第35話 第五標的

 カタコンベと化した繁殖場の中を、まるで誰かの助けを待っているかのように、ひたすら身を屈めながら足を動かした。基地から湧き出してくる警備ドローンの殆どは電撃棒を備え付けた虐待マシンで、畑で遭遇したような情報総局からの救援は含まれていなかった。知能のある追手が来ないことに違和感を感じつつ、安価なドローンに向けて銃をセミオートで撃ち続けるマスク顔に続いて屋根から吊るされた監視通路を走った。目指している場所はどうやら出口ではなく、中央で生物を寄せ付けないオーラを放つ研究棟か。


「誘導されてる」


「わかってる」


「こうやって同じところに留まるのは愚策だと思うのだけれど」


「その通りだな。そしてそうやって、無駄話をするのもだ」


 振り向いて、私の肩越しに監視カメラのレンズを砕く。同時に降ってきた半球頭のペグドローンを一階に突き落として、千切れたコードが目の前を揺れていたのを掴むと嬉しそうに言った。


「こいつら、メタリックケーブルで通信を?」


 併設されたラボの検疫所は、二重扉を開けたまま遠隔ドローン用通信ファイバーを貫通させているせいで、死骸の匂いに耐性のある人間であれば誰でも入れる状態だった。クリアリングをして、マイナス95度と書かれた赤いガラスカバーの下を潜る。温い風が溜まるそこには、羽根が落ちた換気扇と、壁一面に埋め込まれた円筒形の保管器。円盤状の蓋は全てロックが外されて、中からサンプルの無くなった蜂の巣のようなラックが飛び出していた。


 冷凍庫のあり様から、施設自体のエネルギー供給が死んでいることは明白だった。マスク顔はなにやら呟きながら電源を取り戻そうと部屋の中を漁り始めた。私はバッテリーを備えた左腕を隠すように立ち回りながら、一つの疑問を投げかけた。


「なぜ外に逃げないの?」


「連中に掛け合って逃してくれるのか?」


「まさか」


「心配するな。自力で逃げる方法はある。たぶん」


「心配なんてしてないわ。それよりも、こんな肝心な時に幽霊の助言はないの?」


「なにも、常に声が聞こえる訳じゃない。あなただってそうだろう」


「使えないわね」


「そう、まったく使えない。主観を客観的に観測可能な彼らでさえも、結局低次元空間での振る舞いは人間と同じだったわけだから」


「彼らというのは、さっき言ってた宇宙人?」


「そう」


 私と同じことに思い当たったようで、ピカを刺したナイフが収納されている腕のモジュールを取り外す。痣の残る生身の肌が現れるが、それはすぐに隠されてしまった。顎で指図をしてくるので、しかたなく充電ポットの中で息絶えていたドローンを担ぎ出すと、床に銀色の血を流していた別のドローンから引き抜いたコードと一緒にバッテリーを差し込んだ。


 起動音が鳴り響き、マスク顔は慌てて入口を確認する。私も立ち上がりその背を襲うべきか否か考えていたが、その意思の萌芽はすぐに消えることになった。


「宇宙人、そうだな」


 錆びついた動きをするドローンを両手で抱えると無理やり受信機を露出させ、話をつづけながら、慣れた手つきで内臓部分を弄りはじめる。


「宇宙人か幽霊か、あるいは煽動事件の黒幕か。正しい呼称は誰にも分からない。博士にとって最適な呼び名はおそらく、客観的生命体」


「客観的生命体?」


 外部記憶装置がすぐさまそれが直近に検索された用語であることを青文字で知らせてくれた。その助けがなくとも、私の脳は正しい記憶まで遡ることに成功していたが。


 客観的生命体は、主観的報告を得られない他生物の実体的精神について仮説を立てる際にゾフィーが作り上げた、一つの思考実験だ。もっとも、一般市民人の関心の引き出しを趣旨としたものであるから発想や議論の積み重ね自体特に画期的なものではなく、点が線を識別できず、線が平面を識別できないといった既存の次元の説明上に延長して語ることが可能な平易な概念にすぎない。


 よく理論物理学者から、物理心理学は主観報告によるデータを重要視しすぎると批判される要因がここにはある。人間が時間の向きを認知し、統合作用で生じた認識の遅れと現実で流れる時間との誤差を遡及的に修正するという不可思議な経験を説明するため、自由不意思の統合作用は時間の矢を克服しうるはずだという前提を置いたことだ。時間の矢を克服する自由不意思が場として形成され、それが時間あるいは余剰次元上で格納されているとして、2次元生物のあらゆる行動を3次元生物が一方的に監視できるのと同様に、私たちの主観に痕跡なく侵入する生命体が存在するならばそれは......といったオカルト信者へのリプサービスである。結局のところ客観的生命体の概念それ自体は説明の中で大きな意味を持たない。それは今私が置かれている文脈でも同じであるはずだ。であれば、何かの暗号か?


 脳の反対側で別のシグナルが発生した。そうだ、思い出さなければならないことは、それだけではなかった気がする。ピカが追っていた保安局情報漏洩事件の犯人に付与された識別名称もまた、狭義の意味での宇宙人だったではないか。


 頭をかかえて立ち尽くしていると、マスク顔が指先から無数の全方位稼働型ファイバーをドローンの制御装置の隙間に滑り込ませながら、声色も変えずに話をつづけた。


「本当に、宇宙人の存在を信じるか」


「信じないと出逢えないなら。それに、今は信じた方がいいと無意識が言っている気がする」


「そうか。ならばここから質問は無し、いいな。全ての前提は、客観的生命体が存在すること。その仮定さえ示すことができれば、今直面する凡ゆる問題の説明になる」


「オッカムの剃刀ね」


「彼らがどこに存在するのかはわからない。グロムスの海かもしれないし、セレストに潜伏しているかも。ただ確かに言えることは、私の中には何者かが主観の中に残した不連続的な痕跡が存在する。そして推しはかるに......」


 表情のない不恰好な顔が私を見つめた。言いたいことは予想できた。それを否定する気は不思議と起こらなかった。


「博士、そして」


 畑から吹き込む風が繁殖場の柱を振動させる。


「2人の犠牲者と、我々が追う5人目の経験にも」

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