海と空の境目

カクヨミ

第1話 刹那で航海


「繋がってるみたいで綺麗だね」

 適当な岩に腰を降ろした僕の目に、砂浜の上、頬を赤らめた君が

焼き付いた時の台詞。宝箱を開けたような愛しい横顔を、ずっと見つめて

いたってきっと気づきもしないだろう。

「そうだね……」

 他にも言いたいことは色々あった。けど、それはこの場所では憚られた。

 穏やかな波の音と変わらない、いつもより高く心地よい声が聞こえてくる。

「ほらみて、すごいよ。同じ色だから地平線が空に溶けちゃってる」

 君が振むくタイミングで入れ替わるように、ようやく夕焼けに目を向ける。

 そこには確かに宝石のような価値を抱いた景色があった。

「……これは綺麗だね」

 思わず出てしまった言葉に、数拍遅れて気づいた。横目で君の顔を伺うと、案の定ふてくされたように頬が膨れている。

「いやこれは自然だから、その、言いやすくて」

 慌てて取り繕った言葉に、君は腕を組んで可愛く鼻を鳴らす。

「フーン、まあいいけど別に……」

 そっぽを向いてしまう君に、なんて声をかけていいか分からない。

 熱の乗った潮風が体にまとわりつく。背後の海岸林からクマゼミの鳴き声が

弱々しく聞こえた。

「ごめん……」

「そうだ」

 垢ぬけた声に俯いた顔を上げると、茜色に染まった髪の毛を肩で跳ねさせた君が

砂を舞った。君がジャンプして距離を詰めたその一瞬は、まるで天使が

降ってきたようで、息がかかるほど迫ったその顔に呼吸が止まる。

「そらすな、こっちを向け」

 直ぐにまた俯いた折り、そんな君の声が聞こえた。

「無理だよ!太陽は直視できないから……」

「もう何言ってんのバカ、いい加減にしろ」

 君の腕が伸び、細い指が頬に触れたかと思うと、力が加わる。

「イたいイたい、わかったから、、息だけ吸わせて」

 呼吸を整えて、思い切って顔を上げる。そこには微笑む君がいて、

この世で一番愛しい者との相対が生まれた。

「頬赤くなってんぞ、見惚れすぎだバカ」

「まあ、つねられたから、思いっきり……」

「そう。ねぇ、私にも言って。そしたらいいよ」

「分かった」

「……」

「……」

 真正面から君の瞳を独占できる、そんな幸せな一時。すべてがどうでもいい思えるほどに尊い、雑音の消えた世界で聞こえる音。君の声と同じ穏やかに侵食する波の音と、鼓膜を小刻みに叩き加速する拍動と、それだけ。

 膨れた汗が冷やりと落ち、受け止めた砂にも緊張が伝わるかのように滲みていく。

ついには、焦れったさに地平線から顔だけ出した夕日が、反対側から夜を連れてきた。喉で詰まった言葉を、口にすることができないまま――

「もういいよ」

 そう言って君はその淡く潤んだ唇で、もどかしさに微睡む僕の口を閉ざした。

 目に写った直前の顔の儚さ、緩んだ目元に浮かんだ哀傷が心をきつく締め付ける。

 初めてのキスは海を感じるほどしょっぱい味がした。

「うん……こっちの方が良かったかな」

 冷めたい砂の上に立った君が、どこを見ているか分からない。

 僕はまた俯いて、俯いたまま、何もできずに夜に呑まれていた。

 


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海と空の境目 カクヨミ @tanakajk

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