第72話 チェルム

 四阿あずまやのテーブルについた俺とシエリは、朝のアーリーティータイムを楽しんでいた。

 もちろん、チェルムのもてなしである。


「まさかエルメシアの王族が竜人族のメイドを抱えているとはな……」


 ウィスリーたちとの関係性や、どうして人間主義のエルメシア王国に仕えているのかとか、聞きたいことは山ほどある。

 とはいえ、さすがに初対面で根掘り葉掘り聞くのはな……。


「姫様が大変お転婆でらっしゃいますので、普通の人間では務まりません」

「ち、ちょっとチェルム! それ、どういう意味よ!」

「言葉どおりの意味です」

「ううう~っ、絶対いつかクビにしてやるんだから!」

「どうぞどうぞ。いつでもおいとまをいただきますよ」


 このやりとりだけで、ふたりの関係性がなんとなく見えた。


「ふたりは長いのか?」

「ま、まあね……」


 シエリが少し照れて頬をぽりぽりと掻く。

 一方、チェルムはなんでもないことのように答えた。


「そうですね。姫様の世話を任されて、もう十六年になりますか」


 ……十六年?


「つ、つまりシエリが生まれたときからか!? こう言ってはなんだが、とてもそうは見えない。あなたは非常に若く見える」

「まあ。アーカンソー様はとっても褒め上手なんですね。まったく、どこかの姫様に見習ってもらいたいものです」


 竜人族は若い姿のまま人間よりも長生きすると聞いていたが。

 なるほど、生まれたときから自分の世話をしているメイドか。

 道理でシエリも頭が上がらないわけだ。


「とはいえ、最近の姫様はとても成長されました。チェルムは嬉しく思っております」

「えっ……!?」


 シエリが目を見開いた。


「ど、どうしちゃったのよ。チェルムがあたしのことを素直に褒めるなんて……」


 天地がひっくり返ったかのような顔をするシエリに向かって、チェルムは淡々と告げた。


「どうもこうも、正直な感想ですよ。少し前までの姫様はただただワガママなだけで、人間的な魅力がこれっぽっちもありませんでした。それがいまや見違えるような輝きを放っておられます。これを喜ばない世話役がいるでしょうか。いえ、いません」

「……ぐっ。悔しいけど自分でもわかるから言い返せないわ」

「それもこれも、アーカンソー様のおかげです」


 チェルムが変わらぬ笑顔をたたえたまま、こちらに向き直る。


「……また俺か?」


 最近は多いな。

 そのうち日が昇るのも俺のおかげと言われそうだ。


「先ほど申し上げましたとおり、常日頃からお話をうかがっておりました。アーカンソー様は空前絶後の大賢者様でらっしゃると」


 ジッと見つめてくるチェルム。

 俺は首を横に振った。


「シエリの評価は割り引いて聞いて欲しい」

「はい、もちろんですとも」

「ち、ちょっと――」

「人の会話にすぐ割り込もうとするのは姫様の悪い癖です。そんなことではアーカンソー様に嫌われますよ」


 何かを言いかけていたシエリがかちーん、と固まった。

 ううむ、チェルム強い。


「実を言いますと。ずっと前から、会ってお話ししたいと思っておりました」


 ん、なんだ?

 チェルムから、一瞬だけ情熱的な視線を向けられたような……。

 しかし、チェルムはすぐに笑顔に戻ってからパン、と手を叩いた。


「さて、雑談はこのくらいに致しましょう。そろそろ本日のご用件をお聞かせ願えます?」

「ん? ああ、そうだった。チェルム殿があまりにも美しかったので、すっかり忘れていた」

「なっ……!」


 シエリが息を呑む。


「まあ」


 チェルムが笑顔のまま頬に手を当てる。

 そして、唖然あぜんとするシエリに一礼した。


「姫様。チェルムは主人とあおぎたい殿方が見つかりましたので、長いお暇をいただいてもよろしいでしょうか? できれば永久がいいです」

「ちょっ、アンタが本当にやめたら離宮の管理は誰がするのよ!」

「ご自身で挑戦されてみてはいかがでしょうか。そうすればチェルムの日頃の苦労もわかろうというものです」

「そ、そもそも話が違うじゃない! もしアーカンソーを連れて来られたら、いろいろ協力してくれるって――」

「……協力?」


 俺が首をかしげると、シエリが「しまった」という顔をして自分の口をふさいだ。


「思っていることをすぐ口にする。これも姫様の悪い癖ですね。成長したと思ったのは錯覚だったのでしょうか。ええ、きっとそうなのでしょう。どうやらチェルムはもうしばらく辛抱するしかなさそうです」


 チェルムがよよよ、と泣き真似をする。

 俺としてはシエリが何を考えてるかわからないことが多いので、全部喋ってくれるほうが助かるんだがな。


「こ、こんなはずじゃ……」


 何やら泣きそうになっているが、シエリは大丈夫なんだろうか。

 さすがに今回は俺のせいじゃないよな……?


「さて、姫様で遊んでいるとキリがありませんので本題に戻しましょう」


 シエリが「遊んでるって言ったぁ~!」と涙目で抗議の声をあげるが、確かに話が進まないのでスルーする。


「ここにはスライムを回収しに来たんだ。シエリが信用できる人物に預けたと言っていたんだが」

「……あっ」


 シエリが再び「しまった」という顔をした。

 それを見たチェルムはにっこりと笑みを深くする。


「そうですか。信用できる人物、とおっしゃっていたのですね。姫様は。そうですか」

「も、もう勘弁して~!」


 シエリが泣きそうな顔のままチェルムにしがみついた。


「ああ、いけませんね。姫様をもてあそんでストレスを解消するのは、チェルムの悪い癖です」


 チェルムが頬に手を当てたまま、ため息を吐く。

 確かにシエリが絡むと、チェルム殿は話が脱線してしまうようだ。


「察するにスライムの世話をしてくれているのは、あなたか」

「世話というほどのこともありませんが」


 チェルムはテーブルの上のカップをちらりと見てから、離宮の奥を指し示した。


「ちょうどお茶も空いたようですね。どうぞ、こちらへ。ご案内します」

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