第82話 泣かないウィスリー

 夕方になった。

 メルルからウィスリーが起きたとの知らせを受け、部屋へと向かう。


「ふぅぅ~……」


 ものすごい緊張する。

 頭の中で何度も会話をシミュレーションしたが、すべて脳内ウィスリーを泣かせる展開になってしまった。

 とにかく、ウィスリーを悲しませるような文言もんごんつつしまねばならない。


 そう、言い方だ。

 ウィスリーに習ったやつ。

 マイルド……そう、マイルドな言葉を選ぶんだアーカンソー!


「よし」


 意を決してノックする。


「ねーちゃ?」


 扉の向こうからウィスリーの声が返ってきた。


「俺だ」

「……ご主人さま」


 ウィスリーの返事に間があった。


 どういう心理だ? わからない。

 声の感じからして嫌がられてはいないとは思うが……!


「入ってもいいか?」

「ちょっと待ってね」


 中からバタバタと音が聞こえてくる。

 しばらくすると静まって、今度は足音が近づいてきた。


「どーぞ、ご主人さま」


 扉が開かれると淡い笑みを浮かべるウィスリーがいた。

 いつものメイド服に、ちょっと寝癖がついている銀色のポニーテール。尻尾は嬉しそうにぶんぶん揺れている。

 寝起きのせいか少しテンションが低いが、いつものウィスリーだ。


「ごめんね。ちょっと散らかってるけど」

「ああ、かまわんよ」

「あっためたお茶があるから出すね!」


 ウィスリーが俺を奥に招いて、部屋に据え付けられた設備を使ってお茶を煎れてくれた。


「よーし……」


 ウィスリーが緊張の面持ちでお盆の上のティーカップをふたつ、テーブルの上に置こうとする。

 その手はぷるぷると震えているが、動作はとてもゆっくり且つ慎重。表情は真剣そのもので、絶対にこぼしてはならないという強い意志を感じる。


 俺もドキドキしたが口出しはせず、最後まで見守ることにした。

 ティーセットを無事に置き終わると、ウィスリーは額をぬぐいながら「ふうう~」と深く息を吐き出した。


「はい、どーぞ! お茶っ葉はねーちゃが選んだやつだから大丈夫だと思うけど、もしちゃんとおいしくできてなかったらごめんね!」

「気にするな。もてなそうとしてくれる気持ちだけで俺の胸はいっぱいだ」

「にへへー」


 着席した俺の隣でウィスリーが頭を掻きながら照れ笑いを浮かべる。

 ここでウィスリーに座るように言うと逆に困らせてしまうだろうと思った俺は、大人しくお茶を口に運んだ。


「……なんだ。ちゃんと美味うまいじゃないか」

「ホントに? 練習しておいてよかった!」


 お盆を胸に抱きしめながら、ウィスリーが小さくぴょんと跳ねた。


「練習してたのか?」

「ん……お屋敷にいたときは真面目にやってなかったんだけど、最近はねーちゃに頼んでいろいろ教えてもらってるんだ。ご主人さまの使用人として相応しくならなくっちゃね!」


 その言葉を聞いた瞬間、何故か俺の目尻から涙があふれそうになる。


「クッ……」


 なんとか指で眉間を強く抑えて原因不明の落涙を必死にこらえた。


「ど、どうしたのご主人さま!? お茶が熱かったの?」

「いいや、大丈夫だ。これはあくまで俺の問題だから」

「そ、そーなんだ……泣くほどおいしいお茶だったのかな」


 ウィスリーも自分の分のお茶を口にして「フツーだな」とコメントする。

 なんとか涙を耐えた俺は、首を横に振った。


「まったく俺は駄目な主人だな。いろいろ考えて言おうとしていたのに、頭から吹っ飛んでしまった」

「あっ、それご主人さまもなるんだ。あちしもよくあるからわかるよー!」


 快活に笑うウィスリーを見て、俺は思ったことをそのまま口にした。


「ウィスリーはいつでも元気だな」

「うん、元気だよ! それだけがあちしの取り得だし!」


 ウィスリーが両腕に力こぶを作ろうとしてみせた。

 見た目は華奢きゃしゃに見えるが、とんでもないパワーを秘めているのを俺は知っている。


「そんなことはないとも。ウィスリーには取り得がたくさんあるさ」

「ホント? 例えば例えば?」

「優しいところ。頑張り屋なところ。気遣いができるところ。難しい字の表現も使おうとしているところ。うむ、いくらでも言えるな。キリがないぞ」

「にへへ……そんなに褒められると、さすがに恥ずかしいかな」


 ウィスリーが赤くなった顔を隠した。


「ああ、それともうひとつ。人を元気にする魅力にあふれていることだな。ウィスリーを励まそうと思って来たというのに俺の方が元気づけられてしまった」

「あちしを励ましに?」


 ウィスリーが意外そうに目を丸くした。


「今朝、あんなことがあっただろう?」


 ウィスリーが答えるまでには少し間があった。

 ほんのちょっぴり恥ずかしそうに頬を掻きながら、遠くを見る。


「ご主人さまにみっともないところ見られちゃったね。ごめんなさい」

「いいんだ」

「今度シエリにも謝らなくっちゃ」

「そうだな。それで……ウィスリーはもう大丈夫なのか?」


 俺の脳内ウィスリーはこの辺で泣いていた。

 しかし、現実のウィスリーはちっとも泣かない。

 俺の質問にも笑顔で答える。


「ん、いつまでも気にしててもしょーがないから。ねーちゃにもいっぱい慰めてもらったし。それに、おいしいお昼食べて寝たらスッキリしちゃった!」

「そうか……」


 俺なら一週間は引きずるであろう失敗を、昼寝一発で解決できるのか。

 なんともうらやましい強メンタルだ。


「それでも一応言っておく。俺は今回のことでウィスリーに幻滅したり失望したりはしていない」

「そーなんだ。よかったー」

「だが、心配はしたぞ」


 ウィスリーは背が低い。

 だから、座っている俺でも手を伸ばせば隣にいる彼女の頭を撫でられた。 


「にへへ……ごめんね?」


 ウィスリーが悪戯っぽくチロッと舌を出す。


「もしよかったら……」


 一度ここで深呼吸をする。


 聞こうと思っていたことを思い出そう。

 会話の中で癇癪かんしゃくの理由を探る。追放理由は聞かない。

 勇気を振り絞って、言葉にするんだ。


「ウィスリーの昔のことを話してくれないか?」

「むかしの? んー……」


 ウィスリーが困ったように考え込む。


「もちろん嫌だったら話さなくていいんだぞ!?」

「んーん、やじゃないよ。だけど、ご主人さまに聞かせてもいいのかなって。だって、あんまりおもしろい話じゃないよ?」

「かまわない。俺はウィスリーのすべてを受け入れる」


 俺が真剣な想いを伝えると、ウィスリーはしばし目を丸くする。

 顔を赤くしてうつむいた後、恥じらうような上目遣いでこう言った。


「ん……ご主人さまがそう望むなら」

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