第3話 魔なる左腕

 唐突に、何の予兆も脈絡もなく訪れたその惨劇。

 男の振り下ろしたそれがエリザベスの頭部を、まるで果実を割るが如く炸裂させ血だまりが現れた。


「エリ! 。エリッ! 。アアッ! 。エリザベスッ‼」


 青年がその砕け飛び散った彼女の、彼女だった物を必死に掻き集めまだ原型を残している胴体に接合しようとしているが、これは、この状態は祝福でも修復不可能な状態であることは一目瞭然であった。

 カミラは呆然と立ち尽くし、そして束の間ようやくその状況を呑み込んで理解した。

 腰に下げた剣を抜いて、震える手でその矛先を男へと向けた。


「きっ、貴様! 。一体何の狼藉か!」


 男は微動だにせず、今まさに砕いたエリザベスの遺体を睨みつけしげしげと検分する。

 その振り下ろしたモノを私はようやく理解した。

 スルリと布が解け目の当たりにする。黒々としたそれは金属質で触れてもいないのに冷気を肌で感じれた。

 それは、異端の、タルタロス大戦で聖都アルミンガ王国に敗戦したアルク帝国の民族が崇拝する悪神アルバナの象徴である『代償磔十字サクリファイス・クロス』が刻印された小さな棺桶であった。

 男の視線がエリザベスの成れ果てから離れ、ようやくカミラの方へと向いた。

 恐ろしい眼をしていた。赤褐色の瞳の色でどこか眠たげ、そして顔全体で見れば疲れ果てていると言った様子が見て取れる。

 そしてそれらの印象を上回る一仕事を終えたと言わんばかりの雰囲気が、この殺伐剣呑な空間には場違い過ぎた。


「聖痕監査官か? 。一目でこれを異端と判別できないようでは、いや、新人か?」


 その声は低く獣の唸り声のようでありながら理性的で優し気であった。

 腕を差し伸べてくる男にカミラは更に剣先を男の方へ突き出し威嚇した。


「う、動くな! 。貴様は人を殺した、許されるべき行為ではない」


「ああ。だがこれは殺しではない。動く死体をもう一度殺し直し動かない死体にしたに過ぎない」


「何を──!」


「お前とて分かっているのだろう? 。エーテルの輝きを見た。この体には元より魂は宿っていなかった。正真正銘の動く死体、言うなれば『グール』だ。いつ変質を起こし『ゾンビ』になるか判らない」


 男の言う事は微分も理解できなかった。意味が分からない。

『グール』? 。『ゾンビ』? 。一体どういった意味なのだ? 。

 男の包帯がグルグル巻きにされた左腕の指先がカミラの剣の切先に触れ、まるで嘲笑するように言う。


「祝福の強化を忘れている。俺ならまだしも、方法を選ばない魔導士ならば魂は奪われているぞ」


 ガッと剣を掴み力任せにカミラから奪ったそれをしげしげと眺めル男の目はどこか懐かし気だった。

 カミラは激昂し、男に掴み掛った。その剣はお前のような男が触れていいモノではない、子々孫々から受け継がれてきたランドール家の宝剣なのだ。

 有り体に言えばそれはカミラがカミラたらしめる誇りなのだ。


「返せ! 。私の剣を!」


「造りもいい。柄も鍔も、上等なミスリル製か。精霊の祝福の乗りも良い事だろう」


 カミラは男が刃を握り見ている事などお構いなく柄を握り、そしてエーテルを流し込み引き奪い返す。

 男の手より血が溢れた。それは黒々とした赤黒い血液だった。あまりにもどす黒く悪魔の触手生物の墨を思わせるほどだ。

 左腕に巻かれた包帯がハラリと開け、それが露わになった。

 醜い、醜悪な見た目。人の手と形容するにはあまりにも異形な形態、そしてその見た目。

 悪魔の右腕、浮き上がった血管と、鱗と肉と角と、それを染め上げる自らの黒い血で見る者の嫌悪感を掻き立てた。

 そしてそれが意味していたのは──魔法使い。

 魔法使いは邪悪な方法でその異端を執行する。他者の魂を奪いそれを供物に魔法を実行する悪逆非道な人種。その過程でさ他者の魂を集める為に刻印を施し生き物の魂を左腕に蓄えるのだ。

 その影響で左腕は変異し、異質に形が歪み生まれ変わり左腕は人のモノではなくなる。

 大体の魔法使いは少量の、小動物程度の魂を腕に蓄えている為腕が黒ずむ程度なのだが、コイツは違う。

 この変質の仕方、明らかに十人以上の『人間』の魂を左腕に蓄えていた。


「邪悪なる魔法使いか……我ら聖痕探索福音騎士団が異端執行も行う事も知っての蛮行か!」


「聖痕探索福音騎士団? 。ふん……俺を捕まえるか? 。首に縄を括り吊し上げるか? 。好きにすればいい。だがまずお前の隊長に掛け合ってもらうぞ」


 あまりにも堂々と、悪びれる素振りもなく当然の事をして正義を成したと言わんばかりの太々しさ。まるで罪を知らない罪に無自覚な子供の様で、その態度はカミラを馬鹿にしているようで、精神を逆撫でする。

 棺を背負い、腕を差し出す男にカミラも堪忍袋の緒が切れそうだった。

 祝福の術の印を刻み男の体にエーテルで強化され形質を変えた砂鉄で鎖で簀巻きにする。


「一体何事だ!」


 隊長たちが来た。

 その顔は驚きに満ちていて隊長たちもこの家で起こっている惨劇の悲惨さに顔が歪んでいた。


「ようやく話の分かる奴が来たな……」


 男の安堵の溜息にカミラは更に怒りが沸々と湧いてきた。

 この男、一体どこまで残忍なのだ。

 人一人を殺しておいて何の罪悪感も抱いていない。それどころか大義を得て成すべき事を成したような、ひどく不快なお門違いの行為で一仕事を終えた顔。

 正しきを生き純血と高潔と清廉で今まで生きてきたカミラには理解できない領域にいた男。

 隊長はエリザベスの遺体と、その光景を見て剣の柄に手が伸びそうになったが──しかし。


「貴様、……『メイシス』の死徒か」


「如何にも。俺の名前はアクゼリュス。『残酷』の殻の名を賜りし教会の死徒だ」


 隊長の手が剣の柄から遠のいた。それどころか。


「カミラ……拘束を解け」


「なっ! 。何故です隊長! 。こやつは人を殺したのですよ」


「いいからと解くのだ。──聞こえなかったか、カミラ・ランドール騎士官!」


 気迫に満ちた隊長の叱責にカミラはビックと肩を震わせた。

 キッと男を、アクゼリュスを睨んで、しぶしぶカミラは祝福の拘束を解いた。

 アクゼリュスの顔はやれやれと言った様子で、左腕を隊長たちに突き付け見せる。禍々しいその腕、よくよく見れば手の甲から肩に掛けて見える赤い模様。


「疑いはこれで晴れただろう。お前たち聖痕監査官と我ら死徒は同じ目的で動いている。この村で起きている奇跡、『聖痕』は異端だ」


「それはお前が決める事ではない。我らは我らの目でそれを確かめる。目的は同じであっても手段は違う。貴様が殺したその女性は奇跡の証人だった、認定妨害であるのは明々白々だ」


「ならば、留置でも何でもすればいい。──だが言っておくがこれは我らの領分の仕事の範囲。祝福騎士如きでどうこうできる代物ではないぞ」


 隊長が首でアクゼリュスの手に枷をしろと指示をするので、後ろに控えていた仲間たちが男の手に手錠を嵌めた。

 男の不敵な笑みは、まるでカミラたち聖痕探索福音騎士団への挑戦を思わせる程。


「精々魔に食われぬことだ。魔に食われたのなら、俺の右腕の糧になってもらうぞ」


 アクゼリュスはそう言い残し家から出て連れて行かれる。

 なんたる不遜。あまりにも目に余る。

 こんなにひどく侮辱されたのは産まれてこの方初めてだった。

 教会? 。魔法使いが、しかも『人』の魂を吸った殺人鬼に何故隊長は情けを掛けたのか、はたはた疑問だった。


「いい加減剣を下ろせ。カミラ」


 隊長のその言葉にカミラはようやく自らの体の状態を理解できた。

 立ち竦んでいた。剣を必死に握り締め、アクゼリュスへ剣を向け続けていた。僅かに手が震えていた。

 木剣で稽古をしていた時とは違う、真剣を人に向けたのは初めての事で緊張と張り詰めた精神状態であった。

 震えながら剣を収め、カミラは初めて息をするように、深く息をついた。

 今迄息をしていなかったような、そんな感覚に陥ってしまう。自然に出来ていた行為が今の状態では一つ一つ考えて行わないといけない。

 隊長が泣き崩れる青年の背を撫でながら、膝を折り死したエリザベスの遺体に祈りを捧げ、その血を指で掬い睨む。


「カミラ……彼女は『人間』だったか?」


「は、? 。は、はい。人です。間違いありません、祝福で身体を調べましたがこれと言った異常は──ただ、魂の痕跡がありませんでした」


「そう、か」


 隊長のその悲嘆にくれる声だけがこの家に木霊した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る