広島・長崎78年

「今年もまた広島、長崎原爆投下の式典の日がやってきた。私の両親も当時長崎市に住んでいた体験者なんだ。父は当時15才くらいで、三菱重工長崎造船所で勤労奉仕で働いていたけど、1945年8月9日には病気で市内の入院していたんだ。病室の窓から原爆を搭載したB29が上空を飛んで行くのを見たと言ってたよ」


「戦後78年経っても、核の脅威や開発競争が広がっているのは残念ね。どんなに核の脅威と残酷さを説いても、それで自国が優位に立つというロジックは世界で無くならない…」


「元々、最初に原爆開発に世界で最初に成功したアメリカの目的がそれだったから、その考えが他国に広がっていったということだね。人間のサガなのかな?」


「1発の原爆で広島では14万人、長崎では7万人が命を落としたんだけど、1945年3月10日未明の東京大空襲では一晩で10万人もの人が亡くなったのよね。弾の数が違うだけで、同じ様な悲劇が起こったのよね。でもこの事はあまり多くの人には未だ知られていないわね。父親と姉をこの大空襲で亡くした知り合いは、一欠片の遺骨も見見つかっていないと言ってたわ」


「それと、戦争中、長崎市から雲仙岳を挟んだ島原市に住んでいた10才の少年の話によれば、まだ子どもだったので原爆が長崎市に投下された事は暫く知らなかったし、雲仙岳があったからきのこ雲も見えなかったけど、数日してから長崎市から大量に電車で運ばれてくる犠牲者の死体の匂いで子ども達も何だろう?と異変に気付いたらしいわ。真夏の腐った大量の遺体の匂いを、遊んでいた子ども達が嗅いだなんて、本当に戦争って恐ろしいわ」

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