その6

「何の事だ?」

 ルドリフは真顔ですっとぼける事にしたらしい。


 そして、その後、明らかに余裕の表情を浮かべた。


 まあ、やったやらないの水掛け論になるのは明白だったからだ。


「まあ、一度だけなら、言い逃れが出来るやも知れません」

 ヤルスがそう言うと、ルドリフの笑顔が消えた。


「今回も航海中に、我らの進路をわざわざ横切るという妨害を行ったではないですか」

 ヤルスは激高する所だが、まあ、性格上、それが出来ないのだろう。


 いつもの調子で話していた。


 ピキーン!!


 しかし、場の空気は一気に緊張感が増した。


 新たなる火種が発覚と言った感じだった。


「ああ、貴公、あれは妨害でも何でもないですよ」

 オロオロし始めたエリオは、思わず口を挟んでしまった。


 緊張を少しでも緩和しなくてはならないという強迫観念からだった。


 ピキーン……、ええぇ???


 エリオが発言した事のより、緊張緩和する筈が一気に変な雰囲気になってしまった。


「だって、何の問題もなく、間をすり抜けて、先に到着したじゃないですか!」

 エリオは笑顔でそう言ってのけた。


「あ……」

 ヤルスはエリオの発言に珍しく呆然としてしまった。


 常に冷静なヤルスでもあんな間抜けな顔が出来るのだなと感じた瞬間、

「あ……」

とエリオはヤルスと顔を見合わせながら間抜けな顔になっていた。


 間抜けなのは誰でもない自分だと悟った瞬間だった。


 しかも、この後、自分達が潮の流れ、風向きなどを味方にしていた事を、エリオは述べようとしていた事は黙っておこう。


 間抜けの上塗りになるからだ。


 ばん!!


 ルドリフは思わず机を両手で殴りつけるように叩くと、立ち上がった。


「何たる侮辱……」

 あまりの怒りに、ルドリフは声をそう絞り出すのがやっとだった。


 ワナワナと体を震わせ、味方であるはずにウサス帝国関係者もビビっていた。


 緊張緩和をしようとしたのだが、どうやら虎の尾に飛び乗ったらしい。


 エリオの発言は、ヤルスの鋭い指摘を少しでも緩和しようとしての措置だった。


 だが、こっちを立てれば、あちらが立たず。


 あちらを立てればこちらが立たずと言う典型例だと、エリオは感じざるを得なかった。


 そんな事はなく、ん、まあ、ハッキリ言ってしまえば、エリオが間抜けなだけなのだが……。


「我が艦隊を偶然に抜けられただけだろう!」

 ルドリフは怒りをエリオにぶつけた。


 エリオの見ていた風景とルドリフが見ていた風景に、相違があるのは何ら不思議ではなかった。


 とは言え、問題はそこではなかった。


「えっ……」

 エリオは今度はルドリフの方を見て、絶句する他なかった。


 その表情を見たルドリフは、

「えっ……」

と同じように絶句してしまった。


 ……。


 場の雰囲気が緊張から、妙なというのも可笑しい沈黙が訪れてしまった。


 その場にいた全員が、やっちまったなといった感じになってしまった。


 やったやらないの水掛け論になる筈が、主犯がゲロってしまったからだ。


 ルドリフは明らかに狼狽していたが、それを押し隠していた。


「ハイゼル候、これでどちらが正義を欠いているかが、判明しましたね」

 ヤルスはそれを逃すつもりはないとばかりに、責め立てた。


 まあ、これまで通りの抑揚のない口調なので、迫力はない。


 だが、それが却って、その場を凍り付かせるような感じだった。


 とは言え、ルドリフは責められた事により、平静を保つ事が出来た。


 内心どうかは分からないが、表面上は平静そのものだった。


「国格の下の者から言われても、説得力がない」

 ルドリフはヤルスの発言を撥ね付けた。


(国格?また、妙な言葉を出してきたな……)

 エリオは平静を装うルドリフに感心しながらも、その理論にはついて行けなかった。


 ウサス帝国は、かつてこの西大陸の7割以上を支配していたヘナ・ボイス帝国の後継国家を自称している。


 その帝国が分裂した後、現在まで存続している唯一の国家がウサス帝国である。


 なので、かつて世界を支配した国家の末裔である事は間違いがなかった。


 それ故か、他国に対して、見下す傾向が見られた。


 とは言え、そのヘナ・ボイス帝国の支配下に歴史上一度も入ったことがないリーランにとってはその権威は全く通じないのも確かな事だった。


「やれやれ、呆れた言い草ですね」

 ヤルスは更に追い詰める言葉を口にした。


(まあ、国格だの、国力だので国の順位が決まったら、そもそも争い事が起きないと思うが……)

 エリオは他人事のようにそう思った。


 このような状況になったのは、エリオの余計な一言が原因であるのに拘わらず、いい気なものである。


 あの一言がなければ、ルドリフもこんな変な理論を展開せずに済んだだろう。


 ルドリフによって、エリオという存在は災悪・・な存在である事が、ここでも証明された事になってしまった。


 本当に相性が悪いという言葉では足りない。


「ふん、戯れ言はもう結構!」

 ルドリフはヤルスに対しては何を言われても気にしないといった感じになり、開き直った。


 とは言え、大ポカを取り返す事は既に不可能と感じていてはいた。


 エリオもヤルスもその態度を見て、追い詰めたがこれ以上は無理だなという認識を持った。


 ルドリフは深呼吸をして、気持ちを整えた。


 そして、法王の方へと向き直った。


「猊下、事、ここに至っては……」

 ルドリフは法王に向かって話し始めた。


(事を至らしたのは、あんたでしょう!)

 エリオは心の中でツッコミを入れた。


 だが、本当に至らしたのはエリオだという事を突っ込んでおこう。


 人のせいにするのは、いけない事である。


「最早話し合うのは無理でしょう」

 ルドリフは責任転嫁を図っていた。


(話し合いを拒否したのはあんたでしょう!)

 エリオは更に心の中で、更にツッコミを入れる。


 ルドリフはエリオの心の声を漏れ聞いているかのように、不自然すぎるほど恭しかった。


 儀礼的意識を強めないと、エリオを無視できないでいたからだった。


 まあ、正直言うと、いますぐエリオの胸ぐらを掴んで、ボコりたい気持ちを抑えるのに必死だった。


 と同時に、それが出来たらどれだけすっきり出来るだろうとも思っていた。


「然らば、実力を持って、暗き闇に沈む者達の目を覚まさせる他ないと存じます」

 ルドリフは、この場でエリオを殴る訳にはいかないので、その代わりにそう言った。


(今更、宣戦布告されてもなあ……)

 エリオはやれやれ感満載だった。


 とは言え、ルドリフのこの言い草は交渉の打ち切りの為のものだと、エリオはちゃんと理解していた。


 だが、これに対して、法王が「ああ、そうですか」と納得する訳でもないのも理解していた。


「……」

 法王は咎める訳でもなく、事の成り行きをジッと見ていた。


 権威はあっても、武力を持たないので、強制は出来ないと言った感じだろう。


 そして、この教会は、教義を笠に着て、他人に武力行使を強要しない組織でもあった。


 ……。


 ルドリフの表明に対して、法王を始め、誰も口を噤んでいたので、しばらく沈黙が流れた。


 ルドリフはそれを肯定されたと認識した。


「それでは、我々はこれにて失礼致します」

 ルドリフはそう言うと、法王に一礼した。


 そして、会議室の外へとさっさと去っていった。


 それを慌てて、ウサス帝国の随員達が追い掛けていった。


 ドタバタした光景だった。


 これは戦略的には正しいが、戦術的には稚拙に感じられた。


 とてもスマートとは言えず、悪印象しか残さなかったからだ。


 とは言っても、ルドリフはエリオを目の前にして、これ以上紳士的な態度を保てただろうかという観点から考えると、これで正しいように感じられた。


(さてさて、この後はどうなるのやら……)

 エリオはそう思っていたが、ルドリフのこの後の行動は予想が付いていた。


 とは言え、思った以上に短時間で、しかも、酷い会談になるとは想像はし難かった。


 結果は予想通りとは言え、もう少し何らかの成果が欲しかったのも事実だった。


「クライセン公、貴公はどうなさるのですか?」

 重い空気の中、法王が口を開いた。


 徒労感があったが、この会議がすんなりとは行かない事は承知していたといった表情だった。


「はっ」

 エリオは突然の指名に驚きながらも、立ち上がって、姿勢を正した。


 でも、まあ、エリオの意向を聞くのは当然の流れとも言えた。


「まずは、我が国の弁明の機会のみならず、講和交渉の場を設定していただき、誠にありがとうございます」

 エリオはまずはお礼の言葉から入った。


「先の海戦の経緯を聞く機会はともかく、講和会議の方はまるで上手く行かなかった」

 法王は素直にそう話し始めた。


 エリオは素直に失敗を認める姿勢に驚きと共に敬意を払った。


「朕の見通しが甘かった……」

 法王はそう続けると、落胆した。


 ……。


 法王の落胆と共に、重い沈黙が訪れた。


「猊下、当事者の私が言うのも何なのですが、講和会議が開けた自体、画期的な事だと思います。

 何せ、歴史上、初めての事ですから」

 エリオは重い沈黙の中、そう言った。


 リーラン王国とウサス帝国は、長い間争いを続けていた。


 それは、国単位だけではなく、地域単位から含めると、太陽暦が制定される以前からの争いだった。


 そして、その間、話し合う事は一度も無かった。


 関係ない話だが、この世界の太陽暦は、スワン島にスワンウォーリア法国が建国された年が元年となっている。


「!!!」

 法王はびっくりした表情で、エリオを見つめた。


 エリオは思っていた事を素直に言っただけだったが、法王には突き刺さるものがあったらしい。


「クライセン公、貴公は前向きな人間なのですね」

 法王は微笑みながらそう言った。


(『前向き』って、初めて言われた!)

 エリオは法王の言葉を自分への褒め言葉として受け取った。


 隣にいたヤルスはやや怪訝そうな表情をしていた。


 ある意味そうかもしれないが、それとは程遠くもあるのではないかと感じたからだ。


 いや、もしかしたら、全面的に間違っていると言った表情だった。


「貴公の仰る通り、今回は会議が開けた自体を成功と思う事にしましょう」

 法王はそう言うと、会議を締めくくる事にした。

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