〈十五〉
コンコン。
杭を叩く音が、森の中に低く
コンコンコン。
一心不乱に、取り憑かれたように、藁人形に杭を刺す。
コンコンコンコン、と。
背後から迫る気配にすら歯牙にも掛けず、小槌を振るう手は休まることはない。
古来より伝わる、人を呪い殺すための儀式的な呪術の一種。対象の人物に見立てた藁人形へ杭を打ち込み、怨念の
伝承では、その儀式を第三者に目撃されると、その呪術的な効力は失われてしまうと言い伝えられている。一説によると、呪いそのものが自身へと返ってくるらしい。
「おい」
白い敷布を頭から被って全身を覆い隠しているが、小柄な背丈までは誤魔化せない。幼い子供の輪郭がそこにはあった。
しかし、ゆっくりと時間をかけて振り向いたその顔面は、精神的な疲労を蓄積するに値する醜悪さを
「見ぃぃぃ〜たぁああ〜なァあああ〜!?」
おっさん。
獣の耳をしたおっさん。
「お前も、藁人形にしてやろうかァァァァ!」
ガバッ! と、問答無用に襲いかかる変態ケモ耳おっさんに対して、俺は沈着冷静に片足を上げて、多少の怒りも含めつつ蹴り飛ばした。
「昼間と同じじゃねえか」
「へぶっ」
「ひゃん」
これを丑の刻参りと呼称していいのかどうかは議論の余地があるが、一先ずは渋みのある中年男性の顔面にスポンジのように蹴りをめりこませることに成功した。
そのまま
「痛ェ〜! そんで何このデジャヴ!? 痛みすら記憶に新しい!」
「……! ……! ……!」
痛みに悶える救いようのない
必死こいて探し回った連中が、まさかこんなことをしていたとは……。
ほとほと呆れて言葉を見失う。真面目に心配して損した。というか、だんだん恥ずかしくなってきた。すぐにでも帰りたいレベルだ。
「こんな危ねえときに、テメーらなに遊んでんだ」
「あれぇ? 朝倉のアニキ、どうしてこんな時間に?」
俺の複雑な感情を物語っているだろう剣呑な表情を見るなり、人面犬の妖魔ことゴローは野兎のように跳び上がった。
河童の妖魔ことミドリは、何かを察したように深刻な表情で小さく囁いた。
「もしかして、信乃、捨てられた?」
「人をペットみてえに言うな」
「じゃあ、捨てにきた?」
「夜の山奥で何を捨てるんだよ。なんか生々しいじゃねえか。怖えよ」
幼い容貌に似合わぬミドリの猟奇的な発想に顔を引き攣らせつつ、この状況をどう説明しようかと考えあぐねていると──。
「へぇー。ホントに妖魔と仲良いんだ」
背後から一部始終を物珍しそうに見物していた暈音がひょっこりと顔を出した。
「ホントって、テメー信じてなかったのかよ」
「ううん。信じてたよ。ただ、信乃のことだから、妖魔を顎で使ってパシリみたいにしてるのかと思ってた」
「お前、俺を何だと思ってんの?」
「……ガラの悪いチンピラ?」
あざとく小首を傾げながら、何の罪悪感も覚えていないであろう無垢な瞳で答えた幼馴染に、震える拳を収めた俺の前世は聖人君子に名を連ねる高僧だったに違いない。
「あ、アニキぃ!」
ゴローが小さな尻尾を左右に振りながら、食い気味に声を上げた。
「そ、そちらのどえれぇ別嬪さんは、どちら様で……?」
「ああ。こいつはな」
「美人局?」
「ちげーよ。おい。誰だ、ミドリにそんな言葉教えたのは? どこのバカ人面犬だ。ホットドックにしてやる」
「どうやって!? 意味わかんないから余計に怖い!」
ごほん、と咳払いを挟んで暈音の紹介へと移る。まず、是が非でも伝えなければならないことは、彼女の内に秘めたる邪悪な部分だ。美しい花には棘があるように、彼女には致死性の高い猛毒が仕込まれていることを教えてやらねばならない。
「こいつは俺の幼馴染でな。世間じゃあちょっとした有名人なんだが……見てくれに騙されんなよ。私、天使ですけど? みてーなツラしてるが、中身はあ──」
その瞬間である。予想だにしない鋭い痛みが言葉を制した。
一切の目撃者を許さぬスピードで爪先を踏まれ、喉を詰まらせると、その刹那の隙間をこじ開けるように、暈音は何事もないような平然を
「大日女暈音です。よろしくね」
今し方、暴力による言葉の鎮圧を行使したとは思えない八方美人を体現するかのような自然的で柔らかい笑顔を作った幼馴染は、何も知らない無垢な二匹の妖魔を
こいつの常套手段だ。初対面の人間に対して、自分の最大の武器である顔面の良さを活かして、即座に落としにくる。どうやら妖魔にもするらしい。無差別かよ。節操ねえな。
この顔にときめかないヤツは俺ぐらいだろう。ゴローのヤツなんかはもう赤面しているし、ミドリは戸惑いが勝ったのか固まってしまっている。
「紹介するぜ、暈音。この小汚えつーか汚ねえ人面犬がゴローだ」
「なんでわざわざ悪化させたんすか!? 小汚くもないですぜ、あっしは!」
異議を唱える人面犬を「野犬は臭えだろ」と黙らせ、次の紹介に入る。
「こっちの
「…………」
手短に紹介を済ますと、なぜかミドリは暈音から身を隠すように俺の背後へ回り込んだ。そのまま俺の脇の下から顔を覗かせ、無言で暈音を睨んだ。
この好印象とは程遠い対応は、暈音にも意外だったらしく、目を丸くして驚いている。
「あれ? もしかして、警戒されちゃってる?」
「あー。ミドリは人見知りなんだよ」
「そうじゃなくて。なんか、こう、敵意っぽいものを感じる」
女の勘が囁いてる──と、神妙な顔付きで呟く幼馴染に、男の俺は肯定も否定もできなかった。よくわからんが、そう言うなら、そうなんだろう。
「いやはや、朝倉のアニキも隅に置けませんなァ」
「あ?」
「若いくせに浮いた話が全然無ぇなと思ってたら、まさか、こんな特上の美人をねぇ……。しかも、こんな
「テメーさっきから何ほざいてんだ」
「大丈夫です、アニキ。こう見えても、あっしは空気が読めるド有能プリティードッグなので。ミドリを連れて、しばらく離れときやすよぉ。……お二人の声が聞こえないほど、なるべく遠くに、ね☆」
「うっざ……」
腹の底から本音が漏れてしまった。
「なにを勘違いしてんのか知らねえけど。俺たちゃお前らを守りに来たんだぜ」
「守る? なんで?」
「そりゃあ、その、えーと…………詳しいことは退魔師の人に聞こう!」
上手く説明できる自信が全く無いので、専門の方にお任せすることにした。
「まさかの丸投げ?」
「おねがしゃすっ!」
「はいはい。信乃に口頭で説明しろなんて荷が重いもんね。じゃあ、退魔師の人が説明するね」
苦笑しながら暈音が手を叩くと、ミドリとゴローが仰天する勢いで飛び跳ねた。
「た、たた、たたた、退魔師ィィ〜⁉」
ああ。そういや言ってなかった。一応、妖魔にとっては天敵みたいなもんか。でも、そんなにガクブルになることある? 携帯鳴ってんの?
「あんまりうるさいかったら、滅しちゃうからね」
「「ひぇええええええ〜!?」」
「はい。3」
「え……っ!? そ、それはなんの数字ですかい!?」
「2」
暈音は先程と何ら変わらぬ笑顔を崩さぬまま、意味深長なカウントダウンを告げる。
ミドリとゴローは恐怖に屈して、涙目になりながらも互いの口を塞いだ。目の前でニコニコと微笑む退魔師とそれに怯える河童と人面犬。なんとも言えない、気の毒な光景であった。
「さっきのデケえ妖魔ん時も思ったけど、お前、妖魔相手じゃマジで容赦ねえな。普通にドン引きもんだわ」
「1」
「あれ? 俺もダメなの? 俺も滅されんの?」
まさかの事態に困惑する俺も幼馴染の圧に屈して、口を両手で塞いでしまう。なんということだ。男一人と妖魔二匹が、あっという間に幼馴染の手中に収まってしまった。これがカリスマ性とでも言うのだろうか。絶対に認めてはいけない気がする。
「従順な子は好きだよ。話がしやすいからね」
満足そうに頷く彼女は紛うことなき悪のカリスマである。
「とりあえず、こんな場所に長居するのも嫌だし、神社の方に戻ろっか。
ミドリちゃんとゴローくんだっけ? あなたたちには私の仕事を手伝ってもらいます。もちろん信乃もね」
「発言いいですか」
「はい。どうぞ」
「手伝うってなにを?」
ふふふっ、と暈音は笑うだけだった。
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