第9話 猟犬

「ジュラ・ホーン委員、ハーティング氏が」


「彼の次の予定は?」


「会うまで帰らない、と」


 文化地区の中央にぽっかりと縦穴を開ける垂直格納庫に、煤塵が吸い込まれていく。それを強化ガラス越しに見下ろしながら委員会の徽章を付け直し、部下から渡されたスーツを腕にかける。


「バスキュラー社の技術責任者とは接触できたか」


「例の店ですでに立体通信機を同期しております」


「立体通信か。相手の要望か?」


「街の外に居る人間がこの状況で対面会談を求めるということは、あまりに非常識ではないかと」


「……当然だ」


 復興博物館に通じる大通りに人影はない。商業ビルはその門戸を締め切って、市民を収容するシェルターと化している。それでも、二つ先の通りでは街頭広告の激しい点滅がビルの壁面を彩っていた。


「被害は?」


「人的損害はなし。官庁街でデモが発生しており、地区封鎖の影響も事実上は軽微です」


「だが収穫に対して少しやりすぎた」

 

 特殊消防の撤退と共に、技能総局の調査チームがドローン基地周辺の後始末を始めた。小一時間もすれば、ドローンはバスキュラー社の第二層自動工場から補充され、街は再び正常に動き出す。


「悪いが君、エンジニアが好みそうな内務総局の噂話でも流して機嫌をとっておいてくれ」


「わかりました」


 部下は小指を何度か折り曲げ秘密部屋と連絡をとると、頷くような仕草をして離れていった。残った2人についてくるよう指示して、ハーティングが待つ会議室へと向かう。




「ハーティング委員」


「どうも、ホーン委員」


 上質な生地の黒いローブを羽織って、寡黙な印象を受ける細身の男だった。そのへの字に閉ざされた口から重みのある、しかし人懐こい柔らかな声が飛び出した時、私は思わず握っていた手を離すのを忘れてしまった。戸惑っているハーティングに、誤魔化すように名前の間違いを指摘する。


「ジュラが苗字です」

 

「失礼、ジュラ・ホーン委員。初めまして。セレスト中央委員会より、先日、臨時ではありますが、司法部門担当委員として警備隊の建て直しを任されました」


「お互いにCMFシステムの柱の一角を管轄するわけですから、支援が必要であればなんなりと」


「ええ。早速ですが今日はそのつもりで」


 会議室の扉が閉まり、視界では通信およびレコーディング機能の停止を告げる警告が点滅する。ここは司法部門の所有する秘密部屋であるようだ。

 

「稀に見る大火災でしたね。少なくとも私が生まれてからは……」


 机の横に立ちながら、ハーティングは私に座るよう促す。


「ええ、ロボット工学は動力の点において長らく進歩していませんから。とにかく燃えたのが重機械の原子燃料でなくてよかった」


「まったくです。最近は物騒な出来事が続いていますから、重大な被害がなかったのは不幸中の幸いですね」


 私は適当な椅子に腰掛ける。


「それで」


 足を組んで、座る様子のない若い閣僚を眺めた。


「察するに、委員は文化地区警備隊の視察をされていたのですか?」


「ええ。第一に何が起こったのかを正確に把握する必要がありますから。ドローン基地の火災はその意味で、私にとって大きな損失です」

 

「たしかにワタナベ委員の報告書では、警備隊の反乱にペグシリーズは不可欠だと評価されていましたね」


「ペグだけではありません。警備隊が運用したことのある輸送車両、装備、鎮圧システム、それらの重要な証拠があの基地には残されていた」


 いきなり輸送車両が話題に上がり、私は顔色に驚きの色を出さないよう深く呼吸しながら相槌を打つ。


「そうなのですか」


「もちろん、それらは緊急的に配備されたものたちで、継続的に警備隊の管轄にあったわけでは無いですが……」


「委員は今、どのような調査目的を?」


 ハーティングはまるでそれを予期していたかのように姿勢を正した。直入すぎたかと焦りが生じる。

 

「調査は基本、中央委員によって編成された特命調査班の後追いにすぎません。暴動と警備隊との連関を見抜いた保安局、そして優秀な情報総局職員らのレポートは簡潔であり、信じたくは無いが確かな論理がある。ただそれを司法総局内で検証するにあたって……」


 私が使っている肘置きに、彼の綺麗な指が重なった。


「証人が揃っていないという難題に直面したわけです」


「まだ第三者による調査の段階ですから、他部門からの要請で保安局も出し渋っているのでしょう」


「それは解決しました」


 私は彼の表情を確認しようと目線を動かすこともできなかった。指先を振るわせようものなら、肘置きに置かれた彼の手がそれを感知するだろう。今、ハーティングは何と言った?


「まさかワタナベが承諾するとは。一体、どの部署に証人が引き渡されたのですか……」


「まだ特命調査班の監督下ですから、それほど驚くことでもありませんよ」


 ハーティング委員に呼び出された時、組織スキャンダルを引き継いだ人間としてあまりに動きが早すぎると思っていた。それがワタナベ委員からの警告である可能性があるとするならば、彼女はストレンジ行動員に関する情報を供与していないはずだ。


「エドメ警部補は信用に足る人物です。彼は計画からの脱出を試みていたと聞いている。情報総局も保安局による警備隊内部調査に協力していましたが……」


「ええ。ただ精緻に構築された共犯関係のために、彼が知っている情報が非常に限られている」


「他の証人は?」


「ヒルベルトホテルで逃げた民間人の中から、保安局が何人か身柄を拘束したことを確認しています。残念ながら彼らについては特命調査班の取り調べの途中だと」


「その引き渡しを取り次いで欲しいのですね?」


 やはり、ワタナベはケベデ殺害の実行犯であるストレンジと直接関わっていた、記者、エレベーターホールの遺体、その他の情報を隠し通している。何がワタナベを迷わせているのだろうか。私が何か彼女を脅すようなことをしただろうか。


「いいえ。私が求めるのは別の人物です」


 ハーティングの返答は、私の想定を上回る言葉だった。脳が焼きつくようだ。


「ラフカ・クナーグ博士。保安局が当初暴動の煽動犯と仮定した人物。その後新設部門に招聘され、ケベデ警護の任務まで任され、事件直後に不自然に任を解かれた彼女の身柄を司法総局で預かりたい」


 手先から血が抜けていくのが分かる。この切れ者はどこまで情報を与えられているのだ。その元凶がすべてワタナベの行きすぎた行動なら、それはもはや脅しではない。


「なんですと?」


「ワタナベ委員も彼女を疑っていると、信頼できる筋から情報を入手した。彼女の証言が必要だ。しかしよく調べてみると、ラフカ博士の所属していた部門は護衛部門の形態をとりながらも、どうやらあなたの直属のチームだったと分かったんです。とすると、私の部下たちがあなたに無言で彼女に手出しすることを躊躇しはじめますから、こうして許可をいただきに参じたというわけです」


「……申し訳ないが、それは断らせていただく。彼女の証言が公式の捜査に与える影響を、私は懸念している」


「それはなぜです?」


「一度冤罪をかけられた彼女を、再び政治的思惑が錯綜するこの事件に関わらせることには、重大な懸念が伴う」


「それでは伝わりませんよ」


「……CMF社、ひいてはFWシステムの存続に関わる不安定な社会で、FWの仕組みを一言で変えてしまうセレスト唯一の物理心理学の権威を誰かの手に委ねてしまっては、取り返しにつかないことになりかねない。例えば、ハーティング委員、あなたのようなFW不要論者など」


 攻撃的になりすぎてしまった。ハーティングが窓際に歩いて行き、私に背を向ける。手を後ろで組み、何か悩んでいるようだった。


「なるほど、そうきますか」


 いや、悩んでいるのでは無い。私はふと気づく。彼のそれは不慣れな演技であった。ここまでは、彼の予定していた原稿に存在するセリフだった。


「いや、確かに。ラフカ博士に関する懸念は理解しました。ではそこから離れて、もうひとつ、私が感じていた違和感があるのです」


「というと……」


「なぜ司法総局だけが糾弾されたのか」


「文化地区の警備隊員が、暴動に関与していたからでは?」


「もう少し問題を遡りましょう。その手段は、ペグシリーズに対してロボット三原則の穴をつつき、区分管理されていたCWF情報をリアルタイムに統合するというものだった。つまり警備隊員だけが実行可能な手段ではなかった、ということです」


 前任の司法担当委員に非難動議を出した私とワタナベの策は、解き放ってはならない正義漢を最高レベルの政治の場に呼び寄せてしまったらしい。ハーティングの度胸は、ワタナベの想定を上回っている。それが明らかになった。このまま彼が心神耗弱状態の数人の証言を真であると受け入れてしまったとき、AO5と同じ発想に至ったとき、おそらく内務総局がその牙を振り解くすべはない。ワタナベの罪を隠し、真の実行犯を匿った私も然り。


「ジュラ委員、あなたもその可能性を知っていましたね?」


「ええ、確かに。可能性にすぎませんが……」

 

「そうではなく、実際に疑いをかけるレベルで、その可能性を検討していましたね」


「それは、どういう意味ですか」


「そうですね、例えば捜査の段階で検証を行ったとしたら。あなたが違法行為を行ったとは言いませんよ。ペグシリーズのバグを利用せずともPMLM(光位置情報確認制度)のデータベースにアクセスできるとなると、司法総局の許可状を所持しているメンバー以外は排除されますから……」


 ハーティングは間違いなく、ソト教授のことを言っている。彼がもし審議会のメンバーから解任されていたら……


 それからの会話はどれも曖昧な記憶に混ざり合ってしまった。私は頑固な保守議員を演じ、彼の圧力を無言で受け流し、次に取るべき手をひたすらに計算した。ラフカ博士は今どこにいたか。ロビンは、ピカは、シャニーアは?


 警察病院はまずい。かなりまずい。司法部門の管轄する建物に一堂が会している今彼が強硬手段に移ったとしたら、私がファビアンから得た情報をラフカに渡さなかったら、すべてが無に帰す。そんな観念に支配され、ハーティングが根負けした瞬間に私は立ち上がり、ローブの襟を正して早歩きで部屋を飛び出した。


「ジュラ委員!」


「まだなにか?」


 私の作り笑いを眼力で黙らせて、ハーティングは脅すように番犬の唸り声のような声を出した。


「同類にしないでいただきたい。あなたの行使している権力は、三権のいずれにも属さないものだ。その帰結はいずれご自身に降りかかるでしょう」


「理解していますよ」


 私はボタンを留めていた手を止めて、彼の方に向き直る。


「ハーティング委員、あなたが想像しているよりも、私はよく理解しています。保身のために結末を書き換えるほど傲慢ではない。私は自らを犠牲にする覚悟で、あなたは正義を貫く覚悟で、この苦境を生きながらえるしかないのです。そうしていれば、いずれ採決は下る。私たちは何かを成して、それを待つのみ」


「それがあなたの真の人間性ですか。あなた程の方が時代の操り人形に成り果てるなら、その理由を知りたい」


「託されたから、でしょうか」


 ハーティングが再び口を開く前に、輸送車の扉が開いた。私は小さく一礼し、背を向けないようにして乗り込んだ。思わず長い溜息が出る。弱点のない人間をわざわざ敵に回す必要はない。実直な彼には彼にしかできない役割がある。それはこの事件が落ち着いた時に必ずなくてはならない存在であり、私が妨げるべきものではないと理解している。だがそれと同時に、私は彼との間に底知れない断絶を感じ取っていた。議員というよりか、司法の番犬か、いや猟犬か。


「獲物を知れば、あるいは……」


 首都警察の捜査能力を試算しようとして、思いとどまる。彼の手を汚させてはならない。第二のラフカ博士を生み出してしまってはならない。

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