ダブル・クロス・ダブル

改淀川大新(旧筆名: 淀川 大 )

第1話 プロローグ(1)

プロローグ


 激しく降る雨が窓を叩いていた。窓の外の暗い景色がにじんでいる。


 広い廊下の白い壁に付けて置かれた長椅子に、スーツ姿の若い男が座っていた。背を丸め、膝の間に落とした顔を両手で覆っている。


 彼の他にもう一人、雨に打たれる向かい側の窓を背にして立つ中年の男が居た。男はスーツの襟の前に折り畳み式の携帯電話機を上げ、片手で何度も広げたり畳んだりしては、しきりに腕時計を覗いていた。


 若い男が手を降ろし、顔を上げた。廊下の突き当たりの壁の端に掛けられた時計に目を遣る。彼はそのまま視線を横に移し、赤い電飾で「手術中」と表示された案内灯が消えていないことを確認した。


 中年の男が苛立った顔で携帯電話機を強めに閉じて溜め息を吐いた時、案内灯の赤い光が消えた。一刹那、その下の自動ドアが左右に開き、中から緑色の手術着を着た男が出てきた。


 若い男は立ち上がり、その医師の方に向かった。


 もう一人の中年男は携帯電話機を開くと、それを握ったまま、腕時計を覗きながら同じ方向に歩いていく。


 医師は頭から頭巾を外しながら言った。


「終わりました」


 医師に何か言おうとした若い男を後ろから退かして、中年の男が医師に早口で尋ねる。


「どうですか。生きてますか」


 若い男は一瞬だけ、その中年の男を蔑視してから、医師の顔を伺った。


 医師は頷いてから答えた。


「弾丸の摘出は無事に終わりました。術後の経過に問題が無ければ、命に別状は無いと思われます。ただし……」


 中年の男は、医師が説明の途中であるにもかかわらず、背を向けて携帯電話機を操作し始めた。そのまま向こうへと歩いていく。


 医師は若い男に顔を向けると、説明を続けた。


「但し、二発のうち一発が脊椎を傷つけていましたので、本人のリハビリ次第ではありますが、今までどおり自分の足で立ったり歩いたりするのは難しくなると思われます」


 若い男は愁眉を寄せて尋ねた。


「補助具を必要とするということですか。杖とか」


 医師は冷静に首を横に振った。


「いや、歩くのは、正直なところ厳しいでしょうね。残念ですが」


「そうですか……」


 視線を床に落とした若い男は、少し思い巡らせてから顔を上げ、医師に頭を下げた。


「長い時間ご尽力いただき、ありがとうございました」


 彼が警察官らしく奇麗に腰を折って頭を下げると、医師は丁寧に会釈して返してから、その場を後にした。


 その医師が廊下の途中でさっきの中年男の背後を通った時も、その中年男は医師の蔑視には気づかない様子で、熱心に携帯電話機で通話していた。


「――だから、死んでない。傷害だ。ということは殺人未遂でいける。戒名の下の方は『強盗殺人未遂事件捜査本部』になる。そっちで準備しろ。いいか、の字は絶対に入れるなよ」


 荒っぽく携帯電話機を畳んでズボンのポケットに仕舞った中年の男は、若い男の方に戻ってきて、彼に言った。


「この件の帳場は一課から三班を投入するうえに、警備と広域からも応援が来ることになっている。所轄にも、手が空いている人員を総動員しろと、察庁から直々の命令だ。まったく、暮れの忙しい時に、とんだ大仕事を作りやがって」


 若い男は反射的に言い返した。


「べつに作ったわけでは……」


「ボーとしているからだろ。警戒もせず不用意に近づくからだ。馬鹿が」


 中年の男は吐き捨てるように、そう言った。

 若い男は激しい剣幕で訴える。


「取り消してください。ホシは怪我人を装って倒れていたそうです。警邏けいら中にそのような市民を見かけたら、警官なら駆け寄るのが普通でしょう」


「そのせいで、拳銃と手錠ワッパを奪われたんだぞ!」


 声を荒げた中年の男は、廊下に反響する自分の声に少し驚いて周囲を気にした後、声を落として続けた。


「警官が実力行使のために携行を許可された道具を二つも奪われたんだ。俺たちの三種の神器のうち、二つもな。しかも簡単にやられやがって。間抜けが。どうして死守しなかったんだ」


「しようとしたんですよ。間抜けというのも取り消してください。巡査長は初め、ナイフで襲ってきたホシをねじ伏せて、一旦は取り押さえています。簡単にやられたわけではありません」


「じゃあ、どうして逃げられた。警官はホシを逮捕しなけりゃ意味がない。敢闘賞でも欲しかったのか」


「相手はスタンガンも持っていたんですよ。ホシは最初から、ナイフが駄目だった場合にスタンガンで反撃する準備をしていたということです。計画的に警官の支給品を狙っていたんです」


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