第20話 誘導尋問

 実験の続きは、想定外の労力と時間を要した。シャニーアが意地で演算を繰り返す中、私とロビンは隣の事務室で膨大な転写記録からその要請者を辿り、報告書の違和感を闇雲に探す作業に徹していた。ピカは復旧したペグに追跡されているとは知らずに、巡回を名目に夜な夜な歓楽街を徘徊していた。なぜ苦戦を強いられているかと言えば、思いつきで始めた実験を通して明らかになるのはシステムの欠陥のみで、いくら正常な動作が繰り返されたところでなにも情報流出の可能性が否定される訳ではなかったからだ。


 早速行き詰まったのは対テロ課のシミュレーションだった。シャニーアがリストに纏めていたコマンドをいくら打ち込んだところで、人命保護のポテンシャルとデータ流出リスク回避のポテンシャルとが、物理的に拮抗状態に陥ることはなかった。PEGシリーズは、FWチップ非装着特権によって自衛の権利が保障され、かつ殺傷目的の装備を備えた対テロ部門の行動員について、第一条の適用を可能な限り厳密に解釈するように作られていた。しかし同時に、警備隊と異なり対テロ課の隊員個人に対して情報アクセスを制限する明文の規定はなく、シャニーアの予想では抜け穴があるはずだった。下級警官や民間警備員の遭遇事例に至っては、その組織の非体系的な内規といい、保安局のシステムから独立が可能な指揮系統といい、実際の現場に照らし合わせた予測をすることは不可能だと早々に諦めざるを得なかった。この段階で捜査の対象を警備隊レベルに絞り切る決断ができれば良かったのだが、誰のもとにもそれを言い出す勇気が生まれないまま丸3日が無駄になった。




 既にエドメが目を覚ましているらしいという知らせが入ったのは、三日三晩稼働し続けた3号量子コンピューターを休ませ、メンバー全員が事務室で仮眠をとっていたときだった。私たちはエドメに犯行手口を突き止めたと伝えて、彼から証言を引き出さんと息巻いていた。しかし彼はそう簡単には口を割らなかった。それに加えて、エドメの性格以外にも取り調べを難航させるいくつかの問題があった。


 内務総局監査部門の会議室から5課以外の職員を排して、私たちは3時間もエドメと睨めっこを続けていた。手元の時計はセレスト時間午前6時を指している。ロビン、シャニーアと続き、今はピカが部屋に入っている。私たちはハーフミラーで仕切られた記録室で、モニターの前を行ったり来たりしていた。問題というのは、残りたったの1時間でエドメから最大限の情報を聞き出さなければならないらしい、ということだった。


 警察と司法総局が彼の捜査の管轄権と引き渡し請求権を主張していたことは知っていた。しかし、ワタナベ委員がエドメの要治療性を盾にそれを徹底的に無視してきたはずだった。つまり私たちも、ワタナベ委員も、司法総局が保安局長に直接期限を通告する可能性について一切の対策をしていなかった。唯一この動きを察知し得たシャニーアが実験に手を取られている隙に、目を覚ましたばかりのエドメは秘密裏に監査部門へと移され、そこで数日悠々とニュース番組を観ていたというわけだ。


 引き渡し期限まで残り半日というところで、昨夜行われた監査部門による取り調べに同行した5課の協力者が事の次第に気づいた。ロビンは聴取を開始する直前まで、怒り心頭でその協力者の不仕事を責め立てていた。しかし公的な手続きが受理されてしまった今、時すでに遅しだった。


「答えはもう出ているではありませんか。私に尋ねて何を知りたいのです?」


 1回目の実験結果を伝えても、エドメの表情には少しの歪みも生じなかった。否定することも、肯定することもない。キャップに覆われた痛々しいその額の下からは、私たちから情報を聞き出そうとする魂胆が明け透けだった。


「共犯者の可能性がある人物は既にマークしている。私たちはあなたに選択肢を与えているの」


 ピカは万年筆を紙の上で転がしながら、親が子を諭すような声色で応える。


「随分と上からですね。で、具体的には?」


「手口の証言と、関わった同僚の名前」


 エドメは黙って続きを待っていた。


「それから、誰の指示を受けたのか。ほら簡単。最初の質問なんかは、ただ一言肯定してくれればいいだけなんだから、お願い?」


「......もし私が口を割ったら?」


「司法総局への引き渡しを拒否し、あなたを5課の協力者として保護する。それから、あらゆる懲罰を免除させる。でもそのためには、司法総局にたいそう首っ丈な保安局長を黙らせるに足る、仮説以上の証拠が必要なの。えっと、何笑ってるの?」


 エドメは旧友と談笑する時のように、ピカを愛おしい目で見つめ、穏やかな笑みを頬に不気味に浮かべていた。ピカの握る万年筆が軋み音をあげた。


「わかった。1発、いや3発私に殴らせてくれたら、課長への傷害も無かったことにできるかも」


 ピカがちらっとミラーの方を見る。私は予定になかった譲歩に、思い出した怒りを打ち消さんと淡い期待を抱いた。しかしそれを裏切って、エドメはため息を吐くと話をゼロに戻した。


「何度も申しますが、残念ながら私に答えられることはなさそうです。第一、私が何を言っても、あなた方はそれを信じないでしょう。でしたら私は口を噤む。それに私にはその権利があるはずだ」


 ロビンが防音壁を超えて向こう側に届きそうな大きな声で悪態をついた。記録室の赤文字のタイマーが刻々と制限時間に迫っていく。残り45分。ピカお得意の、偉い人を騙す笑顔が剥がれ始めた。


「あのさ、ここは警察じゃないってば。ミランダの助けは来ない。あなたには話す義務があるの、わかる?」


「不当な勾留ですよ」


「治療のための、ね。記憶を思い出せないなら、もうちょっと経過観察が必要かもって、先生も言ってたよ」


「なにも私でなくとも、記憶装置に聞けばいいことでしょう。きっと私よりも正直ですよ」


 エドメは面倒くさいナンパ男をあしらうかのように、担当者が変わる毎に淡々と同じ返答を繰り返していた。記憶装置に聞けばいい。記憶装置が禿男に壊されたことを知った上での挑発のようで、記憶解剖がなされたのかについて、やけに気になるようだった。その様子を見ていて、私の中に漠然と一つのイメージが浮かび上がった。


「そうね。だけど......」


 私はピカが答える前にドアのセンサーの前に立っていた。


「交代よ、ピカ。さてエドメ警部補、もう私を見ても錯乱はしないようね」


 私が部屋に踏み入るや否や、椅子の差に張り付くように姿勢を正したエドメは返事をしなかった。ピカはむすっとして席を立ち上がる。


「何度も言うけれど、未だ行方知らずの優秀なお仲間のおかげであなたの記憶装置は大破した」


 彼の瞳は私の方を向いて固まった。


「いえ、あなた自身はこうしてまだ口をきけるのだから、彼は大きなミスを犯したのかしら。或いは、殺す必要がないほどあなたは真実を知らされていなくて、こんな尋問には意味がないのかも」


 机に肘をついて、彼の方に身を乗り出してみる。彼の口が抗議の形に動いたが、それは音にはならなかった。


「でも警部補、あなたが話せることは他にもある」


 私はピカの手汗と温度が残る万年筆を拾ってキャップを外した。ペン先を彼に向けると、突き刺される想像をしたのか、頬を引き攣らせ顔を背けた。私は彼を虐めるのをやめて、紙の上に、彼があの時口走った言葉を書き写す。不憫なミケル。


「ハッキングの手段の話から、一度離れましょう」


 ミケルの瞳が初めて部屋の角の方に傾いた。


「不憫なミケル。なぜ彼は不憫なの?」


「......」


「彼を殺した理由だけれど、ただの情動じゃないでしょう?」


「......」


「私が代わりに言おうかしら。あなたはミケルのことを、暴徒化のトリガーとして認識していたはず。どうやってそれを知ったのかしら?」


「トリガー?」


「そう。それで、あなた技能総局でも同じことをしようとしたわよね。実は破壊されたあなたの記憶装置、検死官が復元を試みている最中なのだけれど......」


「違う、トリガーじゃない」


 エドメは何故か憤りを抑えるようにしてふっと呟いた。部屋を嫌な沈黙が満たす。


「理由はない。ミケルは正しい標的ではなかった」


 彼から与えられた予想外の証言に、私は唾を飲み込んだ。ただ、エドメから発せられた言葉はそれだけだった。それが何を意味するのか、私はいくつかの質問を続けたが、エドメの口は先ほどまでよりもさらに硬く閉ざされてしまっていた。


「標的......」


 私が頭の中で描いていたパズルが崩壊した。倒れなかったパーツを支えていたのは、ロビンが一度だけ口にした一つの可能性だった。暴動にカムフラージュされた事件は、殺人かもしれない。暴動の頻度に対して、死亡事例は一件のみ。ロビンですら真っ先にその可能性を否定したが、今エドメが言ったことを理解しようとすれば、それが答えであるようだった。私は平静を装ってエドメに続きを促そうとした。しかし彼は瞼を閉じて、もう2度と口を開きそうになかった。


「正しい標的がいるのね」


 通信機越しに、ロビンの声が騒がしくなる。


「博士」


「なら、流出した情報は......」


「博士。出てきてくれ」


 私の質問を遮って、ロビンが退室を提案した。私は言われるがまま立ち上がって、目を瞑ったまま動かないエドメを背に記録室へと戻った。


「博士、不味いことがある。もしも煽動、情報漏洩、この二つの事件がどちらも殺人という最終目的に付随する予備的な犯行だったならば、その目的はいつ果たされてもおかしくない」


 ドアが閉まりきらないうちに、ロビンが激しい手振りと共に駆け寄ってきた。その後ろで、ピカが束になったフィルムから何かを探している。


「実はピカが最近忠告してくれていたんだが。流出した情報の利用目的も探るべきだと。何故なら」


「なぜなら、ラフカが技能総局でエドメを捕まえてから、暴徒化したデモ隊は一つもないの。暴動は全てエドメが引き起こしたんだって言えるならいいんだけど。ほかに共犯者がいるのは確実だし」


 ピカが手渡してきたマップには、技能総局やCMF本社周辺で1週間以内に抗議集会が開かれたことを示すピンが無数に立てられていた。そのどれをとっても暴徒化していないというのは、確かにこれまでの傾向からすると異常だった。


「暴動が無くなったのは、エドメを捕まえたからじゃない。あの日以降、暴動に隠れて情報を盗み取る必要も、カムフラージュとして暴動を起こす理由も、全部無くなるはずだったからじゃないかって思うの。技能総局で、誰かが死ぬはずだった。ラフカが邪魔したけど」


「もうすでに、正しい標的を見つけたってことですか?」


 ピカが頷いて別の資料を広げ始めた。私の横からシャニーアが覗き込む。


「これも見てほしい。ミケルが撃たれた暴動で、エドメからPEGへの転写要請はなかった。ミケルを殺してから、彼が標的の要件を満たしていないことに気がついて、暴動を使った殺人と同時進行でハッキングを行う必要性が生まれたとしたら?」


「確かに、流出した情報を統合すれば、個人の移動経路や政治選好なら簡単に導き出すことができますね。それに、殺害対象の属性調査は勿論、殺害の計画を立てることもできそうです」


「だが、その正しい標的が誰であるかが問題だ。殺人の対象を知るためのハッキングが必要だったとすれば、動機から推測するのは無理だぞ」


「会議場にいた人物か、周辺のデモ隊の構成員か。前者だとしても多すぎるわ。経済界の権威が一堂に会していたのよ」


 再び行き詰まったかのように思われた、その時だった。


「あと30時間」


 エドメの小さな声がマイク越しに割って入った。振り返ると、ハーフミラー越しに彼の奥まった暗い目が私たちを見つめていた。


「聞こえてる?」


「そんなわけ」


 ロビンがマイクを通して問いただす。


「何がだ。何か知ってることがあるなら言え」


「30時間後です。そのときまで匿ってください。そうすれば私が知っていることを全て話しましょう」


「なら今言え。あと数分で警察が来るぞ」


「......」


「今言え!」


 エドメはそれっきり私たちに背を向けてしまった。ロビンが足音を立てて私の横を通り過ぎ、ドアに手をかざす。そのとき、ピカが何かを思い出したように呟いた。


「ヒルベルトホテル」


「どうしたの、ピカ?」


「ペグ、明日13時の護衛部門の配置情報を」


--全隊未配置です。同時刻の警備計画案を表示しますか?--


 護衛部門の事務室から送信されてきたマップが記録室のモニター上に浮かび上がった。ピカが2本の指を広げてある場所を拡大した。モニターに映るそれを見て、全員が言葉を失った。そこにはクラシックコンサートのホールを簡略化した扇状の立体地図に重ねて、こう書かれていた。技能総局および司法総局による緊急調査報告会。


 警備対象、セイフー・ケベデ。

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