第35話 王都から逃げ出そう

 **************


 早朝。外門前。


 日も昇っていない青ずんだ空の下に、一人の少女の姿があった。


 その背には、大きな荷袋が背負われている。


「……数日分の食料は持った。これで街の外でも、生き残れるはず」


 顔を隠すようにマントを羽織っている彼女は、ぶつぶつと呟く。


 その時、風が吹いたことで顔が露わになってしまう。


「あ……っ」


 露わになったのは、紅い髪をしている少女の姿。


 セリカ・ロードライトである。


「……い、いけないわ。私の正体がバレる所だった」


 ヒヤヒヤした。


 近くに落ちている号外を拾ってみれば、そこに乗っているのは『セリカ・ロードライト』という自分の名前と、そんな自分が王都を救ってくれた英雄と称えられている賞賛の声。


 彼女は今、有名人だった。


 元々有名だった彼女の名は、今回の件でさらに確実なものとなっていた。


 悪い気はしない。


 褒められるのは大好きだ。


 自分は才能がある天才で、先日街を襲撃してきた魔物から王都を救った。


 その自覚もある。


 その件で、王城に招かれ、莫大な報酬と賛美の声を惜しみなく受け取った時は、王やそれに群がる国の重鎮たちがアリのような矮小な存在に見えたものだ。


 特別な自分と、それ以下の一般人。


 この世界は私が中心に回っている。


 そんなことさえ思った。


 ……が、しかし、事件はその後に起きた。


 色々ひと段落し、あの戦いの時に発揮された自分の隠された力を使おうとしたら……使えなかったのだ。


『どうして!? 出てよ! あの時の私の本当の実力、どうして出てきてくれないのッ!』


 そこにあったのは、幼少期より莫大な魔力を有しており、しかし実力はそれに追いついておらず、ただ瞑想するフリが得意なだけの自分だった。


 あの時に覚醒したその実力は、鳴りを潜めて出てくる気配がこれっぽっちもない……。


 そして、焦った。



 ーー『セリカ・ロードライトよ。貴殿には、これからもこの国の力になって頂きたい』ーー


 ーー「誰にものを言ってるのかしら? そんなの当たり前に決まってるじゃない。私に任せておきなさいな」ーー



 と、王に向かって、堂々と宣言をしていたセリカ・ロードライト。


 しかし、あの時の実力を出すことが難しい今、厄介ごとを任されてしまったら、今度こそ……死ぬ。



「残念だけど、この街とはお別れよ……」


 結果、セリカ・ロードライトは、王都ディフレシスから離れることにしたのだった。


 どこか遠い街に行って、自分のことを知らない人たちの中で生きよう。


 そうすれば、変な期待をされる事もなく、平穏に暮らせるはずだ。


 けれど、間違ってはいけないのは、彼女はこの国から逃げるわけではない。ただこの国とお別れするだけなのだ。


 そう……これは旅立ち。


 だから彼女は、転移魔法を使うことなく、大きな荷物を背負って、今から乗合馬車で普通の旅人のように旅に出ようとしているのだ。


 もしここで転移魔法を使って、逃げ隠れするようにそそくさと転移したのならば、それは逃亡と変わらない。


 王都を見捨てて、自分の身可愛さに逃げる行動だ。


 それはいけないと、セリカは卑怯なことはしたくはなかった。


「大丈夫……。この街にはジュリア・ルピナスが残っているのだから」


 ジュリア・ルピナス。

 自分と同じ期待を寄せられている少女。

 あの少女は頼りになる。

 今回の魔物が王都に押し寄せてきた件だって、あの子がいたから解決できたのだ。


 彼女がその杖から放つ魔法は、まるで嵐の如き威力ーー。


 大丈夫。


 ジュリア・ルピナスさえいれば、この国は安泰だ。


 だからセリカは決して、王都に住まう人たちのことを見捨てて逃げるわけではない。想いと期待と責任を、ジュリア・ルピナスに託したのだ。


「私にはきっと過ぎたものだったのよ……。私、この国から出たら、そうだっ、鉱石の街って所が隣国にあるみたいだから、そこで宝石店の副店長として働こう!」


 店長は、別の人に任せるつもりだ。

 だって、責任は取りたくないから。

 自分は副店長として、店長を任せる人に責任を負ってもらいながら、余生を謳歌するのだ。


「さようなら……」


 そして名残惜しさを感じながら、目元に浮かんだ涙を拭い、新しい一歩を踏み出そうとした時だった。



「「ぐふっ」」



 セリカは、誰かとぶつかってしまった。


 近くに人がいたようだった。早朝で、まだ薄暗いため、気づかなかった。


「ご、ごめんなさい……。お怪我はない?」


「ええ。こちらこそ申し訳ございません。そちらもお怪我はないですか?」


 セリカは手を差し伸べる。すると相手もこちらに手を差し伸べてくれていた。


「「………あ」」


 そしてその手が重なり合おうとした時に、こちらも、あちらも、動きを止めていた。


 視線が交差する。


「「っ」」


 同時に、サッと顔を隠した。その状態で相手の顔を伺ってみると、相手もこっちの顔を伺っていた。


((こ、こいつはまさか……))


 ……同時に、二人は気づいてしまった。


(なぜ、この子がこんな朝っぱらから、こんなところにいるの!?)


(どうして彼女がこんな時間からここにーー)


 と、ハッとして、すぐに思い当たる二人。


((こ、こいつ……逃げようとしているな?))


 セリカが目にしたのは、大きな荷物を背負い、まるでやましいことがあるように顔を隠しているジュリア・ルピナスの姿であった。


 逆もまた同じ。


 お互いに旅立とうとしている。


(ど、どうしよう……。この子が王都からいなくなったら、私が逃げられなくなるじゃないっ)


(なぜ、セリカ・ロードライトまで逃げようとしてるの!? この子、この前、剣で敵を切り刻んでいたのにッ)


 二人は互いに、あの時の本当の力を使えなくなっていることに気づいていない。


((こ、こうなったら……))


 そして1秒にも満たない逡巡の末、二人は同じ答えを導き出していた。


「……ご、ごきげんようっ」


「うふふ……。お大事に」


 それは、見なかったフリ。


 二人は顔を絶対に見えないように隠し、互いに背中を向けて、互いがこの場にいたという事実を消すことにした。


 セリカ・ロードライトは王都に残って、みんなを守ってくれる。

 ジュリア・ルピナスは王都に残って、みんなを守ってくれる。


 互いに、王都から逃げ出そうとしていることを知らなければ、それはなかったことと同じになるのだ。


「「……ごめんなさい。王都の人たち。いつか、骨だけは拾いに帰ってくるから……」」


 二人は涙ぐみ、身を切る思いで、王都ディフレシスから転移魔法で逃げることにした。



「あ! お二人とも、おはようございます!」



「「!?」」


 その時、現れたのは一人の少女の姿。


 見てみるとそこにあったのは、何度か共に行動したことのある少女、治癒師ココである。


「わー! こんな朝早くから、すごいですね! そんな大きな荷物を背負って、お二人もランニングでしょうか!」


「「!?」」


 治癒師ココは目をキラキラと輝かせながら、二人の元へと駆け寄ってきた。


「すごいなぁ〜、さすがだなぁ〜。セリカさんもジュリアさんも、やはり意識が違うなぁ〜 見習いたいです」


「さすが王都を救った二大英雄なだけのことはある」


 そして最悪なことに、治癒師ココの後ろには、錬金術師ポーネもいた。


((こ、これはまずい……))


 現れた二人は、まるでセリカとジュリアの行手を阻む大きな壁だった。


「私とポーネさんも最近朝からトレーニングをしてるんですよ」


「この前の二人に感化されたから、やることにした」


「「へ、へぇ……」」


 誰かさん達とは違い、意識の高い二人だった。


「じゃ、じゃあ、私はこれで……」


「私もこれで……」


 無理矢理話を切り上げ、この場を後にしようとする二人。


((は、早く逃げないと……))


 しかし、そんな二人の肩が、ガシッと掴まれて引き止められることになってしまった。


「ふふっ。もう、何言ってるんですかぁ。今日はこれから姫様の所にお呼ばれしてるじゃないですかぁ」


「四人でおいでって言ってた。だから一緒に行こ」


((うわあああぁぁ〜ん。なんでこうなるのぉ〜))


 満面の笑みの治癒師ココと、ポーネに引きずられるように、強制的に城まで連行される二人。


((こ、こうなったのも、あの男のせいだッ))


 黒龍を倒してくれたあの男。先日の騒動の時、結局逃げたまま戻ってこなかったあの男。


 二人はどうしようもない絶望を感じながら、いつか絶対にあの男に責任を取らせてやるッ、と、まるで逆ギレのように心に誓うのだった。


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