いまいち作品集

連喜

第1話 60歳の妻が夫の愛人と同居する話(完結)

 これは人から聞いた話だ。

 本人から聞いたわけではない。 


 三角関係というと、人によってはクラスの人気者を友達同士で争うとか、少女漫画ばりのライトなものを思い浮かべるかもしれない。

 しかし、その三角形を構成している面子によっては、殺し合いになるような極端なケースもあるだろう。テレビのニュースなんかに出て来るように、復縁を迫った夫が、断った妻を刺してしまう・・・などだ。

 もし、妻に新しい男がいたら、こういうのも三角関係と言えるだろう。


 下記は取引先の社長(仮名:岩下さん)の話だ。

 俺は取引先の社員の人から聞いただけで、真実は本人同士にしかわからない。

 

 岩下さんの所は、あまり聞かないような重たい三角関係だった。


 医者や社長などの金持ちは、大体愛人がいるというのは、昭和生まれの思い込みかもしれない。とにかく岩下さんは、そういう典型的な古いタイプの社長だった。年齢は60くらいだったと思う。社長業というのは、サラリーマンと違って明確な引退時期がない。だから、ずっと金と時間がある。

 

 会社の経費で交際費と称してキャバクラ、クラブ、スナックなどに行ける。

 風俗店でも飲食店名義で領収書を出してくれるから、出会いには事欠かない。

 岩下さんもお客さんを連れて、よく夜の街に飲みに行っていた。


 岩下さんには妻子がいたが、子供たちはすでに30代でそれぞれが独立していた。

 

 長男はAさんの跡を継いでいなかった。あまりに優秀な息子で、中小企業の社長になるのはもったいないような人だったからだ。長女も結婚して遠くに住んでいたようだ。だから、岩下さんは奥さんと2人で住んでいた。


 奥さんは岩下さんと同じくらいの年代で、お見合い結婚だったそうだ。

 古風な人で、最初から割り切っていたから、岩下さんが浮気をしても責めたりしたことは一回もなかった。岩下さんは浮気を常にしてるような男で、気にしていたらキリがなかったのだ。

 

 しかし、岩下さんは結婚して35年経って、他に結婚したい女ができた。

 その人は彩良さらさんという名前だった。


 今まで会った女たちとは違って、とにかく綺麗で、岩下さんはいつも一緒にいたくなってしまったらしい。34歳で職業はホステスだった。

 初めて奥さんに離婚を迫った。

 奥さんは今更一人になっても困ると思い、承諾しなかった。

 別に浮気をするのも、多少の援助をするのも気にしないから、勝手にしてくださいと言った。

 

 すると、岩下さんは彩良さんを家に連れて来て住ませるようになった。

 岩下さんは「奥さんもそのうち出て行くから。すぐ離婚できなくてごめんね」と彩良さんに話した。

 そして、世間には彩良さんを奥さんとして紹介した。

 本妻の早千江さんのことは「おばあさん」と言っていたそうだ。

 早千江さんはそのことを知っていた。

 悔しかったが、ここで音を上げて出ていってしまったら自分の負けだった。

 ずっと専業主婦だったし、離婚するなんて想像もしてなかったから、自分名義の預金もないし、財産もなかった。

 それに、両親はすでに亡くなっていて、頼る宛がなかったのだ。

 しかし、実際は財産分与を申し立てたりできるはずだから、離婚して環境が変わるのが嫌だったのかもしれない。

  

 夫婦は結婚して35年も経っているから、本妻の存在を知っている人は多かったが、会社の従業員たちですら、奥さんにほとんど会ったことがなかった。


 だから、従業員たちは、社長が離婚して、若い奥さんと再婚したんだと思っていた。人事の人だけは、本妻が扶養に入ったままなので、あの一家には何かあると気が付いていたが、部署だけの秘密にしていた。


 奥さんの外見は年相応の人で、社長とは夫婦関係はなくなっていたらしい。

 男の立場から考えると、生涯妻一人というのは正直現実的ではないと思う。生物学的にも男の生殖寿命は長く、女はそれよりはるかに短いからだ。

 

 しかし、早千江さんは2人の子供を立派に育てていたし、旦那からないがしろにされるような筋合いはなかっただろう。


 下記は、俺がA社の従業員から聞いた話を元にした、一部は本当で、一部は推測の話だ。これを書いてて思うのは、人の噂と言うのは随分真に迫っているということだ。リアル過ぎて驚かされる・・・。


 岩下さんは、場末のスナックのホステスだった彩良さんを水揚げして、最初のうちはマンションを借りて住ませていた。水揚げというのは、交際や結婚をきっかけにホステスさんなどに店をやめさせることだ。

 彩良さんは愛人として月に30万円受け取っていて、家賃、光熱費、携帯代はタダ、限度額30万円のクレジットカードも渡されていた。その他に、岩下さんと一緒にショッピングに出かけ、服や装飾品を買ってもらうことも多かった。


 そんな生活は退屈だった。30代半ばで、そろそろ結婚もしたかった。岩下のことは好きではなかったが、もう60だから、あと15年もしたら、施設にでも送り込めばいいと思っていた。

「親も心配しているから、結婚してもらえない?」

 岩下さんは決していい人ではないが、若い彩良さんがそのまま独身で独りぼっちだとかわいそうに思えて来た。

 それで、奥さんに別の人と再婚したいから別れてくれ。慰謝料は弾むからと言った。

 しかし、何度交渉しても奥さんは承諾しなかった。

 奥さんが子供たちに心配を掛けたくなかったということもある。奥さんは、そのうち愛人も飽きられて、別れるだろうと高をくくっていた。岩下さんは熱しやすく冷めやすい人で、同じ人と1年も持たないことが多かったからだ。


 岩下さんは、ある日突然、彩良さんを家に連れて来た。

 最初は新しいお手伝いさんだと言った。

 しかし、厚化粧で色っぽい女の人で、フリルのワンピースなんかを着ていて、家事をやるような服装ではなかった。

 あきらかに、夫の愛人だと思ったそうだ。


 岩下さんは、彩良さんに部屋を与えて、そちらで寝起きするようになった。

 

 岩下さんの自宅は豪邸だったが、二世帯住宅ではなかった。

 だから、早千江さんと彩良さんは同じ台所、風呂、トイレを使わなくてはいけない状況だった。

 彩良さんの部屋には冷蔵庫などを持ち込んで、ある程度は暮らせるようにしていたが、お風呂やトイレはなかった。

 だから、女二人はよくトイレで会ってしまった。彩良さんは揉めたくなかったので「お先にどうぞ」と言って毎回譲っていた。

 早千江さんも、同じ気持ちだったので、お手伝いさんだと思って接することにした。2人はさすがに仲良くはできないが、穏便に暮らしていた。


 早千江さんはすっかり引きこもりになってしまった。

 自分が出かけている間に、持ち物を触られたり、家から閉め出されることを恐れるようになったからだ。歯医者や美容院に行くのですら怖くなった。そうなると、ますますおばあさんのような容貌になってしまい、早千江さんは精神的にも落ち込むようになって行った。


 Aさんは夜寝る時は愛人と一緒。出かける時も、出張の時もB子さんだけを連れて行った。土日二人で買い物に行ったり、温泉旅行に出かけたりしていた。悔しかったが、二人がいないと早千江さんはほっとした。


 そのうち、岩下さんは本物のお手伝いさんを雇い入れた。

 奥さんを台所から閉め出すためだった。

 奥さんは、彩良さんが家に来てからは、自分のためだけに料理を作って食べていたが、岩下さんたちが外食続きて飽きてきたから、お手伝いさんに食事を作らせることにした。

 

 その頃から、本妻はまるでその家にいないかのように扱われていた。

 夕食は岩下さんと奥さんはダイニングで食べて、早千江さんの所にはお弁当のようなお重に入れて届けられた。もはや、お風呂とトイレ以外、家の中を自由に行き来できないような感じになっていた。そのうち、早千江さんの部屋の近くにトイレが増設された。あとは、お風呂に入る時間は午前中だけと決められていて、早千江さんの方が居候のような立場になっていた。


 早千江さんはそれでも我慢した。子供たちには父親のやっていることは知らせなかった。子供たちは父親を怒るだろうし、親子を仲たがいさせても、何もいいことはなかったからだ。


 そのうち、彩良さんが妊娠した。

 そのことは早千江さんには知らされず、彩良さんはこっそり産婦人科に通っていた。子供のことは岩下さんと話し合って、入籍前に作ろうということになっていたのだ。同居するようになった時にはもう35歳だったから、すでに高齢出産だった。


 彩良さんにとっては待望の第一子だった。

 最近は、彩良さんが奥さんの顔を見る回数も減っていったが、生まれてくる子供のためにも、早く出て行ってほしかった。そうでないと、子供に何と説明していいかわからない。彩良さんは子供はまともな環境で育てたいと思っていた。


 彩良さんの父親は酒乱で、家にお金を入れない人だったので、両親は離婚。母はシングルマザーで彩良さんと息子を育てていたのだ。彩良さんは奥さんに悪いと思ったことはなかった。もともと自己中心的な性格で、年を取った女なんて価値がないと思っていたからだ。60にもなったら捨てられて当然だと思っていた。自分がその年になるころには、岩下さんはもう施設に入っているだろうから。


 彩良さんの実家は埼玉だった。

 里帰り出産して、1ヶ月ほど経ってから、赤ちゃんを連れて岩下さん宅に戻って来た。

 

 奥さんの第一声は意外なものだった。


「あら~かわいい。子供が小さかった頃のことを思い出すわ」


 それからは、自ら彩良さんの部屋を訪ねて、何か手伝うことはない?とか、必要なものはない?と言って、進んで世話をしてやった。

 本当のお祖母ちゃんのようだった。

 

 3人の関係は嘘のように改善して、まるで家族のようになっていた。

 そして、一緒に食卓を囲むようになった。

  

 岩下さんと愛人は、赤ん坊のいる生活に飽きて、旅行に行きたくなった。

 岩下さんは、早千江さんに頼めばいいんだと言った。

「あいつは子供を2人も育ててるから大丈夫だろう」

 住み込みのお手伝いさんは、未婚で子供がいたことがなかったから、頼むのは不安だった。


 彩良さんも早千江さんのことをすっかり信用していて、高いお土産を買ってお礼すればいいと思った。 


 普通ならここで何か起きると思うだろう。


 本妻は本心では子供を殺してやりたかったが、眺めていると無邪気でかわいい。 

 旦那に似たのか、自分の息子の赤ちゃんの時に似ている気がした。

 自分に幸せな時期があったのかと思うと、2人の子供に恵まれた以外はなかった気がした。旦那とはもともと他人のような感じだった。見合いした時点では独身だったが、すでに愛人がいるんじゃないかと思うような、軽薄そうな人だった。


 それでも、早千江さんの父親も似たような感じだったので、別に気にしていなかった。結婚には夢がなかったからだ。それよりも、資産家と結婚して、豊かに暮らすことの方に価値を見出していた。

 普通の男なら浮気をしないかもしれないが、デパートで買い物したりできない生活になってしまう。そうなると、女性はどんどんみすぼらしくなって行く。早千江さんの母親は、資産家と結婚するようにと娘に言っていた。10代の頃から花嫁修業をしていて、お嬢様学校に入り、2-3年働いただけで結婚する。


 庶民からするとおかしいと思うが、「金持ちとしか付き合うな」というような層はやっぱりいるんだ。


 だから、元から似合いの夫婦だったというわけだ。

 早千江さんが、夫の愛人との同居を我慢できたのは、友人たちに、夫から離婚されたと知られたくなかったからだ。世間体が・・・というより、格好のネタにされるのが耐えられなかった。そんな友達なら付き合わなければいいと思うが、早千江さんは狭い世界で生きて来た人だから、女はこうあるべきという旧時代的な指針を持っていたのだ。


 岩下さんは、近所の人には、早千江さんをおばあさんと言っている。

 あまり近所づきあいをして来なかったが、近所に住んでいると家庭内のいざこざが何となくわかる。

 このまま年を取っていきながら、夫と愛人の家族と同居し続けなくてはならない。

 しかし、出て行くという選択肢はなかった。

 

 赤ん坊にミルクをやった。

 母親が置いて行った冷凍母乳を解凍して、哺乳瓶で与えた。

 他の女の母乳を見ていて気持ちが悪かった。

 赤ちゃんも気持ちが悪かった。

 夫と愛人の両方に似ている。

 いっそのこと風呂に沈めてやろうか。

 そしたら、2人は嘆き悲しむだろう。

 そんな目に遭わせてやりたかった。

 

 しかし、どうしてもそれができなくて、赤ん坊を捨てに行くことにした。

 新幹線に乗って、できるだけ遠くまで移動した。早千江さんは関東に住んでいたが、熊本で行った。


 そして、ネットで見つけた乳児院に赤ちゃんを置きに行った。

 本妻は赤ちゃんに危害を加えるつもりはなかったので、すぐに公衆電話から匿名の電話をかけた。


「今、置きました・・・」と。


 奥さんはそのまま行方不明になった。

 初めて一人で旅行をして、早千江さんはもっと早くそうしていればよかったと思った。一人で行動して、誰も自分のことを知らない場所に行けばよかったんだ。別に住み込みの仲居だっていいじゃないか。立ち行かなくなったら生活保護をもらえばいいんだ。


 旅行から戻った岩下さんたちは、子供がいないことに気が付いてすぐに警察に連絡した。お手伝いさんは、早千江さんに言われて、何日間か家を空けていたのだ。あの二人がいないから、温泉でもいってらっしゃいと、温泉旅館を予約してもらって小遣いももらっていた。


 乳児院に置き去りにされた子は、すぐに身元がわかってAさんの元に戻された。

 そして、早千江さんは誘拐で逮捕された。


 ホテルの宿泊にクレジットカードを使っていたから、居場所がすぐばれてしまったのだ。早千江さんはその逃避行が本当に楽しかったそうだ。もう、すべて捨てる覚悟ができていた。


 その後、早千江さんは不起訴になったと思う。

 岩下さんも家に愛人を連れて来て住ませていたのだから、こういうトラブルが起きるのは事前に予知できたはずだった。


 そして、夫婦はほどなくして離婚した。

 早千江さんに前科はつかなかったものの、逮捕歴があったことが、離婚では不利になってしまった。

 年金は国民年金しかなかったが、夫から財産を一部譲り受けたことで、働かなくても何とか生活できそうだった。その時、学生時代の友人たちとはすっぱりと縁を切ったそうだ。みんな色々あるだろうに、自分のことは言わないで、人の話ばかり面白可笑しく話しているからだ。


 早千江さんと愛人が同居した期間は、わずか2年足らずだった。

 それでも、一生分のストレスを感じるくらい酷いものだったから、早千江さんはすっかり老け込んでしまった。


 この話の結末に救いがあるとしたら、早千江さんが長男の元に引き取られたことだろう。今は長男一家と一緒に暮らしているそうだ。

 嫁姑問題で別な苦労があるかもしれないが、長男の妻ができた人で、仲良くやっているらしい。

 

 岩下さんは本妻の子供たちから縁を切られてしまったが、彩良さんと再婚し、さらに子供が2人生まれて、家族5人で幸せにくらしているそうだ。会社も存続している。今70歳くらいだが、まだ現役だ。


 どこかで天罰が下ればいいと俺は思っている。

 

 


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