらしょうこへ質問を投げかける。

「あんたさ、警察官かなんか?見るからにその類の特殊部隊って感じがするけど。」

確かにしょうこの服装は、一般人とはかけ離れていた。渋谷のハロウィンでも見かけないような、特殊部隊が身に着ける防弾仕様のスーツなど、傍目から見てとてもわかりやすい重装備だった。


「…まあ一応そういうことにしておきましょう。あまり私たちの存在は知られてない、そもそも一般には知らされてない。」

「なんじゃそりゃ。」


まさるは突如自転車を漕ぐ足を止め、しょうこの方を振り返る。その表情には怒りとも困惑とも取れる複雑な表情をしていた。本当に彼女を信じていいのか。視線の先の当人は、そんな表情を見ながら申し訳なさそうに口を開いた。


「…ごめんなさい、怪しいわよね。でも、私の口から我々が何者なのか、詳しくは言えないの。ほら、ゲームとかでよくあるでしょ?表には出てこない秘密組織があるとか、そういう一般市民からしたらなんじゃそりゃって言いたくなるような。私たちはそういう部隊にいるの。ただ、私たちを支援する背後には…、国家ではない”とある組織”がいる。それだけは教えてあげる。」


突然奇妙な話を聞いたまさるは、怒るわけでも驚くわけでもなく、ただただ不思議な表情を浮かべていた。話を聞いてもなお、彼女の言ってることが分かっていないと言った様子だ。


「…少し分かりにくかったかしら、まあいつかちゃんとお話するわ。」

「まずは全てが平穏無事に終わったらな…。」


しかしまさるが言葉を言い終わる前に、しょうこは叫んだ。


「見て…、港が燃えてる!?」


さっきまで近くにいた港で、突如として黒煙が立ち上っているのだ。そしてそれに気が付いた瞬間、爆音と共に火柱が上がった。港にあった何かが爆発したのだ。そして、その轟音に反応したのか、大量の奴らが、二人の前に迫ってきたのだ。


「おいおい…、俺たち仲良くあの”化け者”になれってか?」


「…まさるくん、平気かな。」

 逃げた先で一息ついたゆみの口をついて出てきたのは、幼馴染である彼を心配する言葉だった。こんなことになっているなら、彼とはぐれないほうが絶対に良かった。しかし後悔したところで、島のどこに居るのかも分からない彼に会えるわけではない。ただ、祈る事。彼女にはそれしか出来なかった。ひとまず、ゆみは安全であろう自宅へ戻ることにした。今この島で、この世界で、一体何が起こっているのか、まずはそういった情報を見ようとスマホを取り出したが、無情にもスマホには「圏外」の文字が現れた。

「まあ…こういう時ってそうなるわよね。」

これも昔見たパニック映画の通りか、ため息をつきながらスマホをしまうゆみが目線を上げたその先に、立ち上る黒煙。その方向、その瞬間、そこにいるであろう人間を思い出す。

「…まさるくん!」

 そうだ。あの時別れたあの道を、まさるが進んだあの道を、ずっと行った先には、今煙が上がっている港があった。ゆみはその光景を見ただけで、まさるの事を思い出した。もうゆみの目の前は、会えないのではないかという絶望で塗りつぶされていた。視界がぼやける、一筋、二筋、流れ落ちる涙、そして心の底からあふれ出す叫び。どんな轟音よりも、どんな叫び声よりも、はるかに大きな悲痛なるその叫び。しかしその叫びは一瞬にして、断末魔に変わり果てた。


「…て、この後は特集です!渋谷で今大人気の一流パティシェが贈る、この季節にぴったりの最新スイー…」

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血の孤島 クロイス @croiss_301

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