第7話 助言者
「何事だ?」
「分からん。お前は下の監視を続けろ」
先ほどまでコンシェルジュの少年しかいなかった筈の廊下を、誰かが忙しなくブーツの底を鳴らしながら歩く音に混ざって、社長室の前にとどまる小規模な集団があった。
「ミスター・ケベデ、中にいるのですか?」
くぐもった男の声が聞こえたと同時に扉がハーフミラーに早変わりし、私の目の前に10人ほどの人影が現れた。彼らの表情ははっきりとは見えないが、壁をなぞったり通気口を指さしたりしながら、こちらの様子を窺っている。このような仕掛け扉は私には馴染みのある物だったが、確かに実験室や更生施設など特殊な監視システムが必要とされる建築物に縁がないとお目にかかるのは難しい。
彼らの半分は黒い服に身を包み、半分は何やら四角い鞄を抱えてしゃがみこんでいた。識別子は読み取れないが、その胸元には青色の土星のような形をした徽章が縫い付けられているのが分かる。壁から距離をとってケベデの顔色を確認すると、彼はゆっくりと首を横に振る。
「おそらく、同僚です」
私の後ろに隠れるよう身振りで伝えようとすると、彼はそのまま落ち着いた様子で応えた。
「私は5課以外に立入許可を出していないですよ」
「あなたの警備員が通すでしょうか」
「さあ、彼らは完全な独立組織ですから。政府からも、私からも」
「ペグ?」
--申し訳ありません。この建物の監視システムは私の管轄外です。連絡部に応援を要請しますか?--
「分かったわ。それよりもロビンとつないで頂戴」
--了解しました--
壁に張り付くように立っていた男が半歩後ろに下がった。先ほどまでよりもさらに激しい、手のひらで叩くようなノックが響く。部屋の奥で標本箱が共鳴する。小さな子供が駆けていくような音がした。
「誰かいるでしょう、保安局護衛部門です。開けていただけませんか」
私も声を張り上げた。
「同じく5課のラフカだ。身分を証明しろ」
「やはり、5課です」
「どけ......開けろ、3課長ウバラだ。ケベデ氏の護衛は我々が引き継ぐ」
「こちらはそのような通達を受けていない」
「お前らは時間をかけすぎた。上から直接許可を得ている」
「誰の?」
「局長経由で、ジュラ・ホーン委員からだ」
「......3歩下がって武器を置け」
しゃがんでいた複数の人影が立ち上がり少し背が低くなる。立っていた者も両脇に移動し、半透明の入口に映し出されていた威圧的なシルエットはひとまず消え去った。彼らの動きが止まるのを待ってからケベデに合図を送ると、壁に細身の人間であればぎりぎり通れるくらいの隙間が空いた。次の瞬間、それを押し開けるように、グローブに覆われた私の数倍はあるであろう手が何本も突き出してくる。それに反応した私の自衛モジュールが閃光と共に展開して、私が相手を制止しようと思うよりも早くに、真正面に現れた相手の首の付け根に小さな銃口を突き付けた。
一同がその場で静止した。扉はそれ以上開くことはなかった。ケベデは壁沿いに張り付き死角に隠れている。ウバラと名乗ったであろう男が、ヘルムとゴーグルで顔を覆い、鞄の形にカモフラージュされた拘束銃を私に向けている。その指は既に引き金を引いていたが、私の意識は依然明瞭なままだった。私の自衛モジュールも、相手の襟に着いた識別子を読み取って安全装置が作動している。私は内心胸を撫で下ろしながら、ゆっくりと左腕を反対の手で押さえて銃口を下げた。ウバラもなにやらスライド式の機構を動かして、拘束銃をありきたりな革鞄の形に戻した。しかしその周りの隊員は数メートル離れたところで半円状に立ち並び、まだ警戒体制を維持していた。私は頭ひとつ分高いところに構えるひどく無機質な頭部から決して目を逸らさないようにして、幾つか確認した。
「2分無駄にした」
「念の為よ、ウバラ班長。先ほどの発砲音は?」
「撃ったのはここの警備員だ」
「誰が撃たれた?」
「確認する......空砲だったそうだ。今デモ隊が政府主導の捜査に反対して本社を包囲している。多分それだろう」
「早すぎるわね。2層の警備隊は何をしているのかしら」
「検問はまだ機能している。今のところ構成しているのはここの従業員だ。ミスター・ケベデ、あんた厄介な信者を相当抱え込んでいるようだな」
「恐ろしいことですな、まったく」
ケベデはいつの間にか背筋を伸ばし、その霞んだ瞳からは先ほどまでの胡散臭い視点の移動が無くなっていた。老いのせいで何も分からないというような人をイラつかせる顔をして、無駄口を叩きながら、しかし私の背後に隠れるように輪に加わる。
「会見は中止だ。あんたを保護し、安全が確保され次第技能総局の研究推進本部まで送り届ける」
「ちょっと、勝手に話を進めないで」
「ここに次世代ハッカーなんていないだろ。お前らの管轄はなんだ?」
「3課こそ、デモ隊に包囲されるような失態をどう釈明するの?」
「なにも動員をかけられたのは首都護衛部門だけじゃない。今は対テロ部門が2層警備隊の指揮をとっている」
「あらら、お互い様だったのね。でも、ご存知ないかもだけれど、5課は保安局の玉突きには巻き込まれないわ」
「でしゃばるな。じき技能総局の調査班の待機命令が解かれる。事態が悪化する前に弱小部門はさっさと撤退しろ」
あまりの言い草に、目の前の顔の見えない男に再び左腕を突き付けてやりたい衝動が高まるが、それはFWシステムに抑制されることもなく、ケベデの投げやりな仲裁によって生じた新たな苛立ちによって何事もなく相殺された。
「彼に従いましょう。ラフカ博士、私たちはもう十分に話すことができたと思いますよ」
「散々訳の分からないことを言ったあなたがそれを? 私はまだ聞きたいことが」
「また訪ねてください。言ったでしょう、私は貴女の真の友であり続けると」
ウバラが腕時計のついていない手首を叩くと、彼の部下が肘で雑に私を追い出す。3課の大男たちに肩を押されるようにして社長室の中へと引き戻されたケベデは、一度は素直にそれに従ったが、私が呆れてその場を立ち去ろうとすると歩みを止めた。骨と筋、皮だけでできた100歳越えの腕がスーツの中に隠れているとは思えないほど堂々とした動きで彼らの腕を払うと、首から上だけをこちらに向ける。男たちからは見えない角度で、私にはその瞳に白色の炎が宿ったかのように見えた。
「最後に、かつてゾフィーに贈った言葉を貴女にも。少々縁起が悪いことはどうか許してください」
「これは持論ですが。主観というものを外から知るには、自分を他者に投影するしか方法がありません。であれば、貴女のことを見てくれている人がいる、そのことに何かヒントが隠されているかもしれない......少なくとも博士がゾフィーと同じ過ちを犯し、現実の声に耳を閉ざしてしまわないことを、私は願っています」
螺旋階段に足を掛けてすぐに、ケベデの私邸を包む異常な空気に気が付いた。部屋の6面にはめ込まれた水槽から明かりが消えており、石の匂いのする冷えた空気で満ちた柱のない空間が、地球文明時代の創作物に登場する聖堂を思わせる。エントランスを見下ろすと、大通りと中庭の両方から漏れている暖色系の明かりが、ゆらゆらと石タイルに反射している。現地の機動隊員が透明な盾を携え、私の方を見ようともせずに石像のように等間隔で直立している。金属製の階段を一段降りる度に私の足音だけが響く。他の音は何も聞こえない中、私の外部記憶装置ではケベデの最後の言葉が何度も再生されていた。
私たちがこれまで学者の協力を仰いだり、干渉の痕跡の一切ない捜査資料を洗いなおしたりと、証明不可能なゾフィーの理論を理解するため取り組んできたあらゆることは、もしかすると根本から間違っていたのかもしれなかった。たとえ理論が証明不可能でも、FWシステムに干渉したことが客観的に観測できなくても、その存在を確かめる方法がないと直接示されたことは一度もなかったではないか。その方法はまだ分からないが、ケベデが一つのヒントを与えてくれた。そしてもう一つのヒントの在りかも示してくれた。それは今まさにこの瞬間にもこの豪華な私邸の向かい側で私を待っているかもしれなかった。自然と周りの景色の移り変わりが速くなった。
「ペグ、ロビンとはまだ繋がらないの?」
--文書保管室は独自の回線で隔離されているようです。合流するまでここで待つことをお薦めします--
「そう。なら溜まった通知から必要なものだけ教えて」
先ほどから視界の隅を、青い文字列が到底読むことのできない速さで流れていた。素早く3度瞬きをしてそれを非表示状態に設定し、形式的な応答はすべてペグに一任した。現在の視界を維持しながら、橙の半透明な骨組みで現場が再現され、そこに各隊の配置が示された。
--当該地区で展開しているのは1、3、5課のみ。1課が警備隊の指揮を執り、3課が技能総局の立ち入り検査に備えてCEOの身辺警護を行います。5課はケベデ氏の護衛任務から外され、デモ隊内に過去6か月で暴動に参加した市民が潜んでいないか警戒を継続するよう命じられています--
私はデモ隊が集結している中庭の方へ進んだ。エントランスホール内の機動隊員は彼らが作った壁を通り抜けようとすると一度は無言で行く手を阻んだものの、数秒私の目を見つめるとすぐさま合図を出し、中庭の回廊までつながる道が現れた。行先に、こちらを静かに睨みつける人々の群れが確認できた。
--彼らを刺激するようなことはなさらないでください--
「しないわ。それよりも群衆の中に該当者は居るの? そんなの顔を見ればすぐ分かるでしょ?」
--博士のFWチップが微弱な異常を感知しています。安全が確保されていない行動は推奨されません--
「ねえ、あなた本当に諜報部の支援AIなの?」
警備員が空砲を撃ったというから、騒然とした現場を思い描いていたが、本社ビルと連結した空中庭園は異様に静かだった。本社ビルを見上げても明かりが灯る部屋は1つもなく、警備隊の盾に囲まれているデモ隊から怒号が飛んでくるわけでもない。感じるのは保安局の制服を着た私に対する強い嫌悪感と監視の視線だけだった。一方でGUARDというホログラムの投影された輸送車が正面玄関から繋がる煉瓦のトンネルの中で立ち往生しているのが見えた。衝突する限界まで接近した時、護衛部門と群衆お互いの理性が制御されたのだろう。確かにペグの言う通り、この緊張しきった沈黙をこちらから破ってしまうような行為は、絶対に避けなければならない。
急ぎ足で中庭の回廊をぐるりと回り、対テロ部門が高層から照射しているのであろう、白い光線に色を奪われていない空間にたどり着く。振り返ってケベデの私邸を見上げるが、外からは何も見えない仕組みになっていた。向こうからはこちらの動きが確認できるのだろうか。歩いてきた過程で確認できた中央政府の人間は、花壇に腰掛けてモニターを展開している所属不明の制服組だけだった。しかし3課の制服を着た私がこれだけうろついていて彼らが手出しをしてこないということは、まだ本庁も動向を注視している段階だということだろう。ジュラ・ホーンが私とケベデとの交渉展開についてどこまで予見していたのかは分からないが、うまい采配だ。話が長引いたせいで限られた時間しかないが、今なら情報省の肩書を使って何をしてもかまわないというわけだ。
--申し訳ありません。デモ隊はウバラの報告通り、CMFグループの従業員で構成された平和的な群衆です--
「そう、ありがとう」
--すみません博士、どこへ向かっているのですか--
「ちょっと探し物よ」
--CMFに対する捜査は事前の許可が必要です--
「それならさっき頂いたわ」
--しかし、委員からの指令はあくまでデモ隊の監視です--
「政治家の言葉遣いが理解できない旧式は、黙ってデモ参加者の公開経歴でも解析していて頂戴」
--......了解しました--
本社ビルのエントランスホールにつながる連絡橋を封鎖していたのはケベデが雇ったという民間警備会社の男二人だった。予想していた通り、彼らは何も言わずに扉を開けて中に入るよう促してきた。背後ですぐに鍵がかけられる。空調の止まった、生ぬるい薬品臭のする風が私の周りで停滞した。目の前には全く同じ形をしたゲートが均等に並んだ環状の通路が横に伸びていた。そしてそれを見てすぐに、先ほどペグにくだらない命令をしたことを後悔した。
「ごめんなさいペグ。やっぱり道案内をお願いしてもいいかしら。ゾフィーが働いていた研究室に行くにはどっちに進めばいい?」
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