第3話 デモ隊に紛れて

「そこの2人、止まれ。所属を確認する」


「ねえ、この人たちの制服は違うと思う」


「もし偽装なら?」


 エレベーターホールを囲むようにして立っていた若い男女数人が、眼球のカメラを展開させながら私たちに近づいてきた。その首から上には、安物の認識阻害マスクが薄らと膜を纏っている。


「通せ。君たちには何もしない」


 ロビンは目の前に立った男の肩を掴んで押し除けようとする。しかし気づけば、取り巻きがいつの間にか十数人ほど集まって私たちのゆく手を塞いでいた。


「悪いが警備隊員は通せない。識別子を見せろ」


「......ここの警備員はどうした」


「暴動を未然に防ぐためさ。デモ隊の中には警備隊と相性が最悪な連中も混ざっている」


「そうだろうな、だから君たちも暴力に巻き込まれる前にここを......」


 私たちと同じようにして警備隊員から奪ったのであろう拘束銃を突きつけられたロビンが、ため息をついて立ち止まる。所有者から離れた銃には安全装置にロックがかけられている。てっきり強行突破するものだと思っていた私は、その背中に鼻を強くぶつけてしまった。


「ロビン、行くのか行かないのかはっきりして」


「......従おう」


「よし。そのまま腕を上げろ。攻撃モジュールの有無を確認する」


 誰かの手が私のコートの袖を捲ろうとする。


「ちょっと、怪我してるの。触らないでくれる?」


「あっ、すまん」


 試しに声をあげてみると、私の手首から先が欠損していることに気づいたらしい。義腕なので痛くも痒くもないのだが、それでも痛がって見せると、別の女学生が私の腕の拘束を解くように指示した。


「あなたたちが私たちから自由を剥奪しないと分かればそれでいいの。あなた、公務中じゃ無さそうね。職業登録は?」


「もってない」


 嘘はついていない。今は大学教員でも、医療技師でも、保安局員でも無い。もしかしたら、私は今無職なのかもしれない。


「あ、そうなの......ごめんなさい」


 遠巻きに数人が顔を見合わせた。彼らが警戒を強めたのが分かる。だが私がもし行動員なら、むしろカムフラージュ用の証明情報をいくつも保持しているはずだ。不自然かもしれないが、怪しまれることはない。


「ひとつ忠告するが」


 腕を解放されたロビンが彼の識別子を見せつけながら、話題を逸らそうと試みた。


「ここで待ち構えるのはやめたほうがいい。警備隊ならまだマシな方だ。もし俺たちが......」


「知ってるぜ、今は警備隊も内務総局の指揮下にあるってニュースで言ってた。だが内務総局だってCMF社と切っても切り離せない関係を築いているはずだ。保安局員だから通すってのは道理がない」


 そう言いながら識別子を読み込むと、男は頷いて道を開けるように言う。


「こっちは統計局の事務官だった。その女は?」


「まあ、怪しい点はないわ。それに怪我をしてる。引き留めてこっちが悪者になるのは勘弁」


「どこに行くつもりだ?」


「負傷者を病院まで警護する。それだけだ。分かれば道を開けてくれ」


「よし。行け」


 ロビンが私の肩に腕を回し、まっすぐ前を向いて歩き出す。警戒の目は向けられているが、なんとか通りに出られそうだった。政府関係者と一目で分かる黒シャツを着てデモ行進の流れに乗るということは、決して安心できる状況ではなかったが。


「.....待て」


 通りまであと数歩というところで、私たちを最初に止めた男が私の腕を掴んだ。


「どうした?」


 ロビンの額に一瞬険しい皺が刻まれたのが見えた。だがその声は極めて冷静なものだった。


「いや......」


 男は私の目の前に立つと、まじまじと顔の観察を始めた。耐熱ジェルを肌に塗ったのか化学臭が鼻をつく。ロビンの方に指示を求めると、彼の目はまっすぐ通りの方を向いていた。堂々としろ、ということだろうか。


「失礼」


 男は私の左腕を手に取って持ち上げると、その袖をまくって損傷を診る。黒い泥がついた人工皮膚と、剥き出しになった生体バッテリーケース、そして花開いた自衛モジュールの電磁レール。まるで暴発事故でも起こしたかのような様態。思わず布端を握ってそのまま元の位置に戻した。


「あ......ああ、いや悪い。怪我が本当か確かめようと。不快な思いをさせた」 


 それを聞いた女学生が非難の声を上げる。


「私の言うことが信じられないわけ?」


「お前が普段から適当な実験ばかりしてるからだ」


「頭きた。大体私FWがどうとか興味ないし」


「あのな、そうやってなんにも興味がないから気づけないんだろ。この理想主義者め」


「何が」


「何が?」


 私と女学生の声が重なった。ロビンが抱き寄せる力が強くなる。


「見たことあるんだよ、この女」


 ロビンが側に埋め込まれていた案内看板を力一杯蹴飛ばして、私の体を引っ張った。男たちの上半身をすり抜けて、3頭身のマスコットキャラクターが空中にむくりと立ち上がる。


「お前らも、見たことあんだろ、ラフカ・クナーグ博士。姿を消していた、セレスト最後の物理心理学者だよ!」


「はあ、そんなの信じらんない」


「もういい黙ってろ、おい」


--データ削除申請は32階にお越しください--


「おい待て、その女をとめてくれ!」


 首都警察の生活課が設置した受付ホログラムが私たちの盾となって、男たちの視界を遮る。すぐに、盾は実体を伴った人の流れへと置き換わっていく。そうして転びそうになってはロビンに引き上げてもらい、何もわからぬ間に私はデモ隊の濁流のど真ん中で溺れそうになっていた。


「これを被れ」


 ロビンは誰かから盗んだ認識阻害シートを私の頭の上に適当に載せて、私から手を離した。


「盗み?」


「どうせ安物だ」


「まだFW外したままなのね」


「そんなことはいい。これは、どこが排水口だ?」


 ロビンの声を聞き、なんとか顔をあげて通りの奥を見ようと首を伸ばす。そうして目に入ってきたのは信じられない光景だった。


 いや、信じられないと言えば嘘になる。


 暴動、騒乱、あらゆる規模の集会を調査して、5課の地図に記録したのを覚えている。どれほどの人間が社会的不安を抱いているか、それは既に知っているはずのことだった。ただ、犯人像に繋がらない情報はすべて私の関するところではないと、耳を閉ざしていた。煽動犯の仕掛けた政府内部への干渉は、いくつもの連鎖を経て、既に止めようのない大きな社会のうねりを生み出してしまっていた。




 官庁街を起点に鉛直方向に開発された高級商業区画には、本来これほど多くの人間が集まることはない。環状トラベレーターの乗降口は長方形の区画両端にのみ位置し、大通りと同じ標高にはキューブの外に繋がる一般道が存在しない。商業区らしいところといえば、いくつかのギャラリーと高級雑貨店から漏れ出す泥と雨露の香水の匂い、終日営業の軽食屋、政府認可の降りた三大テック企業の合同見本市だけ。見上げて圧倒されるビル群の多くは総局の本部が拠点を構える行政施設だ。


「リリース・イット・オール!」


--真相を! CEOの死は偽装だ--


--私たちは強い。精神場は私たちのものだ(衝動疾患認定者を支援する会)--


 デモ参加者の腕から放射された違法ホロが全方位に投影され、それが組み合わさって文字や映像となると、連絡路が脳神経細胞のように絡まり合った巨大建築物の間を突き抜けていく。


「リリース・イット・オール!」


--我々はオートマン、罪を責めること勿れ--


--我々は罪を犯さぬオートマンでは?--


 中には悪趣味なものも多い。特にひどいのは、前司法担当委員が大鎌を携え、故ケベデCEOの首筋に突きつけるリフレイン映像。かれらの巨体には実態を伴わない火炎瓶が投げ込まれ、保安局本部を見上げる公園に炎の絨毯を広げている。


「おそらく、司法総局か、CMFの見本市ね」


「流れの向きはCMFだな。そこまでに下層に抜けるぞ。ペグ、最短経路を案内しろ」


 あいにく私の視界に地図も青矢印も現れない。私はロビンから離れまいと、なかばもたれ掛かるようにして一緒に列を移動していく。道筋がわかれば、背伸びして周りを見る必要もない。ロビンの手が再び強引に私を俯かせた。




「ペグ、入り口が塞がっている。なんでだ?」


 ロビンがぼやいた。彼の目線の先を追うと、街路樹の下にひと回り大きな群れができていた。彼らはその場を離れようとしない。何人かは飛行ドローンを飛ばしてその中心に居る人物の立体映像を撮影しているように見える。電磁放射型鎮圧モジュールを備えた警備ドローンが威嚇をしながら無駄に盾で道を狭めているせいで、デモ隊が進む大通りに血栓が生じているようだった。


「誰かの演説ね。ペグはなんて?」


「みえるか、そこのパブに入って裏口を......」


「ちょっと、あんなのが出てきてるの?」


 私は思わず嫌悪の声を出してしまう。ロビンが口を塞ぎ、周りの喧騒が加勢して音を掻き消す。


 過激なことで知られる歴史映画アーティストのモドキがそこにいた。科学不要論者で、オカルト信者。他の国家が事実上存在しないこの宇宙で唯一ナショナリストであることを公言する権威者。人口子宮廃絶協会と自発的知覚制限者協会のトップを務めるという特異な肩書を併せ持った彼が、もし新回帰派の隠れ教祖であっても驚くべきことではない。


 幸い、盲信者たちは教祖のありがたいお言葉を聞くのに精一杯で、不敬な私への興味はすぐ消え去ったようだった。同じ色の服を着た人々の隙間を縫うようにして、私たちは必死に人ごみを抜けようと藻搔いた。


「自由は享受するものではない! 自由は創出されるものではない! 自由は常に存在するものだ。もしそれが奪われたなら自らの手で全てを取り戻さなければならない。ならばCMFと司法委員会は、我々からなにを奪ったのか明らかにする責務がある。それが果たされない限り、市民の正当な怒りは収まることはない」


「何を奪われた!」


 群衆の中央から声が上がる。


「心を知られない自由。それはすなわち、己の心を信じる自由だ。我々が直面する未来に対する自由だ。思い出そう。かつては歴史心理学が太陽系の結末を描いた。未来を決められた人類は皆、何かをなすことを諦めた。我々セレスト人を除いて!」


 セレスト人。その単語を他国家に認められた民族を表すかのように語る人物を他に見たことがない。そんなことを考えながら、ロビンの背を追う。


「セレスト人が発明した物理心理学は歴史心理学を否定した。FWは我々に未来を変える力を与えた。しかしその代償に自由意志を失った。もし今、セレストの司法が我々から自由な不意思すらも奪おうとするなら、今度こそ、一体何が残る?」


「ゼロだ!」


 変なことを考えていたら見失った。ロビンの背は高いが、信者たちのホログラムが邪魔だ。まずい。

 

「危機感を持つのだ。賢きマイノリティたちよ。FWシステムがこの社会にあり続ける限り、あなたの人生は数式が作り出した結末に向かっていくだけに......なんだ?」


 突然周囲で伝言が回り始め、押し除けることが容易くなる。私はロビンを見つけることを諦め、この機会を逃さんと力任せに道を作り、ドローンが作った柵に行き当たった。


「上のトラベレーターが止まったらしい」

 

「警備隊か?」


「いや消防だ。ほら」


 周囲の人影に特段と大きな黒い影が覆い被さった。演説が止まり、リリース・イット・オールの声が小さくなり、不規則的な騒めきが生じる。私も思わず上を見上げた。停止した環状トラベレーターの下に吊るされて、黄色い警告灯を点滅させた特殊消防が通り過ぎていく。


「輸送路の封鎖はあれのせいか。まったく」


 いつのまにか隣に立っていたロビンがうんざりした声を吐き漏らした。大規模な火災でもあったのだろうか。街灯立体ニュースを目で探すが、ホロが干渉しているせいでうまく読み取れない。ロビンがそれ以上教えてくれる気配がないので、非表示にしていた公営通信のスライドニュースを視界の下部に展開させる。その文字に、思わず冷や汗が吹き出した。嫌な予感がする。


「ねえ、文化地区で大規模火災って」


「ドローン基地の火災だ。技能総局から出動したとなれば相当だな。区画壁も動くか?」


「カオが心配だわ」


「博物館なら安全だ」


「そうだといいけど。ほんと、最悪な一日」


 私がカオと連絡を取ろうとすると、ロビンは待たずに営業時間外のパブの中に入って行ってしまった。呼吸を落ち着かせ、慌てて追いかける。


「まだ終わってないぞ」


「終わってないって?」


「これからピカのところに行くんだ」


「ええ。傷は深いけど、生きてるんでしょ?」


 嫌なニュースを見てしまったからか、急にあらゆることが不安になる。ピカは大丈夫なはず。血は出ていたが、意識はあった。内臓のひとつやふたつくらい、血が溢れ出しても生きていける。彼女はこれまでもっと無茶して生きてきた。そう作られて産まれた。あの時ゾフィーが止めなかった。ピカが危なかったのなら、私の無意識は絶対に彼女から離れようとしなかった。間違えてない。絶対に大丈夫。


「大丈夫なのよね」


「......急いだのにはそれなりの理由がある」


「ロビン?」


「間に合うといいが」


「ロビン、冗談はやめて。お願い」

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