第12話 手がかりと口封じ

「じゃあ、そのミケルって男が主観経験への干渉の方法を探る手がかりだと?」


「ええ。証拠は手帳だけじゃない。人事課を当たっても、彼は扶養控除の適用がされていないと申し立てていた。ただ不自然な点も多いわ」


 ロビンはクラフトボックスに並々と注がれたマンゴーカレーを掬う手を止めて、手帳を受け取った。私の席でも同じ品が湯気を立てていたが、想像よりも辛そうな粉が浮かんでいるのを見て手をつけられずにいた。


「分からんな、家族の記憶が暴動の発端に......?」


「家族観は人間の行動原理を形成する。たとえば組織的な犯行なら、特定の誰かに対する強力な帰属意識を植え付けることができるわ」


「なるほど、分からん」


 ロビンはページを一枚一枚めくりながら私を見て言った。


「食べないのか? 刺激は発想の素だぞ」


 私は薄暗いカウンターの1番端にいたドローンを呼んでココナッツミルクを足そうとしたが、その値段を見てやめた。ロビンが天然にこだわるタイプだったとは。カレーが冷めるのを待ちながら、私は水を注文して話を続けた。


「博物館の職員は月毎のセラピーと人格検査が義務付けられていた。家族がいたと思い込んでいたミケルについて何の報告もなかったということは......」


「干渉されたとすれば、最後の検査からそいつが死ぬまでの間か」


「そこがおかしいの。干渉の手段に家族の記憶を選んだこと。具体的すぎるし、僅か一月で植え付ける経験にしては現実との乖離が激しい。第三者の経験から抽出した精緻なモデルが必要なうえ、仮に干渉に成功してもすぐにボロが出るはずよ」


「ボロとは?」


「第一に、記憶装置が知覚と行動を統合できなくなる。家族3人分の料理をして、実際に食べたのは1人分のマンゴーカレーだった、なんて日が続くようなものよ。ハッカーは外部記憶装置とミケルを切り離したうえ、常に干渉し続けなければならない」


「可能ではあるな。主観に直接干渉できる奴なら、遠慮の必要はないだろ」


「それだけじゃない。犯人はミケルに過去を与える必要がある。ここで一つ、FWで統合された経験は全て現実の現在に起こる」


「つまり?」


「つまり純粋なデータとしての記憶を与えた時、現在に統合された経験でない以上それは必ず痕跡を残すはずなの。格闘技の訓練プログラムをインストールしたことは?」


「ああ、諜報部の人間は必ず」


「あれはモデルの脳で実際に刈り込まれたシナプスのコピーを、同じ時間をかけて再現するものでしょ。この場合も同じ。過去は脳活動の物理的な傷として残る」


「おいおい、だったら例えカオ博士の供述が無かったとしても、検死で装置を解剖するときに何かしら分かるもんじゃないのか?」


 ロビンが怪訝な顔をしながら、手帳の裏表紙に貼り付けられたカレンダーを開いて私に返してきた。全てのマスに書き込まれた仕事終わりの時間、息子の診療日。余白から引かれた矢印の先には、外食の場所が書かれている。それは第一の暴動の二週間後だった。ページを戻すと、あった。人格診断よりも一月以上前に、初等アカデミーの終了時刻と、帰宅時刻を修正するバツ印。ミケルのアパートは第一層文化地区の近郊、古典的な生活風習の残る地区だ。家族がいると思い込んでいる人物が書いたとすれば確かにごく自然なメモだったが、問題なのはそれが書き込まれているのが、彼が家族がいると認識するよりも以前の日付であることだった。


「例外はある。例えばその記憶が、思い出す、という作為の積み重ねで埋め込まれたものなら、それは現在で改竄された過去ということになる。でも日常でこんなに鮮明な記憶を思い出す必要があるかしら」

 

「ミケルの記憶装置をもう一度解剖する必要があるな。死人を再調査するとなると、司法部門の文書係か......」


「ジュラから司法部門を巻き込むなと言われているわ。ここはケベデに頼みましょう。CMFには手付かずのマスデータが残されてる。上手くいけば家族の記憶のモデルも出てくるかも」


 私がケベデにメッセージを送ろうと指を動かしていると、ロビンは、冷めるぞと言ってそれを妨げた。仕方なく、なんだか埃臭いナンを豪快にちぎって一口に飲み込んだ。彼は満足そうに頷くと、汗をかきながら黙々とスプーンを動かし始めた。


 カレー屋なのに青いネオン看板が入り口を隠している、程よい清潔感を保った店内を見渡す。客はカウンター席に3名ほど。彼だけでなく、諜報部の人間の行きつけのチェーンらしい。無口なドローンと人を寄せ付けない蒸し暑い店内は確かにこういった会話には適している気がする。辛さで煮詰まった頭を発散させるという発想も理にかなっている気がする。ただ私が辛いものが苦手だということを彼が知らなかっただけだ。ロビンの手は少しの間も止まることはなかったが、私は私の頭の中を整理するために、彼に一方的に語りかけ続けた。


「それから、ミケルの件と今までの情報を合わせて、分かったことがあるの」


「......なんだ」


「不思議に思わない? 単に暴動を起こしたかったのなら、デモ参加者のFWを制限さえすればよかったはず。煽動犯はそれでも敢えて、その日デモ隊の側を通る予定のあったミケルに家族の記憶を植え付けた」


 ロビンが顔を上げた。ぬるい水を飲んで考えるふりをし、適当に返事をする。


「だが例の暴動の更生該当者は多い。単にはじめての干渉だったから慎重になっただけじゃないのか?」


「その可能性はあるわ。でもそのせいでミケルは干渉の証拠を残してしまった。もしかすると捜査の目が薄くなる1人目で、家族の経験を植え付けることができるかどうか、どうしても確かめる必要があったのかもしれない」


 なるほどな、と口にものが入ったままロビンは相槌を打つ。


「それに、本当にこれが初めての干渉だったかどうか分からないじゃない。似た事件があったでしょ?」


「......ああ、回帰派の」


「暴動じゃなくて」


「じゃあなんだ?」


「レーダー号、そして保安局の情報漏洩事件」


 ロビンが咽せた。ホログラムで可愛らしい皮を被ったドローンが駆け寄り、質素なカウンターテーブルを拭う。彼は私を睨みつけているが、私は気にせず続けた。


「この2件、宇宙人という仮想のハッカーが登場する」


「宇宙人だと。俺も情報総局で聞いたが、ありゃ都市伝説だ。博士ともあろう人が口にしていいもんじゃねえ」


「あら知ってたのね。なら考えて。宇宙人の犯行と、ミケルに対する干渉は恐ろしいほど類似しているわ。FWを使ったソーシャルエンジニアリングという、かなり回りくどい方法という点で。これらが同一犯でなかったとしても、きっと煽動犯の目的は、不満を持つ人々に暴動の機会を与えることじゃない。少なくともミケルに対する干渉は支配の性質を持っていた。暴動の起こし方をコントロールするために、その手順は必要なことだった」


 ロビンは何か反論を返そうとスプーンを指先で回しながら呻き声を上げた。私は彼の意見を待ちながら、頭の隅で別のアプローチを検討していた。恐る恐るナンの先をスープの白い部分に浸して口に運ぶ。すぐに、辛さだけではなく、混ざりきっていない香料や油の感覚が私には向いていないと悟った。ナンの残りを指で口に押し込んでから、思いついたことを口にしてみる。ロビンの眉間の皺がどんどん深くなっていく。


「その証拠に、彼につづく逮捕者は誰ひとり、干渉があったと推理可能な証言を残していない。もちろん、彼の後の更生プログラム該当者は全員健在よ」


 何かが直感に引っかかって私は言葉を繰り返した。


「そう。更生該当者は複数。この1年のあいだの暴動では、彼の後に死者は出ていない......」


 私たちは保安局の作成した既存の捜査資料をもとに情報を整理してきた。更生プログラムに該当していなかったミケルを見落としていたのはそのせいだ。他に見落としはないか。暴動の被害者あるいは加害者で、FWの理性制御を克服した市民のうち、保安局の取り調べを免れた人物はいないだろうか。いや、理性制御を克服したかどうかで絞ることすら妥当かどうか。いけない、と私は頭を抱えた。被疑者の数が多すぎる。そのとき、ロビンが隣で一言呟いた。


「まあただ煽動犯にとって、彼が証言するとまずかったんだろうな」


「......ロビン!」


 私は顔から一気に血の気が引いていくのを感じた。ロビンは椅子を倒して勢いよく立ち上がった私を、はじめは呆然と見上げていた。しかし次第に彼の拳に力が入り、すぐにその瞳は鋭く青く燃え上がった。


「彼を撃った警備員か!」


 ペグを呼び出す。すぐさま輸送車が店先の橋の下に停まり、保安局3課本部へと音声通信が繋がった。


「こちら5課。すぐにPEG2nlに文化地区機動隊の配置情報を同期して」


--同期完了しました、博士--


「地区警備小隊長エドメ警部補を検索」


--第1層 - セクター3 - 4 - 技能総局研究推進本部、エドメ警部補は本日対テロ課へ応援派遣されています--


「やったな」


「ペグ、拳銃識別番号10816を検索」


--不能なコマンドです。最終確認座標を表示します--


「まじかよ」


「了解。エドメ警部補に煽動犯による経験改竄の恐れあり。1課に捜査協力要請。それから現着までに博物館職員に対する3課の警護を要請して」

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