11 ゾイレエンジ

 翌日、私たちは湖畔で釣り糸を垂れていた。

 ギルドのある町から、目的地までは人の足なら半日掛かる。前日に野宿してまで距離を稼いだかいあって、午前の内には目的地に着いた。

 立地も生活も背後に広がる森と密接に関わり、そして森の中に存在する特殊な湖によって成り立つ小さな集落。

 ゾイレエンジの村が、私たちの目的地だ。

 だから、着いたって言うか、戻ってきた。

 戻りの道は載せてくれる馬車もおらず、全部歩くことになった。でも思ったより意外と歩けたし、野宿も結構平気だった。レイニーに怒られながらも、いつの間にか寝ていた。

 人間って、図太い。

 戻ってきた私たちを、村は大いに歓迎してくれた。ほかの冒険者が誰も受けず、棚上げのようになっていた彼らの依頼を受けたからだ。ペナルティだけどな。

 そうかい、そうかい。と目を細めた村人たちは、歓迎しながらじりじりと我々を取り囲んだ。彼らにすれば、やっと掛かった獲物だ。逃がすまいとする圧がすごかった。

 この依頼、条件悪いからなあ。

 だからこそ人気がなくて、冒険者ギルドもペナルティ用の依頼として強引に消化しようとしていたのだ。

 依頼の内容は単純で、ゾイレエンジの湖で魚を捕獲して納めること。期間は一ヶ月。納める魚は最低五匹。捕獲道具は無償貸与。成功報酬は金二枚で、依頼中は宿も食事も村のほうで面倒を見る。

 逆に言うと、滞在費の心配はないが魚が釣れなければ報酬はない。釣れたとしても、魚は村のものになる。

 金二枚は私からすると大金だが、ゾイレエンジの魚を売ればもっと金になると言う。

 ならば確かに、うま味がない。依頼を受ける冒険者はいないだろう。釣りにハマって貯えを溶かすレベルのバカ以外は。

 たもっちゃん、貴様のことだ。

「村長、任せてくれよ。俺、大物を釣ってみせるからさ!」

 たもっちゃんは夢見る少年のような顔をして、ゾイレエンジの釣り竿を肩に担ぐ。

「おお、頼もしい! よろしく頼むよ」

 その根拠のないビックマウスに、全力で乗っかるのは村長だ。二人は村の端にある道具屋の前で、力強い握手を交わした。

 なんだかもう、不安しかない。

 こう言う時のたもっちゃんはアテにならないと、ちゃんと教えておいたほうがよかっただろうか。

 それが、今日の午前中の話だ。今はすでに、時刻で言えば午後の二時か三時くらいだと思う。

 たもっちゃんは雨具を身に着け水際に立ち、意味もなく釣り竿を揺らしたり引いたりしてみている。これまでアタリらしきものさえ一度もないので、多分本当に意味がない。

 私たちはそれを、少し離れた場所で見守る。水際から遠れてないと、溶けそうなので。

 ゾイレエンジの湖は、かなり大きい。

 鬱蒼と周囲を囲む森の木々が風を止め、湖の水面は凪いでいた。水の色はなにもなく、深い場所でも水底の石がきらきらと光っているのがはっきり解る。

 湖の底や水際を埋め尽くす白っぽい小石は、少しだけ虹の色を持っていた。ゾイレエンジの魚と同じ色だ。だからこの大きな湖は、全体が白く虹色に輝いていた。

 たもっちゃんが連日気軽に出掛けて行くから気にもしてなかったが、実際に足を運んでみるとなんだか圧倒されるものがある。

「いいですか、魔法とはイメージなのです。ですから、水を出したいなら水を出すイメージを。火を着けたいなら火を着けるイメージをするのです」

 レイニーは右手で水の球を出し、左手の指先に小さな炎を灯して見せる。大道芸みたいになってるが、本人はマジメだ。

 森に守られた湖は美しいが、人の釣りをただ見ているのはヒマすぎる。その間の時間を活用し、私は生活魔法を教わっていた。

 説明しよう。生活魔法とは、狩りや戦闘に使えるほどの威力はないが日常生活で使えると地味に便利で超簡単な魔法の俗称らしい。

 先生は、魔法についてはカンストと噂のレイニーだ。だから楽勝かと思ったら。これがなかなか難しかった。なんと言うか、説明が意外とざっくりしすぎで。

「うーん、やばい。なんの参考にもならない」

 水を出すイメージってなんだ。水道か。

 火を着けるイメージってなんだ。マッチでも擦ればいいのか。

「どーもー! マッチでぃえー」

 す! と言おうと思ったら、自分の指先からシュボッと火花が吹き出した。

「ぎゃーっ!」

「あら……まるで生まれたての火竜ですね」

「リコはさぁ、雑なんだよなー。勢いで何とかしようとするから、魔法にも余計な勢いが付くんじゃね?」

 あぐらをかいた自分の膝で頬杖を突いて、たもっちゃんがのんびりと指摘した。向き合って座る私とレイニーを、横から覗き込む格好だ。貴様、なぜここにいる。

「……たもっちゃん、釣りは」

「障壁魔法でさ、釣り竿固定できんじゃねーかなーって思ったらさ。できたわ」

 サボりだった。

「あとさ、リコあんまり魔力ないからやり過ぎるとヘロヘロになるぞ」

「マジ? 魔力どのくらい?」

「んー……村人レベル?」

 たもっちゃんは、こちらをガン見して答えた。恐らく看破スキルだろう。聞いたのは私だが、個人情報の流出感ある。

 私は村人だったのか。そりゃ草刈りしかできんわ。と、ものすごく納得した。魔法を習ってはみたが、全然ダメでやっぱムリかーってオチかと思っていたくらいだ。

 自分の指から火花が吹き出し、私は逆に動揺している。そのせいだろう。たもっちゃんに向け、うっかりマッチを試してしまう。

「どーもー! マッチでぃえーす!」

「だから! それやめろ! 実はモノマネしたいだけだろ! リコ!」


「どうだったね?」

 今日の釣果をたずねるのは、道具屋の店主だ。夕方釣り具を返しに行くと、意外なほど気負いなく問われた。

「いやー、駄目。また明日頑張るよ」

「そうかい。そうそう釣れる魚じゃないからね、気長にやっとくれ」

 軽い感じで言われたが、多分これは気遣いだ。私たちがこの依頼を達成できないと、この店主は困る。と言うか多分、村全体がものすごく困る。

 ゾイレエンジの魚は、なにもかも溶かしてしまう湖に住む。だから釣りに必要な道具は、その魚の素材でしか作れない。

 しかしそれは、貴重な魔魚だ。

 たまに釣り上げる冒険者がいても、素材はギルドに持ち込み売り払われる。そうなると高い値が付いて、村の財政では手が出ない。

 魚目当ての冒険者は、村のいい収入源だ。道具屋の釣り具を失えば、冒険者たちがこの村を拠点にする必要もない。これは死活問題になりかねなかった。

 村が魚の捕獲を依頼するのは、苦肉の策だ。素材は買えないから、冒険者の労力を買う。だが報酬の問題で、依頼を受ける者がない。

 なりゆきとは言え、今の我々は買われた立場だ。できればなんとかしたいところだが、魚はなあ。運頼みっぽいからなあ。

「リコさん」

 どうしたものかと足元をにらんで悩みながら歩いていると、隣から軽く腕を引かれる。顔を上げると、道の真ん中で行く手をふさぐ少女を見付けた。オレンジ色の夕日に照らされ、仁王立ちするのはナタリーである。

 どうやら、戻りを待ち構えていたらしい。ナタリーは口をへの字に曲げて、私に向かってずいっと小さな手を突き出した。

「あげる」

 渡されたのは、葉っぱの形がそのまま残る何枚もの紙だ。村の子供たちで加工したものだろう。

「いいの?」

「いいの」

 そうか、もういいのか。

 今日の午前中、一日ぶりに会ったナタリーはとても機嫌が悪かった。顔を合わせた瞬間に、なにを言う間もなく助走付きの頭突きを食らったほどだ。体重の乗った、いい頭突きだった。

 ほかの子供たちに聞いたところ、私たちがなにも言わずに村を出たのがショックだったらしい。昨日は一日中、泣きわめいて暴れたそうだ。

 これは普通に、私が悪かった。

 やっと機嫌が直ったことにほっとしていると、ナタリーは一度大きく息を吸った。それから、思い切ったように口を開く。

「だまっていなくなったら、だめだからね」

 機嫌はマシになったが、私の信用はどうやら地に落ちていた。

 それだけ言うとナタリーはくるりと背中を向けて、あっと言う間に走り去って行った。

 その後ろ姿に、なんでだか思った。

「……たもっちゃん」

「ん?」

 村の人たちのために、と言うと少し違う。

 ただ私たちのできることで、やれることで、よろこんだり笑ったりしてくれたらいい。それってきっと、すごくうれしい。

「釣り、がんばろうね」

「そうだなぁ。うん、頑張ろう」

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