O5 

松けびん

第一部 アンチオカルト課の追跡

第0話 帰ってきた幽霊船


 ――レーダーⅢの機体が引き上げられた。急ぎペイル基地に調査隊の派遣を求める――


 突然の報告を受けて、夜明け前、防護服のせいで何度も閉じかける瞼を擦ることもできないまま高度10メートルを時速120キロで飛んだ。通信が可能なうちにと基地から一度に送信されてくる同型機に関する諸データに、外部記憶装置が低く唸り脳を揺らしている。


 5年も行方不明だった幽霊船は完璧な姿だった。霧に覆われ真っ暗な機内を、骨組みを映したホログラムの淡い緑が照らす。暫くして、機長が指差した方向にそれらしき警告灯が確認できた。機首と翼端の朧げな光にホログラムを重なるように見ると、その座標は驚くほど完全に一致した。


 引き揚げ船のクレーンに覆われた流線形のシルエットから数メートル離れた海面に投げ落とされるように降ろされた今も、脳のノイズは断続的に続いていた。レーダーの墜落という忘れかけていた過去をトリガーに、自分の脳が何か大切なことを思い出させようとしている気がした。


 「気をつけろ!誰かいるぞ」


 目の前の靄をかき分け迫る衝突防止灯を見逃していた。私の視界は一瞬にして大量の警告表示で橙に染まり、ワイヤーに吊るされた巨大なロケットエンジンが頭上を掠めて通り過ぎていった。


 「まだそこにいたのか。今ので気付いたよ」


 私が波に足を取られながら、レーダーⅢ号の耐熱シールドによりかかかって手探りで梯子を探していると、迎えに来ていたファビアンの馬鹿にしたような声が無線から聞こえて来た。私は胴体と繋がったヘルメットの中でもぞもぞと上を向く。


 あたり一面少しずつ黄ばんで来てはいるものの、濃霧のせいでやはり彼の姿は見えなかった。その時、微かな起動音と共にライトで照らされた世界がセピアに染まった。視界の隅に映る時計の針はセレスト時間午前2時を指している。船外の日の出まであと数分もない。上空を旋回していた軽輸送機の羽音もとっくに聞こえない。とうとう腰元まで迫って来た灰色の海に私は焦りを隠せないでいた。


 「早く手伝ってくれ。久しぶりの防護服で動きづらい」


 「まったく。俺より若いくせに」


 翼上での重たい足音がシリカセラミックを伝って手元で数回響く。次の瞬間、枯れたススキの色に染まった酸のカーテンを背にして、虫の目の色をした半球が見下ろしてきた。それが指さす方に進むとなんとか足を掛けられそうな窪みを見つけ出すことに成功した。いつもよりも2センチほど太くなった指で手摺を掴むことは早々に諦め、無言で彼の方に腕を掲げる。


「5年ぶりだな、ジュラ・ホーン技監。すまなかった、バスキュラー社の連中は仕事が雑でな」


「いやいい、さっきのはこちらの不注意だファビアン」


「それは珍しいな。急な出世に体が追いついていないんじゃないか?」


「そうかもしれん。今朝から外部記憶装置のノイズが煩くてな」


「まさか、君まで幽霊を信じるとか言い出さないでくれよ」


 気になる言葉が飛び出したが、あえて気が付かないふりをして話を進めた。彼がオカルト話を始めれば最後、それがいかに科学的にあり得ないかの説明が小1時間続く。彼はつまらなさそうにふらふらと周りを歩き出した。


「それで、基地にあった中では最速の輸送機で飛んできたわけだが、どうやら検分には間に合わなかったみたいだな」


「いや、補助ロケットを取り外しただけだ。それ以外はまだ好きに見ることができる。太陽が昇ってるうちは外では何もできんからな。一通り説明が終わったら少し話をしたい。まったく、こんなおかしな現場は初めてだよ」

 

 ファビアンは慣れた手つきで、甲板でへばっていた私の腰に安全ベルトを装着させると、ヘルム越しの無邪気で瘦せこけた顔を皺だらけにしてバインダーを差し出した。私はそれを受け取り、機体の反対側でホバーを吊り上げている海上警備隊を一瞥し、放射線量や外気温などを示す整然と並んだ計器に目を通して呼吸を整えると、何よりも先に聞かなければならない1つの質問を冷静に口にした。


「レーダーが消息を絶った時からほとんどの委員がクルーによる叛乱を疑っていた。その場合調査の主導が内務省に移るが、なにか証拠は見つかったか?」


「いいや。ただクルーと限定をしなければ、調査が進むにつれその可能性は高まる一方だよ。ブラックボックスはおそらく初めから持ち出されていたし、航行プログラム内の座標にずれが生じていた。ただ後者については、コクピットに手計算で修正をした形跡があった。機体は数年間海底にあったせいで腐食が進んではいるが、外装に関してはソリが抉れている以外飛行可能なレベルだったから......」


「補助ロケット次第だが、機械不調以外の理由による不時着の可能性が高いか。それで、クルーの外部記憶装置についてもまだ誰も見つけていないんだな」


「まったくその通りだ。だから、記憶装置が見つかるまではなんとも。今のところは、争ったような形跡はない」


 ペイル基地にレーダーⅢ発見の知らせが届いたとき、内務省の連中が全く急ぐ素振りを見せなかった理由がこれでやっと分かった。情報省本庁に指示されるがまま、興奮のあまり情報確認を怠った自分を呪い、大きなため息をつく。そして翼の付け根にあるハッチに向かって歩きながら、この事故現場における最大の謎に触れることにした。


「墜落した後、乗員がここを放棄した理由は分からんのか。食料や酸素、エアコンは?……原子炉は腐ってないだろうな」


「ああ、まったく。ハッチ以外からの浸水はみられなかったし、わざわざ外に出るメリットは1つもない」


「機体と同期された記憶は?」


「電源喪失で保全されていなかった。ただ、その代わりと言ってはなんだが、今ちょうどある人物の記憶装置を解剖しているところだ。会わせてやろう。そいつ、乗員が消えた理由について面白い説を主張していてな」


 私がよく分からないと言った顔をしているのを見て、ファビアンは嬉しそうに説明を続けた。普段科学的根拠の有無に異常なほどこだわる彼にしては、意外な態度と発言だった。


「少し話を戻すが、海上警備隊がどうやってこいつを見つけたかはもう聞いたか?」


「いや、なにも」


「そうか……いや、奴らの言い分を完全に信じているわけではないと先に断っておくが。いわく、レーダーの通信員からの三度に渡る混信があったらしい。2回目以降は着水地点の正確な座標付きで」


 彼は私の反応を確かめるように、真剣な面持ちで暫く黙り込んだ。私は言葉を選びながら、機体に取り付けられた足場や調査隊の指揮所、波間に浮かぶフロートへと視線を移した。


 可変翼と着陸用のソリを備え、全長58メートルに及ぶ探査機レーダーは、大気圏内ではリフターで飛行する。しかし重力脱出用の補助ロケットと帆さえ取り付ければ単機で半天文単位を往復可能な、れっきとした中距離宇宙船だ。こうした性能を見込まれて、5年前レーダーⅢは第11次パリダ系有人探査作戦の司令部を載せてセレストを旅立った。そして補助ロケット点火のカウントダウン開始と同時に随伴機もろとも消息を絶った。その1年後には式典令に基づく乗員20名の大規模葬が行われており、私も参列した。


 実はレーダーⅢは星間航行の任務を果たしていて、今更帰還したなんていう筋書きは、どう考えてもあり得なかった。本当にそうだとしたら、海上警備隊にとっては5年間もの間機体の残骸を発見できなかったことの良い言い訳にはなるが、それにしても補助ロケットを載せたまま星間航行を行うなんて!


 私は笑い出したい気持ちを堪えて、なんとか真面目な質問を捻り出した。


「ファビアン、この機体が一瞬でも宇宙に到達したように見えるか?」


「いいや」


「私もそう思う。だいたい、その通信員は機内に残っていても良さそうなもんじゃないか」


「その通りだ」


「そしておそらく、その証言はレーダー発見後にされたんだろう?」


「いや、それは違う」


 ぶっきらぼうだった彼の返答に突然熱がこもった。全く予想していなかった言葉に私は思わず口ごもり、話の主導権を譲らずにはいられなかった。


「航路変針を要請した段階で、ほかの乗組員に共有されていた」


「確かに」


「そして、傍受した信号の発信源は確かにレーダーだった」


「なら声紋は、確認したのか?」


「いや。音声や映像通信ではなく、船名と所属を繰り返す個人デバイスからの誘導用電波だった。それはまだ見つかっていないから、今日の夜にもう一度浅瀬を浚うつもりだ」


「なら、そいつが聞いたのはただのノイズや幻聴なのか」


「ああ、今のところはな。警備隊の記録も当たったが、この類の報告は太陽の斑点によるノイズとして処理してるらしい。俺の正気を疑われたよ。まあ当然だな」


 そこまで言って、ファビアンは立ち止まり私の方に振り返った。


「しかし、言い換えれば、そうした報告は以前からあったということだ」

 



 気づけば私たちは開きっぱなしになったエアロックの目の前まで辿り着いていた。円形の縁は錆びと結晶化した謎の金属で覆われており、淡く青白い朝日に照らされて薄暗い輝きを放っている。私たちは開きっぱなしの狭い穴を体を捻りながら通り抜けた。


 入った先はいきなりビニールに覆われた配管やむき出しになった無数のコードが絡まり合っており、腕一本動かすたびに現場を変えてしまわないよう細心の注意を払う必要があった。


 「大切なことを聞き忘れていた。レーダーの通信員は、そいつの脳内でなんて言ったんだ?」


「直接聞くといい。俺が着いたときは、声を聴いたら最後幽霊にさらわれるんだとかなんとか泣き喚いていたが、今は落ち着いているはずだ」


 外部記憶装置は、脳に伝達されたデータから個人が知り得た全ての情報を組み上げ、統一された意識を大まかに再現することを可能にした技術だ。視覚と聴覚以外の情報は、読み取り方の分からない複雑なグラフになって画面上で波を描いている。隣のコンピュータでは、比較のための他の巡視船乗員の記憶情報がシミュレーションされている。


 重そうなゴーグルで両目を覆った部下たちが、記憶の保全や統合で生じた、現実のデータとのミリ秒単位の誤差を修正していた。積み上げられた古典コンピュータに半身埋もれて、彼らの脳は焼けそうな音を立てていた。


「まだなのか」


「無茶言わないでください。この仕事をしていて、幻聴を拾えなんて初めて言われましたよ。なにがその要因なのか、いつから再現すればいいのか、まったく分からないんですから」


 ファビアンが横から付け加えた。


「幻聴とはつまり、本人にしか観測不能な主観的経験だからな。それが無意識に経験したものなら、それが実際に起こった正確な時刻など誰にもわからない、ということだ」


 実際にレーダーが発見されたのだから、何かしら観測可能な物理的痕跡は残っている筈だ。しかし幻聴と同じ音声そのものが見つかるかどうかは分からない。狭い通信室は静寂に包まれ、後ろから押される力が強まるのを感じた。


「レーダーの信号まで10秒」


「来たぞ」


 最初は通信機やヘルム内のエアコンの雑音と同じような渇いた感じが続く。そして次第に風切り音や、高度計の警報音のような甲高いものが紛れ込んでくる。それを耐えて3秒もすれば、まるで街中で人数を増していくデモ隊の様子を古いラジオ越しに聴いているかのような、確かに人間の声であることが判別できるくらいのさざめきを捉えることができる。しかしそれが何を言おうとしているのか聞き取ろうと耳を澄ますと、お前に言っているのではないと言わんばかりに、ふいと消えてしまう。そしてしばらく続いた無音の後、視覚情報に信号傍受のランプが点灯するかしないかのタイミングで、通信員が応答する鈍く響いた音声が入った。私はこの音が嫌いだった。言葉の意味を捉えようと耳を澄ますほどその記録としての不明瞭さが際立ち、頭の奥をむず痒くさせる。


 ただ、今回は違った。


「レーダースリー、こちらセレスト海上警備局、了解した」


 相変わらず方向の定まらない音だったが、それが発せられた瞬間、私を含む技官たちは一斉に息を呑んだ。通信の内容などどうでもよかった。音はグリーンライトの点灯から半秒も経たずに発せられた。つまり彼が緊急性の高い混信を認識して、それに応答しようとしたのは、受信機が信号をとらえたその数ミリ秒前だったのだ。それからしばらく、レーダーの識別番号を照会したり、周囲を航行している巡視船にリレーを行ったりする音声と共に、輪郭なく揺らめく視界の隅で巡視船の乗員たちが騒めきだす映像が続いた。通信員によれば、「セレストへ、問題発生」という短い通信と、メーデー呼び出しに続く救難要請、その繰り返しが続いたという。


 結局5回ほど検証を繰り返し、その度に通信員は必死の形相でより詳細な経験を補足したが、ファンが騒音を立てているコンピュータ含む全員が、違和感や他の乗員が捉えた以外の情報を見つけだすことができず、そして誰1人その通信を聞くこともなかった。5度目、誰かがセレストの本部に斑点の観測結果を転送するよう命令したのをきっかけに、各々好き勝手な仮説を並べ立て始めた。


 私とファビアンだけが、ただ無言で、垂れ流された画面を見つめていた。説明のつかない出来事を目の前にして酔ったような感覚でいると、誰かが命じたのであろう、視界の隅に衛星から恒星の活動データを受信したことを知らせるメッセージが表示された。その時だった。


 ―みえるかしら、オーロラがきれい―


 女の声がした。通信機越しの乾いた感じがしたが、記憶装置が出力するような濁ったものではなかった。そして私への方向を持って語りかけてきた、聞き間違いでもなんでもない明確なものだった。冷静な脳は理解よりも前にすぐにその異常さを認識した。背中を冷たい粘性のものがゆっくりと這っていく。手袋の指先に汗が溜まって気持ちが悪い。恐怖と、高揚感を声に出したいのを堪えて、ぱっとファビアンの方を見る。ひたすら一点を見つめる彼は何か悩んでいるようで、今の声が聞こえていたのかそうでないのか、いまいち分からない表情をしていた。ただ、その後ろにいる連中に聞こえていなかったことは、そのイライラを隠せていない態度から明らかだった。驚くことに、例の通信員もまた、自身の経験が実際のものだったことを証明しようと躍起になっていた。


「信じてくれ。確かに俺はレーダーと交信したんだ!艦長に伝えた座標は正確なものだっただろう。レーダーの記憶装置が生きていたら……!認めてくれよ、じゃないと俺は幽霊と話したことになってしまう!それともやっぱりあれか、宇宙人が脳内に直接話しかけてきたのか。ああ、それなら全部説明がつく。レーダーのクルーもきっと奴に連れ去られたんだ!」


 いつのまにか装甲板の壊れたコクピットの窓から船内を燃やしてしまいそうなほどの光線が差し込んでおり、それがアルミに被われた細い通路で反射して通信室までをも照らしていた。耳元で点灯していたライトが消える。


 技師たちは落胆した様子でぞろぞろと部屋を後にした。何かを訴えるように口をパクパクとさせている通信員が本部の職員たちに引きずられていく。それにファビアンがついていかないよう、私は彼の腕をしっかりと掴み、焦りつつ、先ほどの声をいかに伝えようかと声にならない音を何度も言い直していた。ところが、ファビアンはどこにも行くそぶりを見せなかった。そして咳払いをし、ホルスターの中身を太い指で掻き出しながら私だけに対して話を再開した。計算機やカメラ、短いエンピツなどが顔を出す中、なにやら汚い布切れが引っ張り出される。


「彼は宇宙人と言ったが……」


 言いづらそうに、口をもごもごとさせる。


「この不可思議な蒸発事件の捜査をするにあたって、我々には干渉の痕跡すら捉えることのできない第三の存在を前提にすることは、あながち間違いじゃないかもしれないんだよ。政府の想定を超えた技術をもつ次世代のハッカーか、突然空から降って来た侵略者に怒る未知の生命体なのか。この類の話について俺は詳しくないが、幻聴がたまたま発見に繋がっただとかそういう説明よりもシンプルだと思わないか?」

 

 彼は私の手袋のクリップにフィルムを挟んできた。無意識に、今ここで謎の声について話すことは悪手だと思った。手を立てて遮ろうにも、彼の目は私の方を向いていなかった。つるつるとした茶色い素材には、惑星の自転速度や通信衛星との時差などを求める数式の一部が羅列されており、そのなかに式とは異なった筆跡で書き殴られたいくつかの単語と独立した数字があった。コックピットにあったという計算用紙の切れ端のようだった。


「いろいろあるが、ここ、論文と該当ページを示しているようだ」


「......理性拡張技術の応用、か」


「物理心理学者ゾフィー・ケーン博士の名著であり、迷著でもある。ゾフィー心理学はマディソンの法学部では必修だと聞いたが、その反応だとあまり読み込んでいないようだな」


「ああ、彼女か。名前はよく知っているんだがな」


「一度全部読んでみるべきだ。なぜなら、覚えていないか?......研究クルーではなくコクピットクルーとしてだったが、彼女は確かにこのレーダーの搭乗員だった」


 1番大切なことを最後に言う癖は、彼の生まれつきの個性なのだろう。私はなるべく表情を変えないようにして、君なら気づくと思ったのだが、とでも言いたげな彼の細い目を見つめた。


「興味深いな。続けて」


「そうだな。彼女はセレスト唯一の物理心理学の専門家であると同時に、あまり知られていないが、宇宙生物学に影響を及ぼしたある概念の元々の提唱者でもあった。心理学者が宇宙探査というのはなかなかナンセンスな響きをしているが、これならどうだ?」


「その概念とは?」


「君は関心がないことにはとことん無知なんだな。彼女は脳の構造が異なる生命体について、自由意志の存在可能性を検討していた。質問の答えは、その論文にちゃんと載っているよ」


「その分野について、君が詳しすぎるんじゃないか。ただ、ありがとう、調べておくよ」


「最後に、君にこの話をした理由だが、彼女を推薦したのは情報省だ。俺みたいな専門職に分かったのはここまでだが、君なら、当時の委員とも会えるんじゃないか」


 私は自分の使命を自覚させられたかのような激しい興奮に襲われた。そして目の前の老人の衰えるということを知らない仕事の速さと観察力の鋭さに、どこか恐れを感じていた。


「ファビアン、そこまで分かっているなら、やはり諜報部に来てくれると大いに助かるんだが」


 彼は肩をすくめると、それきり何も言わなくなった。


 曇っていた窓を拭くと、朝日に燃やされてゆらゆらとうごめく薄い大気と、流れのはやくなった靄の中で、燃料放出を終えた補助ロケットがゆっくりと海面に降ろされていくのが見えた。


 クルーの裏切りの可能性が消えたわけではない。ファビアンの仮説を信じきった訳でもない。しかしここに見えている景色がただの事故がもたらした結果ではないであろう事は受け入れるしか無かった。旧軍のエースパイロットに加え、理論物理から応用言語学まであらゆる分野で第一線を行っていた頭脳が15人分も揃っていながら、彼らから正常な判断を奪う事態が5年前この探査隊に襲い掛かったのだ。


 胴体着陸を試みる時、誰一人燃料を捨てようとしないなどということが普通あり得るだろうか。


「検分の報告を開始する。機内に残っているものはキューポラに集まれ」


 全員に指令が届く。気づけば、丸窓の向こうに広がる翼からは触れそうなくらいの反射光が放たれていた。目線を少し上にずらすと、縁のない白く巨大な円盤が宇宙を覆い尽くしている。シネマの立体映像で見た時は真っ青に燃える海原を美しい光景だと思ったものだ。

 

 恒星パリダ、その第二惑星グロムスに降り立った三千万人にとっての新たな太陽だ。それは生命の可能性を有する小さな惑星の微かな大気をじわじわと剥ぎ取り、我々の行うあらゆる通信を阻害する。視界に映る全てのもの、隣に立つファビアンの顔でさえも白色にぼやけて行く。二重の遮光ガラスで守られていると脳ではわかっていても、思わず目を細めずにはいられなかった。その暴力的な光は、創造主には違いないが、人類を見守る神というよりも、常に監視を続ける支配者のようだった。


 初めて肉眼で偽の太陽を見て、私にはここが新天地であるとは到底信じられなかった。そして5年前、それを証明しようと未知なる宇宙を目指して旅立った、勇敢な科学者たちの最後のメッセージを見落とすまいと、足下の小さな穴をくぐってキューポラへと飛び降りた。

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