第2話 プロローグ(2)

「そんなことは分かっている」


「では、これはどうですか!」


 今度は若い男が声を荒げた。彼は顔を真っ赤にして、手術室の方を指差した。


「巡査長は、あの人は、手帳だけは奪われまいと必死に抵抗したんですよ。スタンガンで感電させられて、ほぼ動かせなかったはずの体で。その事はご存じでしたか!」


「……」


「巡査長が手帳を守り抜いてくれたおかけで、ホシが警官に『成りすます』ことによる二次被害は防げているんです。撃たれたのも、奪われた銃を取り返そうとホシと揉み合ったからではないですか」


 中年の男は舌打ちした。


「余計な事を。それで、二発も撃たれやがって」


 若い男は中年の男が横に向けた顔を睨んだまま溜め息を強く吐いた。そして一度目を逸らすと、口調を落ち着かせて、中年の男に言った。


「発砲音を聞いた人間の話では、ホシは巡査長が一発目を撃たれた後に、間をおいて二発目を撃っています。とどめを刺そうとしたんですよ。至近距離から。そんな凶悪犯を相手に、感電した体で、一人で立ち向かった、その結果の負傷でしょうが。何故もっと労ってやれないのですか!」


 話すうちに次第に興奮気味の口調になっていき、仕舞いには食って掛かった若い男を鬱陶しそうに横目で見ながら、中年の男は言った。


「まあ、お前は立場的にそう言うだろうな。だが、こっちの身にもなってくれよ。年末年始の警戒を見越して繰り上げの休暇を取っている警察官たちを叩き起こして集めないといかん。それが、一般市民が犠牲になった事件ならともかく、身内のポカの尻拭いだぞ」


「まだそんな言い方を……」


 中年の男は若い男に反論を許さない調子で彼に被せて強い口調で言った。


「現に、この時間でも、まだ現場では大勢が動いているんだ。人員の割り振りにどれだけ神経を使ったか分かっているのか。これからも暫く、それを続けなければならん。その上、マスコミには知られないようにしろと、上からのまで来ている。頭が痛いよ、まったく」


 若い男は鼻で笑ってから、納得顔で片笑んだ。


「だから本部は、庶務課からあなた一人だけしかよこさなかったのですね。どうせ、所轄の同僚にも病院には行くなと『お達し』を出したのでしょ。ご立派なことで」


 中年の男は憮然とした表情で言う。


「当然だろ。こっちには察庁から直接緘口令かんこうれいが敷かれているんだぞ。他の管理官クラスの人間がここに来られる訳がないだろう。そうは言っても、庶務課の人間としては一刻も早く捜査体制を構築せんといかん。それには、被害者の容態を確認する必要がある。だから来てみたんだ。それをまったく……。お前が来ているのなら、わざわざこんな所まで足を運ぶ必要も無かったじゃないか」


 中年の男は再度舌打ちしてから腕時計を覗いた。


 若い男はきしろい顔で聞き返す。


「こんな所? 現職の警官が撃たれて生死の境をさまよったのですよ。正気ですか!」


「現状をしっかり見てみろ。境などをさまよっていないで、潔くを決めてくれた方が、奴の為にも警察の為にも良かったのではないかと、個人的には思うがね」


「死んでくれた方がマシだったとおっしゃりたいのですか! いくらなんでも、それは……」


「後々の事で悩まなくて済んだはずだと言いたいだけだ。例えだよ、例え。とにかく、こっちは忙しい。もう行くぞ。お前も、今夜は特別に許すが、明日の朝には捜査に合流しろ。わかったな」


 中年の男は若い男の顔を強く指差してから彼に背を向けた。そして、その廊下の先の緊急搬送口の方に早足で歩いて行きながら、大きな声で若い男に言った。


「今後のお前の事を思って言っているんだ。まずは犯人逮捕だ。刑事なら、その事に集中しろ。いいな」


「……」


 若い男は拳を強く握ったまま手術室の前に立って、その中年男の背中を睨み続けていた。


 緊急搬送口からワンピース姿の若い女が駆け入ってきて、慌てた様子でこちらに走ってきた。逆方向に歩いていた中年の男は、すれ違い様に、その女に軽く頭を下げて「お大事に」と一言だけ告げてから、そのまま外へと出ていった。


 女は立ち止まり、その男の背中に向けて深々と頭を下げている。


「くそったれ!」


 若い男はそう怒声を上げて、壁際の長椅子の端を強く蹴った。


 金属の音が雨に濡れた窓を揺らしていた。


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