第64話 フレモン

「ううう……まさかスライム退治だなんて……」


 ギルドでの勢いはどこへやら。

 王都を出てからというもの、シエリはすっかり肩を落としていた。


「ずいぶん不満そうだな、シエリ」

「それはそうでしょ! スライムよ? なんで今更あたしがスライムを退治しなきゃいけないワケ!?」

「仕方ないだろう。これぐらいしか依頼クエストが残っていなかったんだ」

「くっ、こんなはずじゃ……もっとアーカンソーに相応しい仕事が来るはずだったの! お父様にもちゃんと各商会に圧力かけてって伝えたのにー!」


 王権でもって商会に圧力を?

 なるほど、そういうことだったか。


「ククク……どうやら読みが甘かったようだな、シエリ」

「えっ、どういうこと……?」

「王権から圧力のかかった商会の心理を読み解いてみるといい。誘拐事件をひとつ解決したとはいえ……あの十三支部なんだぞ? 普段なまけている冒険者のたまり場だ。ひとまず様子見の依頼を出すのは当然だろう?」

「あたしやアーカンソーがいるのに?」

だ。商会は圧力が掛かったのは自分たちだけではないと考える。ならば、自分たちの商会の依頼クエスト

「あっ……!」

「つまり、ダメ冒険者に依頼クエストを引き受けられてしまうリスクが非常に高いわけだ。しかも我々だって『はじまりの旅団』から離脱して十三支部に来ているから、何かしらの問題を抱えていると思われても仕方ない。だから商会は王権に逆らうことなく意向には従い、しかし本当に重要な依頼は出さない。いや、我々に任せたい困り事があるなら指名依頼があってもおかしくはないが、そうはならなかった。商会の間で大きな問題が起きていない証でもある。これは考えようによってはいいことだ」

「さ、さすがね、アーカンソー。そこまで考えられるなんて……」

「商人たちは利で動くからな。実に読みやすい」


 ここに個人的な感情とかが絡むと途端にわけがわからなくなるんだけどな。


「ううっ、商人の考えかぁ。あたしはそこまでわかんなかった……」

「シエリはまっすぐすぎるからな。自分ならこうする、という視点で考えがちだ。もっと他人の価値観を学べば、俺程度の読みはすぐできるようになる」

「えへへ、あたしがまっすぐ? 純粋で素直ってこと? えへ、えへへへ……」


 シエリが頬を染めながら、いつもの拡大解釈を始める。

 馬鹿正直に「違う」と言うと怒るに決まっているので、肯定も否定もしない。

 ここでの正解は沈黙……ではなく、話題そらしだ。


「とにかく落ち込んでいても仕方がないぞ。ほら、ウィスリーを見てみろ」

「ぼっ、うっ、けーん♪ ぼっ、うっ、けーん♪ ごっ主人さまとっ、ぼっ、うっ、けーん♪」

「なんであの子、あんな楽しそうにスキップしてるのかしら……?」

「スライム退治だろうがなんだろうが、冒険を全力で楽しもうとしている。実に素晴らしい心がけだ」


 俺たちの前をぴょんぴょん跳ねていたウィスリーが、突然クルッと振り向いた。


「あ、そーいえばスライムってなーに?」 

「えっ、ウィスリーはスライムを知らないの!? あんなに有名なのに!」


 シエリがびっくり仰天した。

 スライム……そんなに有名なモンスターだったか?

『はじまりの旅団』にいた頃は、一度も遭遇しなかったが……。


「むー。いくらあちしが『ずのーは』でも、知らないものは知らないもん」


 ウィスリーが不満そうに口を尖らせる。

 するとシエリは自信満々の笑みを浮かべながら胸を張ってこう言った。


「しょうがないわね、教えてあげる! スライムっていうのはね、魔法使いでもワンパンで倒せるような雑魚モンスターよ!」


 ……なんだと?


「シエリ、君は何を言っている? スライムはとても恐ろしいモンスターだぞ」

「へ? スライムっていえば、雑魚モンスター代表でしょ? よわよわスライム子供でも勝てる~♪ って絵本の子守歌でも有名じゃない」


 こ、子守歌だと?


「ま、まさかと思うがシエリ。君はスライムのことを愛らしい顔のついた小さいプヨプヨだと思ってはいないだろうな?」

「違うの?」

「……やはりな。そのスライム形状が世間に広まったのは君の言うところの絵本……『フレンドモンスター』のせいだ」

「えっ、あの『フレモン』って現実じゃないの……?」


 むむっ。これは重症だな。

 ちゃんと知識をアップデートしてもらわなくては。


「確かに、あの作品におけるスライムはシエリが言うような雑魚モンスターで、主人公の相棒を務めるマスコットだ」

「そうそう! あのスライムが弱いけどたまらなくかわいくって、主人公のために頑張る姿に胸を打たれるのよね!」

「だが、実際のスライムはまったく違う。不定形の単細胞モンスターで、獲物を包み込み溶かして捕食する。物理攻撃も効かないし、非常に厄介な相手なんだ。そもそも『フレンドモンスター』はあくまでモンスターとの相互理解をテーマにしたおとぎ話、つまりは虚構フィクション。知ってのとおりダンジョンから出現する本物のモンスターは非常に凶暴で、相互理解はおろか一切の交渉が不可能だ。調教師などの一部のクラスだけが、かろうじてテイムできる。だがそれも心を通わせているのではなく魅了チャーム支配ドミネイトに近い形で無理やりに操っているのだ」

「そ、そんな……あの『フレモン』が嘘だなんて……」


 俺の話を聞いていたシエリがどんどん青ざめていく。

 まるで世界の終わりでも来たかのような顔だ。


「俺もあの絵本は後学のために一読したが、あくまで人々を無用の恐怖に陥れないための措置だと判断した。現実のモンスターをモデルにしているかのように偽装し、安心させるためのな。とはいえ冒険者にまでスライムの知識が間違って広まるのは間違いなく弊害だ。作者は迅速じんそくに修正版を出版すべきだな」


 俺の自説を聞いたシエリがわなわなと震えながら首をブンブン振った。


「お、お願いだから、そんな夢がないこと言わないで! 『フレモン』は世界のどこかにきっといるわ!」

「シエリ。君も冒険者ならしっかり現実をだな……」

「ご主人さま、もうやめたげて!」

「ウィスリー?」


 ウィスリーが俺とシエリの間に割って入った。

 まるでシエリを守るように。

 そして、その直後。


「う、ううう、うええええ~~んっ!」


 シエリが泣いたっ!?


「うううっ、『フレモン』は嘘じゃないもん、わかり合えるモンスターだっているんだもーん……!」

「おー、よしよし。泣くな泣くな。『フレモン』はきっとどこかにいるぞー」


 ウィスリーがシエリを慰めているだと……。

 普段はあんなに仲が悪いのに、見るに見かねて?

 つまり――


「バカな……俺はまたやってしまったのか!」


 一度ならず二度までも!


「すまない、シエリ! 俺が悪かった! 謝る! このとおりだ!」


 師匠のひとりが何度も言っていた。

 女子を泣かせる行為は問答無用の悪であると!

 男が女に泣かれたときは謝るしかないのだと!


「うっう……じゃあ『フレモン』はいる?」


 シエリが涙目のまま上目遣いでたずねてくる。

 俺は力強く頷き返した。


「それは実在しない」

「うわああああん!!」


 いったい、どうしろというんだー!!


「ご主人さま。お願いだから、ちょっとだけ黙っててね」

「わ、わかった」


 ウィスリーにジトッと睨まれてしまったので、俺はやむなくシエリと距離を取るのだった。

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